02話 声
気がつくと私は、黒と紅の水に浮いていた。
ここはどこだろう?
不思議に思っていると、私の上を小さな光が通り抜けているのが目に入った。
なにこれ。
そっと手を伸ばして、光に触れてみる。
【それに……しても……なぜ、こんな……】
ああ、なんだろう。この心に染み渡るような声。
ずっと前から知っているようで、ついさっき聞いたばかりのような。
もっと聞きたい。
私は辺りを探して、光に触れる。
【じゃ……あ、ここ……に書かれ……ているのは……】
なにを言っているのかはわからないけれど、その声だけで胸が熱くなる。
そして、涙が溢れてきた。
「うう、うう……わああ……ん」
私は嗚咽しながら、黒と紅の水面から立ち上がる。
凄く懐かしい。
とても切ない。
でも嬉しい。
なのに、悲しい。
本当にわけがわからないけれど、どこか幸せな気持ちになれて……漂っていた最後の光を捕まえる。
【マー……ルが……ディル……ギノ氷公……を倒し……た】
ディルギノ氷公?
それって闇種族フロージアの王じゃなかったっけ。
私がそんなことを?
その時、黒と紅の水面が白い輝きに包まれて、私の身体が透けて消えていく。
「ちょっと待って!」
もっと、あの声を聞きたい。
もっと、その人に触れていたい。
もっと……。
手を伸ばしたけれど、その手も消えて。
私は覚醒した。
「おや、目が覚めましたか?」
聞き慣れぬ言葉で、話しかけられる。
私はベッドで寝かされていた。
この部屋は、岩をくりぬいて作られたようだ。
ろうそくの灯りがてらてらと辺りを照らし、岩の陰影を映し出している。
「こ、こは?」
声の方に顔を向けながら言って、ぎょっとした。
トカゲの顔、鱗を纏った身体に、太い尻尾。
闇種族、ログナカンだ。
私は咄嗟に布団を胸元に持って、壁を背にする。
「うっ!」
岩壁に触れた背中と左肩に、激痛が走った。
「まだ無理をなされてはいけません。手当てはしましたが、エウトールル将軍の矢をまともに受けたと聞きました。完治するまで数ヶ月はかかるでしょう」
私はそのログナカンの言葉で自分の身体を改める。
傷口には清潔な包帯が巻かれ、奇妙な服を着せられていた。
「ここはどこ?」
「我らログナックにある前線基地の一つ、北西方面軍の拠点、スターニョの砦です。私はサハデーヴァと申します。サハデーで結構です」
その大きくて、まん丸な球体の目を細め、私に一礼する。
ログナカンにしては、とても礼儀正しかった。
「スターニョの、砦? 確か、北の、大氷山脈の、近くにある……」
かなり長く意識がなかったのか、口が上手く動かない。
私は周囲のマナを集めて、身体を動かせる程度にまで体力を戻そうと試みた。
「さすがは紅の魔女、博識ですね。その通りです。あなたはグレイウッズとの国境付近を警邏していたエウトールル将軍と戦って傷つき、七日間も意識がなかったんです」
「そん、なに……私を助け、てくれ、たのが、あ、なた?」
「正確には違います。治療はしましたが、ここに連れて帰ってきて、あなたの手当てをしろと命じたのは、エウトールル将軍です」
エウトールル将軍。
私が戦ったあのログナカン、将軍だったんだ。
「許さ、れるなら、私のワン、ドを返し、てもら、える?」
「いいですとも。元々、あなたの荷物に手をつけていません。そこにまとめて置いてありますよ」
サハデーが指さす先に、幻惑の杖と肩掛け鞄、そして精霊のワンドがあった。
体力は、かなり回復している。
マナも大丈夫。茶色が多いけれど、緑、青、白が揃っている。
思ったよりもマナが豊富なので、もう身体も動かせる。
以前、意識を失った時は動けるようになるまで時間がかかったけれど、私は知識と経験から、マナの力を借りればずっと早く動けるようになることを学んでいた。
そうしなければ、命を落とす場面に何度も遭ってきたから。
「……ふう、よし! サハデー、私の傷は完治するまで、数ヶ月かかるって言ってたわよね?」
「ええ。特に左腕はもう、元に戻らないかもしれません」
「では、ここで一つ、魔法をお目にかけましょう」
「はい?」
私はベッドから降りて、右手でワンドを取る。
確かに、左腕は動かすだけで顔をしかめてしまうほど痛かった。
「サハデー、少し下がって」
そう言って彼を下がらせると、私は衣類を脱ぎ、包帯を外す。
全裸になった私は、左腕の傷を見る。
多少、膿んではいたけれど、綺麗に縫いつけられていた。
ワンドで三重の円を描き、魔法の構文を流し込んで、詠唱する。
「ちょ、ここを壊すような魔法は困りま――」
『我の傷を全て治せ……完全治癒の魔法!』
ワンドを魔法陣に突き立てると、魔法陣が私の私に向かって近づいてきて、胸側から、背中へと、ゆっくり通り抜けていく。
「うっ……はぁ、はぁ……」
重しを乗せられたかのようなだるさが全身を襲い、倒れそうになったが、なんとか踏みとどまった。
「ど、どうかしら?」
私が噴き出す汗を腕で拭いながら言うと、サハデーは眼球が落ちそうなほどに見開いた。
「これは、なんという……」
二の句が継げない、といった表情だった。
私の身体は、なにもなかったかのように傷が消えている。背中の痛みもない。
疲れたけれど、魔法は上手くいったようだ。
「これが紅の魔女が使う法術“魔法”よ。この“完全治癒の魔法”は、かなり体力を消耗してしまうけれど、傷や病気、毒も治せる最強の上級治癒魔法なの」
「いやはや驚きました。さすがですね。隙を突いてあなたを食べてようとした同士三体を撫で斬りにしたエウトールル将軍の目は、確かだった」
「えっ!?」
今、さらっと怖いことを言われたような。
「とにかく、傷を治すのに疲れてしまったけれど、折角だからエウトーに会わせてもらえる?」
私は奇妙な衣類を着ながら、サハデーに頼む。
「勿論ですとも。エウトールル将軍からは、マールさまがお目覚めになったらすぐ、作戦室に連れてくるよう仰せつかっております。今の時間ならば、ちょうどおられるでしょう。歩けますか?」
「ええ。じゃあ、今から行きましょう」
「では、こちらへ」
私はワンドを帯に差し、肩掛け鞄と幻惑の杖を持ってサハデーについていった。




