06話 ディルギノの脅威
その後。
私は“有翼の魔法”を使い、ログナカンらよりも早く決戦の場へと赴いた。
ロクナック北西軍の砦から決戦の地まではそれほど遠くなかったので、体力の消耗も最小限ですんだ。
大氷山脈とはよく言ったもので、目の前に広がる山々には岩肌が殆どなく、真っ白い雪と、青白い氷の長城が続いているようだった。
私が立っている場所は草がまばらに生えており、一応、草原と呼べる……のかもしれない。少し前方には、大氷山脈の中継地点であるセスコム荘へと続く道がある。
つまり、ここが玄関口。
ここからフロージア軍が出てくるはずだ。
「ふふっ、最高のショーじゃない。楽しくもなんともないけど」
ある意味、アレンシアに落とされた二つの異端が、数ハル後にここで対決するのだ。
一人は闇種族最強にしてアレンシアの支配を目論む怪物、ディルギノ氷公。
一人はただのひ弱な人間にして、この世界に魔法という力を広めている、紅の魔女マール。
「お金、取れるんじゃない?」
私はログナカンからもらった、元がなんの肉だったのかはわからない干し肉を囓りながら独りごちた。
辺りのマナを確認する。草から緑、風から水色、氷から青、陽光から白、土から茶、双月の残滓からは紫……。
これらが虫のように漂い、舞っている。
私にとってこれらこそが最大の武器だ。
いかにしてディルギノ氷公を倒すか、策は定まった。
私は魔法を唱えながら、入念に辺りを歩いて回る。
やがて、私の背後から土煙があがった。
ログナカン軍、五〇〇〇だ。
彼らは四足歩行の大きなトカゲのようなものに乗り、私の元に駆けつけた。
どの兵士もかなり厚着をしており、あれだけ着込めば普通の矢は通らないだろうと思えるほどだった。
「マール」
一騎、前に出てくる。
エウトーだった。
「間に合ったか」
「遅いよエウトー」
「すまん。これでも最速で軍を興したのだが。なにせ相手がフロージアだと知ると集まりが悪くてな」
「え、それじゃあ――」
「安心しろ。北西方面軍、全てここに集結した。なにせあの化け物のような“ディルギノ氷公”と、噂の“紅の魔女マール”の対決だからな。それを話したら、一気に全軍集まった」
「あはっ、確かに見物だもんね」
あとは、あの山道からフロージア軍が降りてくるのを待つばかりだ。
「エウトー、いい? 私がディルギノ氷公を討ったら、迷わず全軍で攻撃をかけて。間違いなくフロージア軍は総崩れになるから」
「ああ。信じているぞ」
まさか、ログナカンに“信じている”って言われる日が来るとは思わなかった。
同族である人間にすら言われたことがないのに。
それが面白くて、くすっと笑ってしまったその時。
正面の山道から、ドドド、という低い音が聞こえ、地面を震わせる振動がここまで伝わってきた。
フロージアらの軍が、下山してきたのだ。
「お、おお、おおおおおお!?」
同様と困惑が、ログナカンらに伝播していく。
私は左手に幻惑の杖、右手に精霊のワンドを構え、正面の軍を見据えた。
ログナカン軍が五〇〇〇とのことだったので、今、対峙しているフロージア軍はざっと見て四倍だから……二〇〇〇〇はいる。
その体躯は一兵卒に至るまで生粋の戦士であり、この大氷山脈という過酷な環境が育てた精鋭の軍だ。盛り上がった腕や太ももに、全員が真っ白な頭髪に、髭を生やしている。
そんなフロージアが規則正しく横陣を布き、巨大な旗を何本も打ち立て、威風堂々としている姿はまさに圧巻だった。
対してこちらはサハデー指揮の下、円形の陣で対応していた。
フロージアが暑さに弱いことに対し、ログナカンは寒さに弱い。
故に、まともな戦となれば、ログナカンの負けは必至だ。
この戦い、全ては私にかかっている。
あま、そのつもりで始めたのだけれど。
私は堂々とフロージアの軍に向かって歩き、高らかに声をあげた。
「我こそは紅の魔女マール! アレンシアで最強の魔法使いである。音に聞こえしフロージアのディルギノ氷公! 私と戦う勇気があるのならば前に出よ!」
今や“紅の魔女”の名は、アレンシア中にとどろいている。
この真紅の髪を目にしたフロージアらの隊列と心が微かに乱れ、動揺とざわめきが起こった。
そんな中、私の正面の兵が左右に割れ、奥からひときわ大きなフロージアが歩いてきた。
「紅の魔女の名は北方にも聞こえているぞ、マールよ。そなたがそうなのか? ユキネズミが如き小さき娘なのだな! 笑ってやれぃ!」
わははは、と、二〇〇〇〇のフロージアが笑い出す。
後方の山に積もった雪が、その音量でどさどさと落ちた。
私は予めワンドに集めておいたマナで瞬時に魔法陣を描いてワンドを刺すと、高らかに笑うフロージアに向かって叫んだ。
『詠唱破棄、光線刃の魔法!』
次の瞬間、正面の大柄なフロージアの、頭の真横を細い光の刃が突き抜けた。
青い血が噴き出し、小さな肉片が空に舞い上がり、草の絨毯の上に落ちる。
それは左耳だった。
