03話 終わりの始まり
私が着地に選んだのはラミナの街の外れ、街道からも少し離れた茂みの中だ。
ここからだと街を囲う壁や、街道を行き交う旅人たちが目視できる。
着地の際、こちらに視線を向けるものはいなかったので、空から降りてきた私を目撃したものはいないだろう。空を見上げると、私と同じように空を飛んでいるものは全くおらず、大きな鳥が悠々と旋回しているだけだった。
現時点では、私以外にこの『有翼の法術』を使えるものは、いないのかもしれない。
そして、マナを法術に変換する方法を知っている人間は、私以外にいるのだろうか?
私がラミナの街に行きたかった理由の一つは、それを確かめるためでもある。
マールの村には法術を使える人が全くいなかったけれど、あそこは隔絶された特別な村なので参考にはできない。しかし人々が行き交うラミナの街なら、なにか情報を得られるかもしれない。
しばらく水を片手に息を整え、それから立ち上がると、まずは街道に向かって歩き始める。時間的にはまだ余裕があるけれど、少しでも早くやるべきことを終えてマールの村に帰りたかった。
街道に出て、旅人らの流れに乗る。
すると辺りのものがぎょっとした目で私を見た。
なんでだろう、と思っていたけれど、理由はすぐわかった。
真っ赤な髪と瞳を持つ人間が、全くいないこと。そして身長が一五〇セカ程度しかない私が、同じくらいの木箱を背負っているという異様。それが周りの目を集めているのだ。
私は俯き、そそくさと歩を進める。
早く街に入って、ハーラルと作ったこの魚を売ろう。
そんな思いを抱きつつ、足を前に出した。
ラミナは想像している以上に発展した街だった。
まだ朝なのに、もう街が活気を帯び始めている。行き交う旅人の数も多く、記憶をなくしてから初めて見る大きな街に、圧倒されてしまった。
街道沿いはレンガ造りの高い建物が建ち並んでおり、どのような店か一目でわかる看板が、扉の入り口に吊されていたり、立てられたりしていて面白い。
酒場、宿屋、本屋、武器防具屋、交易所、市場……全て、何処になにがあるのか、木製の道しるべに書いてあった。
この街は大都市に比べれば大したことはないのかもしれないけれど、マールの村に比べてあらゆる施設や利用するものが、ぎゅっと凝縮されている感じで、息苦しさを感じつつも、どこか懐かしい感じがした。
歩く木箱と化している私は引き続き衆目を集めており、少し恥ずかしい。とりあえず最初の取引先は酒場にしてみた。
これが、大当たりだった。
予想は的中し、ラミナの街では肉より魚のほうが高値で取り引きされており、木箱の中に収められた一二〇枚の大きな魚は大変喜ばれた。そこでまず一枚五〇〇〇エルから交渉を始め、四〇〇〇エルで価格を落ち着け、その酒場が全部買ってくれた。
合計四八〇〇〇〇エル。大金だと思う。
正直、私は魚一枚三〇〇〇エル程度と考えていたけれど、それよりも高い相場で売ることができて満足だった。私は酒場でもらった皮袋に入った一〇〇〇〇エル金貨四十七枚を鞄の奥にしっかりと入れ、ほくほく顔で酒場を出る。
そして農具を売っている店を探そうとして辺りを見回していた……その時。
ドォン、という音と、地鳴りがラミナを襲った。
笑い声と活気で賑わっていたラミナの街は一転し、悲鳴と怒号が巻き起こる。
私は音の方を見て、胸が締めつけられた。
音の元は、北。
マールの村がある方向だった。
「う、そ?」
顔から血の気が引いていくのを感じるた。
まさか、マールの村になにかあったのでは?
嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
私は急いでラミナの街を出て、北の草原に向かって全力で走った。
もうお金は手に入れたのだから、なにごともなければそれでいい。
またラミナの街に戻って、買い物をすればいいだけだ。
轟音は、何度も続いた。
その度に地は揺れ、空気が震える。
そんな異変が起きているのはマールの村であることが、予想ではなく確信に変わった。
私は幻惑の森からやってきた場所まで駆けてくると、息を整え、水筒を開けた。
「はあ、はあ……あ!」
水筒の中は数滴しか入っていなかった。
不覚にも、ラミナの街で水を買うのを忘れていた。
「くっ!」
水筒を横に投げ、腰からワンドを抜くと、震える手で円陣を刻む。
『……有翼の法術!』
私は背中に透ける翼を広げ、羽ばたいて北へと向かった。
(お父さま、お母さま!)
不吉な予感しかしない。
何度も起こる爆音と、震える空気に体勢を崩しつつ、それを裂きながら翼を広げる。
(ハーラルッ!)
熱い想いが、私の背中を押した。
高く、もっと高く。
身体中からふき出る汗が、風に弾かれる。
ここにきた時よりも更に高く舞い上がり、空中で静止した。
「はあ、はあ……うぅ……」
意識が遠のきそうなほどの疲労感に耐え、目を凝らして北の方向を探す。
そしてすぐ幻惑の森を目にとめると、猛禽類が如く滑空した。
このまま幻惑の森そのものを越えてみようと、少しだけ考えたけれど、それができれば幻惑の森が外界と村を遮断している意味を成さなくなる。
絶対になにかがあるはずだ。
他の誰でもない、私にだけはわかる。
故に、空から森を越えるという危険は冒すさず、幻惑の森を通る方が最も早いと判断した。
こんな高所から急降下すると、急速に体温を奪われる。でも、それ以上に村が心配で、私は滑空速度を緩めることはなかった。
やがて幻惑の森の前まで降下すると、角度を戻して草原に突っ込んだ。
身体が回転し、ローブや髪に草が纏わりついたけれど、すぐに立ち上がり、森に向かってワンドを翳した。
「はあ、はあ、げ、幻惑の森よ! 私の道を、阻まないで。マールの、村に、通して!」
ぜえぜえと息を切らし、震える手でワンドを握り、目の前の繁茂した草や密集した木々に向かって叫ぶ。
すると、ワンドにマナを集めていないにもかかわらず、ざわざわと大きな音を立て、木の幹たちが生き物のようにぶつかりあって、草木が左右へと別れ、一本の道を作ってくれた。
「はぁ……はぁ……ありが、とう!」
ざっ、ざっと、森が作ってくれた道を急ぐ。
思えば行きの時も、幻惑の森は私の味方をしてくれた。感謝の心を胸にワンドを握りしめて、払拭できない嫌な予感を胸に、前へと進む。
やがて目映い光の中に身を投じて……私は、言葉を失った。
目の前にあるのは、一面の湖。
畑も牧場も、市場も家々も、なにも、なかった。
無論、お父さまとお母さまの家も。
「……うそ、でしょ?」
とさり、と、ワンドが草の上に落ちる。
それはとても、とても物悲しい音だった。
「なんで? なんでこんな……え、ああ……」
力が抜け、膝から崩れ落ちる。
「おかね、ちゃんと、もってかえってきたよ? おとうさま、おかあさま」
全てが湖面と化したマールの村を前にして、視界が滲む。
それはみるみる瞳から溢れて、頬を伝った。
「ハーラルぅ!」
喉が痛い。
鼻が痛い。
私は、腹立たしいほどの青空を見上げた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
両手を地面につき、土に額を当てて、ひたすら声をあげて……泣いた。