01話 幻惑の森
幻惑の森。
そう呼ばれる暗い森の入り口に、私は立っていた。
来るものを拒み、延々と彷徨わせて飲み込んでしまうという呪われた森。
……という噂を村で聞いたけれど、その本性は違う。
この森を通り抜けるには、いくつかの条件が必要なんだ。
その一つは、マナが見えること。
他は分からないけれど、私はその条件を満たした人間だ。
私は精霊のワンドを構えて周囲を見回すと、太陽の力である白いマナだけを集めていった。
どう考えても、この森の中は暗い。
この白いマナを灯りにして行ってみよう。
白いマナを目映いくらい集めてから、正面の密集した草むらに向かって歩き出す。
すると、草たちがざざざ、という音と共に逃げ、正面に道ができた。案の定、その先は暗いという次元を超えて、暗闇だった。
「行くわよ」
幻惑の森の中を一歩、また一歩と進んでいく。前は開けていくが、後ろは逆に閉じていく。五歩も歩くと、辺りは真っ暗になってしまった。
ワンドを掲げ、前方を照らす。
どす黒い影《かげ》と、土、木々と草むら、そして黒いマナが映し出された。
黒は、初めて見た。
私は真っ直ぐ歩きながら、この森がなんなのかを考えた。これは、なにか大事なものを守るために、森自体が意思を持っている。そう思えた。
それを表すのが、この常闇だ。
白いマナの光でなければ、あっという間に吸い込んでしまうであろう、渦闇。
見上げても黒い枝葉しか見えず、陽光を完全に遮っていた。
「なんだかわからないけれど、絶対に抜けてやるんだからねっ!」
そう叫び、ずんずんと前に進む。
不思議なことに草だけではなく、木々まで動いていた。
(これは……普通の人だったら迷って|当然ね)
旅人はこういった森に入った場合、木に目印をつけて奥へと進むらしい。
しかし、この森はその木々が動いているのだから、全く目印にならない。
そもそも、こんな夜よりも暗い森など、中々ないんじゃないだろうか。
「これはあなたと私の勝負なのね。いいよ、何日だってつきあってやるわ!」
私がそう言った、その時だった。
右手に、微かな光が目に入ってきたのは。
「え?」
まさか、と思いつつ、その光に向かって行く。
ここが幻惑の森と呼ばれているのだから、あの光は偽物かもしれない。それくらいはやりかねないな、と思いつつ、ワンドをその光に向けながら進んでいく。
しかし。
その光の先には、草原が広がっていた。
「もう抜けた、の?」
拍子抜けだけど、どうやら幻惑の森は私を素直に通してくれたらしい。
歩いていくたびに、目映い日の光が強くなっていく。
「……ありがとう、幻惑の森さん。帰りもよろしくね」
その言葉が嬉しかったのか、木々がより大きくざわめいた。
こうして早朝に幻惑の森に入ったのだけれど、抜けた頃にはまだ朝だった。
状況によっては幻惑の森の中で数日過ごさなくてはならないと思っていたので、かなりの覚悟はしていたけれど、早く抜けられる分に問題はない。
振り返ると、そこには鬱蒼として人を寄せ付けない雰囲気を醸し出している森と、巨人のようなヴァスト山脈の山々が見える。
目を正面にお戻すと、ひたすら広い草原があった。
この草原を抜ければ、目的地であるラミナの街だ。
私は思わず笑みを浮かべ、ワンドから白いマナを解放して腰に差すと、ポケットから方位磁針を取りだして方角を定め、南に向かって歩いた。
本来ならばラミナの街は、幻惑の森から徒歩で二十五日くらいかかる。
辺りには人気がなく、陽光を浴びた木がまばらに並び立ち、その下に二羽の野ウサギが戯れていた。
人の手が入っていないせいか、無数のマナが浮かび遊んでいる。
私はここで休憩しすることにした。
ここまで重量変化の法術しか使っていないのでそれほど疲れてはいないけど、正直に二十五日もかけてラミナの街に行くつもりはない。
私は木箱を下ろし、肩掛け鞄の中からお母さまから頂いたパンをちぎって口に入れ、水筒の水でそれを溶かす。
マナの法術を使うと、疲労感と眠気に襲われることを、ここ数日で知ったけれど、それも慣れてくると、徐々に感じなくなっていった。
でも、より多くのマナを使い、大きな効果を得られる法術を使うと、この症状が顕著に現れる。
マナは、この世界の力だ。
それをたかが人間ごときが使うのだから、それなりの代償は払わないとならない。
私は座って美味しいパンをもぐもぐと咀嚼しつつ、もう一度、方角を定める。
マールの村から外に出るのは初めてだから、この法術を使える人が他にもいるのかを知りたい。
もしいるのなら、話を聞いてみたい。
でも村の人たちの反応からすると、たぶんマナを見ることができる人間はほとんどいないと思う。そうなると、こんな小娘が自分と同じ高さくらいの木箱を背負って歩いているだけで、かなり目立つはずだ。
しかし私は、マールの村で待つお父さまやお母さま……そしてハーラルのためにも、一刻も早く仕事を済ませて帰りたかった。
幸い、幻惑の森は私の味方をしてくれている。
《《あの》》法術を使えば、一気にラミナの街まで行けるだろう。
私はパンを食べ終えると、立ち上がって木箱をに目を向けた。