12話 告白
木の扉を開けて、中に入る。
お母さまが私のために用意してくれた部屋は、奥の窓際に机と椅子が、左手の壁に寄り添うようにベッドが、中央には木製の丸いテーブル、右の壁際には、なにも入っていない書架と、引き出しが三段あるタンスがあった。
こんな見ず知らずの、怪しい娘にここまで良くしてくれて、本当にありがたい。私はお父さまとお母さまに心から感謝し、ワンドが入った箱をテーブルに置くと、ベッドに身を投げて仰向けになった。
……あの声、なんだったんだろ。
すっごく驚いたけれど、あの声を反芻すると、胸が燃え上がるように熱くなる。
きっと私が記憶を失う前に知っていた人の声だろう。
思い出せないのがとても悔しい。
ふと顔を横に向けると、お父さまから頂いた箱が視界に入った。
私には、特殊な技術がある。
いや、きっとこの技術は私だけのものじゃない。
マナが見えれば、誰でも使えると思う。
少しコツがあるけれど、それさえ憶えてしまえば、マナは誰の目にも映る。
この部屋にも、村中にも、無数に浮かんでいるマナ。
これを集中して操るには、やっぱりワンドが適切だ。
私は身体を起こし、ベッドから身体を滑らせて足を床につけると、テーブルの上の木箱に目を落とす。
蓋を開け、布を開き、妖艶さすら感じるそのワンドを手にしてみた。
「これだけ上質なワンドがあれば……自分のこと、なにかわかるかな?」
紅い焔をゆらりと漂わせるこのワンドから、マナの力を感じた。
「これ……マナが、ワンドそのものに?」
このワンドから発していたのは、その辺に溢れている光の球形ではなく、炎のように揺らめく赤いマナだった。
マールの村や湖では、青、緑、黄、茶、白、黒のマナを見た。
でも赤は、見たことがない。
ただひとつ確信できるのは、このワンドにはなにか、ほかのマナとは違う、強い力が込められている。
「もしこれで、赤いマナを使って陣を組んで、法術を唱えたら……」
普通の色のマナを集めた木の棒だけで、力では絶対敵わない男の子の手をお菓子のように割ってしまった。
なら、もしこのワンドで叩いたら?
私は怖くなってぶるっと身を震わせると、ワンドを箱に戻した。
とにかく、今日はいろんなことがありすぎた。
村の人たちにはマナが見えていない様子だったのに、なんで私はマナの使い方を知っているのか。
転写の法術。
治癒の法術。
分裂の法術。
これらの法術をなんで操れるんだろう?
そして不意によぎったあの声の主はだれなのか?
「あーもう、アタマが破裂しそう……」
私は頭を抱え、よろよろと歩き、ぱたりとベッドに倒れた。
翌日。
私の生活は、平穏そのものだった。
湖での一件はお父さまが動いたこともあって、ローマン・デジールたちがやってきた数々の悪事が浮き彫りとなり、今まで泣き寝入りしていた村民らも声をあげ始めたので、村じゅう大騒ぎになった。
昼過ぎには村民会議が行われ、これまでローマンらがやってきたことが真実だとわかると、デジール家は次期村長候補を取り消され、その取り巻きや仲間の女の子の家も、村での立場を大きく落とした。今は各自、家で謹慎処分を受けているという。
それもこれも、どこからともなく現れた紅い髪の女のせいだという噂が若者たちの間で広まったらしいけれど、次から次へと明るみに出るローマンらの悪行の数々が私の噂を上回っているので、すぐに打ち消されるだろう、とエセルが言ってくれた。
「イーヴァのおかげだよ。今まであいつらには手を焼いてたんだ」
マールの湖で、並んで魚釣りをしていたエセルが言った。
「あの子たちって、そんなに厄介だったの?」
「少なくとも子供がやっていい領域はとっくに超えていた。畑から野菜を盗んだり、人の家に犬の死骸を投げ込んだり」
「本物の外道ね」
「うん。でも僕は違う。何度もあいつらを止めようとしたんだけど、さすがに三対一じゃ、どうにもならなかった。大人に訴えても、デジール家が次期村長候補だってだけでもう“なかったことにしろ”だ。いちばん悪いのは馬鹿な大人たちだよ」
