01話 美味しく食べてよね
フォレストエルフの町を旅立ち、親友リアノと別れて四年が経った。
双月暦五二四年。
この間、私はアレンシア中の村から町へ、町から城へ、城から国へと旅を続け、多くのものたちに魔法を伝えていった。
今や“紅の魔女”の名はアレンシア中に知られている。
畏怖され、嫌悪され、尊敬され、招かれたり、追い出されたりという不思議な存在だ。マナが見えない彼らからすれば、私が無から有を生み出す術を操るように見えるらしい。
それを不気味と捉えるか、有用と捉えるかは相手次第だ。
魔法によって便利になったことがたくさんあると喜んでくれた人もいる。それが一〇〇人のうちの一人でもいれば、この旅に少しは意味があるんだと思う。
この四年間で、私はアレンシアを二周くらいしたかもしれない。
それは筆舌に尽くしがたい、過酷な旅だった。
時には戦場に連れて行かれ、陽種族軍に加わって医療班に入ったり、わざと闇種族に捕らえられて、“十日間以上、町や村にいると災厄に襲われる”という呪いを利用され、拠点を潰すのに利用されたことすらあった。
なにが陽種族だ。
やっていることは闇種族以下だと憤り、私は戦場を離れた。しかし皮肉にも、この時に私が破壊した城が闇種族側の重要拠点だったらしく、戦況は一変。
今では陽種族優位に戦争を進めているという。
そんなつもりじゃなかったのに。
私はどこに行っても、喜びを得られることなどなかった。
魔法を伝えるということ以上に、同行者や町などを災禍に巻き込んでしまうという噂の方が強く印象づけられたらしく、この紅の髪が恐怖の象徴として増長されていた。
町にいれてもらえず、食料が手に入らないことが何度もあった。仕方なく魔法で狩りをしたり、森や山で果物や木の実を集めて、それで何日も飢えを凌ぐのが普通になっていた。水は雨でなんとかなったけれど、暑さや寒さはどうにもならない。寒い夜はボロボロになったローブを握りしめながら焚き火に当たって冷えた身体を温め、猛暑の昼はシャツ一枚になって木陰と涼風を求めた。
正直、辛かった。
こんなにも辛いなら、いっそ……と思ったことは、何度もある。
そんな私の支えになってくれたのは、親友と呼んでくれたフォレストエルフのリアノと、どこからともなく聞こえてくる誰かの声だった。
今日も雨が降っている。
私は街道の脇にあった岩のひさしの下に座り込み、項垂れた。
疲れた。
辛い。
おなか空いた。
寂しい。
そんな負の感情ばかりが、私を覆う。
マールの村にいた頃は、純粋に楽しかった。
フォレストエルフたちは、みんな優しかった。
でもそれは私が“紅の魔女”として世間に知れ渡る前の話。
今でもリアノは、私を親友と呼んでくれるかな。
そんなことを考えて、鞄から木の実を取り出そうと身体を横に向けた、その時だった。
どす。
「いっ!」
鈍い音を立てて、背中に鋭い痛みが走った。
冷たく鋭いなにかが、右の肩甲骨下に突き刺されていた。
これは……矢だ。
「うーっ、ううーっ!」
背中に手を伸ばすが、どちらの手も届かない。
激痛だけが増すばかりだ。
射られた方向に目を向けると、雨の中、黄色と赤のマナを感知した。
しまった。
ここは闇種族ログナカンの縄張りだったんだ。
私は慌てて杖を持ち、走る。
後ろから追ってくる気配は五つ。
ログナカンは二足歩行するトカゲのような種族なので、雨に強い。
このままでは逃げ切れないと思った私は、腰からワンドを抜き、雨水が放つ青のマナと、白のマナを集めて、魔法陣を描き、目を閉じて気配を探った。
囲まれている。
二体のログナカンが、しゃあああ、という独特な呼吸音を放ちつつ、私に弓矢を向けている。三体のログナカンはトライデントを手に、接近戦で私を仕留めようと隙をうかがっていた。
『我に氷雪の力を貸せ。氷柱槍の魔法!』
痛む右腕で握ったワンドを魔法陣に突き刺す。
次の瞬間、魔法陣から無数の氷柱が飛び出して、雨を引き飛ばし、周辺のログナカンらを貫いた。
「グエッ」「ガアアアッ!」「ギエェ!」「ゲアアアア!」
私は耳を澄ませて集中し、叫び声と、倒れる音を拾う。
……四つしかない。
一体外した。