「ん~、まだ詠唱破棄だとこんなもんか」
平然と頭を掻く私に対し、フロージア軍は口を開けたまま言葉を失っていた。
「あー……まさかとは思うけど、あなたがディルギノ氷公?」
耳を飛ばされて、右手でその傷を抑えていた白い肌のフロージアの顔が、真っ赤に染まる。
「そのまさかだ小娘ぇ!」
ディルギノ氷公が、背中から大剣を握りしめて構えた。
「うっそだあ。身体は確かに大きいけど、こんな隙だらけの戦士が、あの氷公なのぉ?」
ディルギノの額に血管が走る。
気づくと、ディルギノは目の前にいた。
一瞬にして間合いを詰めてきたのだ。
ディルギノはその大木のような右腕で、両刃の大剣を振り下ろす。
「いっ!?」
私はなんとか左に飛び退いて、その一撃を躱す。
間一髪だった。
ずん、という轟音とともに地面が抉れ、突風が巻き起こる。
その威力は大地を揺るがし、両軍の兵は身体の平衡を保たなければならないほどだった。
正直、今のはかなり危なかった。後ろに下がったら剣圧で傷を負っていたかもしれない。そして右に避けていたら、ディルギノがそのまま右腕で大剣を振りあげれば、私の身体は真っ二つだった。
「ふう、さっすが!」
こうして、フロージアの絶対君主ディルギノ氷公と私、紅の魔女の戦いが始まった。
一瞬でも気を緩めれば、即、勝敗は決する。
私は着地してすぐ魔法陣を描き、ワンドを振る。
『外印展開の魔法!』
私の前に魔法陣が描かれた後、その奥に五つの魔法陣が現れる。
魔法は通常、詠唱しながら外周と内周に円を描き、その間に構文を流し込んだ後、中央にシンボルを書いて魔法の名を詠唱し、ワンドを円の中心に刺すことで発動する。
でも、これまでの様々な試みで、外周と内周に詠唱文を書き込む必要はなく、頭の中で思い浮かべた構文をワンドの先に流し込み、魔法陣に当てるだけで自動的に構文が書き込まれていくことを知った。これにより、数倍早く魔法を唱えられるようになった。
そしてこの『外印展開の魔法』は、あらかじめ準備した魔法陣を圧縮、封印し、一つの魔法陣に納めておく、というものだ。
さて、この五つの魔法で思った通りに戦えるだろうか。
いや、やるしかないか。
『無欠防護の魔法!』
五つの魔法陣のうちの一つが、私の背中に移動する。
この魔法の効果中は、どんな攻撃も一撃だけ防げるというものだ。
ゆらりと、ディルギノが地面から大剣を抜いてこちらに背を向ける。
あの巨躯にだまされてはいけない。ディルギノの動きは、かなり速い上に、その膂力は桁外れだ。
一撃でも食らえば、そこで終わりだ。
「次っ!」
ここは、たたみ込む!
『火炎蛇鞭の魔法!』
二つ目の魔法陣から無数の、鞭のような炎がディルギノに向かって放たれる。それは蛇のようにうねり、全方位から対象を絡め取るように動く炎系の上級魔法だ。
「むう……ぬぅんっ!」
しかしディルギノは私の魔法に対して腰を落とし、両腕で持ち直した大剣を思い切り、振り回す。
私が放った魔法は、そのたった一振りで消し飛ばされた。
「フロージアに対して炎で攻撃してくるのは、当たり前じゃろうが!」
そんなことはわかっている。
だから、今度はこの魔法だ!
『螺旋炎縛の魔法!』
三つ目の魔法陣が輝く。
ディルギノの足下から炎のロープが現れて、その身体を焼きながら縛った。炎のロープで対象を縛って自由を奪うと同時に、炎でその皮膚を焦がす。もちろん、上級魔法だ。
「ぐ、うおおおおおおおおおお!」
肉が焼ける臭いがする。
自分でも言っていたが、炎に弱いのは明白だ。
残り二つで……決まっちゃえ!
『青炎虎爪の魔法!』
四つ目の魔法陣にワンドを突き刺す。
今度はより高熱な火炎系魔法だ。巨大な青い炎の虎が飛び出し、ディルギノを包み込んで動きを封じつつ、その身体を焼く。この魔法で炎はあがらない。あまりに高温すぎて皮膚などすぐに炭化し、一気に筋肉や臓腑を焼ける、太陽の炎がごとき上級魔法だ。
「ぐぅ……!」
ディルギノが、炎によって拘束される。
読み通りだ、効いてる!
ここで首を飛ばす!
『円刃覇斬の魔法!』
最後の魔法陣を使うと、大きな円盤形の刃がディルギノに向かって飛んでいく。
上級魔法、円刃覇斬。鉄をも難なく両断する円盤状の刃だ。これで橙と青の炎に包まれて動けないディルギノの首を狙う。いくら氷公と呼ばれていようが、暑さや熱に弱いフロージア族であることに変わりはない。そして首を飛ばせば、いくらなんでも生きてはいられないだろう。
勝った。
と思った、その時だった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
爆音と共に私が縛り、焼いていた炎が弾き飛ばされる。
首を飛ばすつもりで放った円形の刃は、ディルギノによって大剣で真っ二つにされた!
「……うそ、でしょ?」
四つの上級魔法を使って、通じない?
私は唖然とした顔で、目の前に立つ、肩で息をしている悪魔のような男を見上げていた。