エセルが竿を持ったまま、しゅん、と首をもたげる。
「そんなに気落ちしないで。もし私が普通の女の子だったら、本当に酷い目に遭わされていたわ。ありがとう、エセル」
「え、あ、いや、そんな……」
顔を上げて、笑顔を見せるエセル。
私も微笑んで、彼に応えた。
今日も良い天気。
様々な色のマナが、たくさん飛んでいる。
空気が美味しい。
風が気持ちいい。
こんな美しい村でもローマンのような連中がいるんだから、人間って救えないなって思う。もっとフォレストエルフらを見習って、きちんと規律を守って暮らせればいいのに。
あれじゃ闇種族と変わらない。
「ねえイーヴァ」
不意に、エセルが話しかけてきた。
「え、あ、なに?」
「君は村長のところにいきなり現れたって、本当?」
「あ、うん。本当」
「記憶がないっていうのも?」
「うん」
夏の日差しが、私とエセルを目映く照らす。
鳥の鳴き声や、木々のざわめき、そして踊り遊ぶマナたちが、私の心を和ませてくれる。
「どこかに行っちゃったり、しないよね?」
「え?」
エセルの言葉に、胸がずきんと痛んだ。
「君のその不思議な力があれば、幻惑の森を抜けられるような気がするんだ。そうなったら君は……そのままどこかに旅立ってしまいそうでさ」
「うーん、今はまだ、そこまで考えてないかな」
私は竿が上下するの感覚を見逃さず、一気に引き上げる。
立派な魚を釣り上げ、籠に入れた。
「今はって、どういうこと?」
「もうエセルったら。なんでそんなことを訊くの?」
釣り針に餌をつけて、また水面に放る。
ぽたん、と音がして波紋が広がった。
「僕、君が好きになっちゃった」
「え!?」
エセルと私の釣り竿が、同時に揺れた。
「いや、だって、私たちが逢ったのって、昨日じゃなかったっけ?」
「そうだね」
「そうだねって、私はあなたのことをなにも知らないし、あなただってそうでしょう?」
「うん」
「それでどうして、こんな得体の知れない女を好きになれるの?」
エセルは竿を置いて、私の方に向き直った。
「畑で、村長と一緒にいた君を目にして、あ、この子だって思ったんだ。一目惚れ、じゃあ駄目かな?」
「いや、その……そんなこと、ないけど」
私は顔を熱くして、俯いた。
照れる。
「僕はきみだけを大事にする。だから、僕と、その、つき合ってくれないかな」
真剣な眼差しを向けるエセルに、私は当惑する。
でも、答えは決まっていた。
「ありがとうエセル。でも、今はだめ」
「今は?」
「うん」
私は瞬時に耳まで熱くなった。
「だって今の私は、ちゃんとした私じゃないもの。記憶を取り戻したら、すっごく性格の悪い女かもしれない。そうなってから、あなたに嫌われるのが、怖いの」
「じゃ、じゃあ、僕のことを嫌い、ってわけじゃないんだね!?」
破顔して、真っ直ぐな視線を私に送るエセル。
そこに嘘偽りは、全くない。彼は純粋に、私のことを好きになってくれたのがわかる。
参ったなあ。
エセルって、なんでこんなに真っ直ぐなんだろう。
「うん。今の私は、たぶん、エセルが好き」
「ああ、嬉しい。その言葉だけでも嬉しいよ!」
「え、わわ!」
エセルが突然、私に抱きついてきた。
私も、エセルの背中に腕を回す。
やっぱり、嫌じゃなかった。
私はこのお日様の匂いがするエセルが、好きなのかも。
でも、だからこそ、このふわふわした私をなんとかしないといけない。
そのためにも……。
「こんな自分知らずの、よくわからない女を好きになってくれて、ありがとう」
「なにを言ってるんだよ。きみこそ、こんな土臭い僕を好きになってくれてありがとう。きみのことは、必ず僕が守る!」
「うん」
この時、私は微かな幸せを感じつつ、己が成すべきことをやろうと決意した。
きっとそこに、幸せがあると思うから。
「じゃあさ、エセル」
「ん?」
きょとん、としたエセルに、私は言葉を重ねた。
「ちょっと手伝ってくれないかな。このマールの村のために」