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08話 彼

「しかし誰がなんと言おうと、あなたがこの戦の第一功であるのは間違いありません。あなたのお陰でこれから闇種族(エヴイレイス)は、大きく変わりますよ」


「そうでなくちゃ困るわ」


 私は肩掛け鞄から一冊の本を取り出し、サハデーに渡した。


「これは?」


「現時点で、私が使える全ての魔法を記しておいた本。言うなれば魔導書ね。これを読めば、サハデーくらい頭がよければログナカンでも魔法を使うことができるようになると思う。これ、あげるわ」


「そんな……これだけの武功をあげておきながら、更にここまでしていただくなんて――」


「この戦いが始まる前に、エウトーと約束したじゃない。ログナカンに魔法を、って。私、エウトーもあなたも好きよ」


 私がそう言うと、サハデーは瞳を閉じて天を仰いだ。


「お気持ちは嬉しいのですが、私には既に妻子がおりまして――」


「そういう意味じゃないわよ!」


 本当に、ログナカンって面白い。


「でも、これでエウトーの頼みには全て応えたわ。次はそちらが私との約束を守る番よ」


「わかっています。我々は今後、人間、ハーフエルフ、フォレストエルフ、ドワーフを食さないことを誓います」


「口約束だけど、必ずエウトーに伝えて。もし約束を破ったならば、ディルギノ氷公を討ち取った紅の魔女が、今度はログナカンに災厄をもたらすぞ、ってね」


「え、ええ。きつくお諫めいたします。今日のことは、将軍も同士たちも、心胆寒からしめるものを感じたでしょうからね」


「慢心は過去の苦労を忘れさせるわ。まして実際にディルギノ氷公を討ったのはこの私で、エウトーじゃない。それを肝に銘じておくことね」


 私はきつく念押しすると、この怒号と、悲鳴が飛び交う戦場に背を向けた。


「もう行かれるのですか?」


 サハデーの声に、私は立ち上がって、深く頷いた。


「あなたの献身的な手当て、とても嬉しかった。エウトーたちと話せて、凄く楽しかった。ありがとう」


「こちらこそ、百の礼でも足りません。誠に、ありがとうございました」


 私はワンドを持った右手をあげて、この場を去った。


 しばらく南に歩いて、戦の歓声が聞こえなくなったところに、小川が流れているのを見つけた。

 私はそこで水を飲み、空になった水筒を補給する。

 そして川辺で、倒れ込んだ。


「がはっ、はぁ、はぁ……」


 全身から汗が止まらない。

 身体が重い。頭の中が混濁している。

 まるで時間差で次々と疲労が襲ってくるようだ。


 上級魔法をあれだけ連発で使ったのは初めてだったから、反動も凄まじいんじゃないかと思っていたけれど、予想を超えていた。


「ゴホッ、ゴホッ……」


 咳が止まらない。

 戦場にいた時、緊張感でなんとか抑えていた不調が、身体の芯から噴き出してきた。

 ごつごつした石の上で、仰向けになる。


「キツ、かっ、たぁ……」


 荒い息を整えつつ、空を見る。

 一面、灰色だった。


「雨、降られたら、キツいなあ」


 祈るように呟く。

 闇種族(エヴイレイス)の雄、フロージアのディルギノ氷公。

 その名に違わず、とんでもない強さだった。


 最初にして最後に使った『万物埋没の魔法(ダークフォール)』は、奥の手だ。

 それまでの魔法で倒せると思っていたけれど、甘かった。


万物埋没の魔法(ダークフォール)』はかなり特殊な上に、上級魔法の中でも扱いが難しい。

 多くのマナを使うし、術者本人の体力も大きく消耗する。


 しかもその後にもう一度『円刃覇斬の魔法サークルオブデス』を使わされている。

 あの時点で、意識を失ってもおかしくなかった。


「ああ……」


 背中がごつごつして、とても痛い。

 でも、動く気力もない。


 微睡みにも似た感覚の中で、誰かの声が聞こえてきた。



“君に元気がないと僕まで調子が狂っちゃうから、今はとにかく元気を出して”



 今、彼の声がハッキリと聞こえた。

 こんなに明確に脳裏をよぎったのは初めてだった。

 私に元気がないと、あなたの調子が狂うの?

 だったら、頑張らないとなあ。



“きっと楽しいことは、これからあるから”



 それは嘘だよ。

 今までの人生で、私にいいことなんてなかったよ。



“君は僕とあの場所に行くんだろう? さあ、行こう!”



 あの場所……あなたと一緒に?

 それはどこなの?


 もう動けないと思っていたけれど、震える身体に力を込めて起き上がった。

 ねえ、私の中にいるあなたは誰なの?


 旅を続けていれば、そのうち会えるかな。

 私は「もう疲れたよ」と零しつつ、彼を想い、再びこのアレンシアの大地を歩き出した。

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