しかもこのログナカンは、私が攻撃手段を持っていることを察知し、雨の暗がりに身を隠している。もし、逃した一体が弓矢を持っていたら。
そんな嫌な予感は、激痛とともに現実となった。
どす。
左肩を矢が貫いていた。
「ぁああッ!」
思わず悲鳴が出る。
ログナカンは人間よりも肌感が鋭い。
今の声で、矢が命中したことが悟られただろう。
私は位置を変え、岩陰に隠れる。
意識を失い、倒れそうになるのを痛みで覚醒させ、渾身の力で魔法陣を描く。
座ったら駄目だ。
多分、もう立てなくなってしまう。
休むのは、もう一体のログナカンを倒してから。
そう決めたから、私は二つ目の魔法陣を宙に刻んだ。
刹那。
正面にちらりと赤いマナを感じた。
まずい。
私は痛みを堪えて横に避けると、その場に矢が突き刺さった。
岩にヒビを入れるほどの力。
さすがは闇種族だ。
でも……私に位置を知られたのは大失敗だと思う。
『大炎柱の魔法!』
ごおっ、と、地面から炎の柱が立ち上る。
降り注ぐ雨が焼かれ、白い煙と化した。
「ギャァアアアアア!」
突然現れた高温によって、一体のログナカンが悲鳴を上げながら、もうもうと立ちこめる炎柱の横に倒れた。
私はすかさず、もう一つの魔法陣に向かって叫んだ。
『螺旋巻蔦の樹縛!』
懸命に腕を上げてワンドを魔法陣に刺す。
私の視線と意識は、倒れたログナカンにある。そのログナカンの下から無数の蔦が現れ、あっという間に大地と固定させた。
「グエッ!」
束縛が強かったのか、声を漏らす。
私は辺りの気配を探り、敵意や殺気を感じなくなったのを確認して、ワンドを腰に差し、ログナカンに近づいた。
彼は細い蔦にあらゆる箇所を縛られ、首から上だけが自由になっている状態だった。
「こ、殺せ。部下たちと同じようにな!」
トカゲの顔の戦士が、見下ろす私に言う。
「はぁ、はぁ、ぶ、部下……あなた、名前は?」
「なに?」
「なーまーえ!」
「エウトールル」
「そう、いい名前ね」
私はがくりと膝をついて、エウトーに語りかけた。
「ねえ、なんで私を襲ったの?」
「は?」
愚問じゃないか、と言わんばかりの反応だった。
普通なら、そうかもしれない。
「我々はログナカンで、人間は我らのエサだ。それ以外になんの意味がある。それに女、なぜそんな流暢なログナカン語を話せる?」
「へへ、おど、驚いたでしょ。伊達に“紅の魔女”と呼ばれているわけじゃないの」
「紅の魔女だと!?」
エウトーは無理矢理首を上げて、私の顔を確認する。
「真紅の髪、真紅の瞳の人間。そうか、お前があのダークエルフどもに忌々しい魔法というものを教えたという、紅の魔女か!」
「へぇ……闇種族にも知れ渡っているのね。光栄なことだわ」
彼は、珍しいログナカンだな、と思った。
だって、こんなに人間と話をしてくれるのだから。
「いいよ。あなたになら、食べられて、あげるよ」
「なに?」
私は、どちゃり、と、音を立てて倒れる。
今更ながら、ここがアレンシアの真ん中、ヴァスト山脈の北部にある闇種族ログナカンの領土、ログナックだったと気づいて、不覚を取ったなあと悔やんだ。
しかし――
「私はご覧の通り、普通の人間じゃない。呪われた魔女だから。陽種族からも闇種族からも疎まれているわ。もう疲れちゃった。えへへ」
しゅるる、と、エウトーを縛り上げていた蔦が土に還っていく。
まもなくエウトーは自由の身になった。
これなら、私のような手負いの人間を瞬殺することなど容易いだろう。
「があああああああああ!」
エウトーが暴れ出す。
それと同時に、私の方は目が霞んできた。
血を流しすぎた上に魔法を使ったのだ。
並の魔法使いなら、即座に気絶していてもおかしくない。
「まあ、せいぜい、わ、わたしを、美味しく、たべてよね。痛くしないでくれると、うれしいかな……」
意識が遠くなる。
もう目を覚ますことはないだろう。
私の人生は、これで正解だったのかどうかはわからない。
でも、もういいや。
なんの罰かは知らないけれど、これだけアレンシアに魔法を広めてきたんだ。
もう終わらせても、いいよね。
ね?
そして私は、雨の音を心地よく耳にしながら、意識を失った。




