9.親しみと不思議
「お兄さん。私が不思議に見えましたか」
警察だとはバレていないらしい。警察だと思われるのも面倒なので一般人を装う。
「あ、はい。なんとも凄い光景だなと」
「はっはっは。それもそうだよね。いや私は定時制高校の教員でね。夜こうやって集まってくる子達に声をかけているんだよ」
「なぜですか」
「定時制だとね、色んな子が来るの。当初は授業抜け出す子を探す目的で来ていたんだけど、徐々に彼らを助けたくなってね」
中谷さんは高校教員だった。普通の時間ではなく夜の時間に行われる高校「定時制高校」。そこの教員だったから彼らに対して親身になるということか。
「こんなおじさん先生が夜に回っているので夜回り先生と呼ばれてますよ」
「夜回り先生ですか」
「物騒な名前ですが、彼らからは親しみ込めて呼ばれています」
彼ら自身からもそう呼ばれていることは知らなかった。彼らには本名を言っていないのだろうか。通称でずっと呼ばれているのには理由がありそうだ。
「親しみこめて?」
「えぇ。名前先生呼びは彼らにとって嫌な学校と同じになるので、通称の方が気軽に呼べるとのことです」
私は夜回り先生こと中谷さんに様々なことを聞いた。
驚いたのは中谷さんがここにいる少年少女の名前を覚えていること。ただ話しているだけではなかったのだ。カウンセラーのような役割も兼ねているようで、電話も来るそうだ。内容は重いものが多い。軽いものはあまりかかってこないらしい。
「危ない薬を使ってしまった」
「リストカットしちゃった」
「自殺したい」
など内容は人それぞれ。中谷さんはそれら一つ一つに真剣に答える。1つの決まりとしてはすぐに起こらないことらしい。
「今持ってる薬全部トイレに流せ」
「辛いなら先生の事務所に来なさい」
「電話かけたままこちらに来なさい」
など絶対怒らずに寄り添うことで彼らからの信頼感を得ているということだ。なぜ起こらないかと言うと、彼ら彼女らは人間関係構築で何かしらを欠如しているだけで、根は私達と変わらないかららしい。親からの愛情がなかった者、友人関係が酷すぎた者などが典型的だということだ。
ここまで話してわかったことはこの人は単純に親しみやすい人柄ということ。誰かも分からない私に対してここまで話してくれているのだから。しかも、一度も私の自己紹介を求めていない。不思議な人だ。
「更生した人はいるんですか」
「いますよ」
「社会に出たんですか」
「それは色々ですねぇ」
自立も人それぞれらしい。
中谷さんは事務所と言っていたが、どうやら保護施設的な立ち位置の事務所を開設しているらしい。事務員はボランティアで集まった人や、中谷さんによって更生できた人が手伝っているとのこと。
事務所に電話が置かれており、そこに困った人達が電話して来るシステム。定時制高校という仕事場で働くからこそ見えてくるものがあるだろうし、簡単に人が真似できるものではない。恐らくこの人の代わりとなれる人はいないだろう。
「危ない薬は処分させるんですね。警察には突き出さないんですか」
「ほぉ。随分と手厳しいこと言いますねぇ」
やってしまった。つい職業的になってしまった。必死に弁解しようとするが中谷さんは全く気にすることなく話を進めた。
「もちろん警察に渡すべきです。ですがね、彼らは使ってしまったことを後悔したから電話してきているんです。警察に行かなければならない時は私も目の前までは着いていきます。電話してきたら警察に突き出すのはしません。話し合って警察に行くことになったら一緒に着いていく。最後まで彼らを信用したいから」
啞然とした。非行少年達にここまで寄り添える人間はいない。強くそう思う。つい正義に囚われていたが、非行少年達を救う方法はただ捕まえて更生させるだけではないと思い知らされた。
「凄いですね」
「いえいえ、世の中から吹き出物扱いされてるあの子たちの休憩所ですよ」
謙遜する中谷さん。どれだけ徳を積むとこんな人になれるのだ。私は自分の見ていた世界の狭さに恥ずかしさを覚えた。ただ1つの正義「悪は捉える」という理念でしか動けない私は頭が固かったのかもしれないと考えてしまう。
「まぁ私が変わってるんですよ」
と笑いながら話している。
「先生~」
中谷さんを呼ぶ声が聞こえる。
「おう、どうした!」
中谷さんは即座に返事をした。
「呼ばれてしまったので失礼します」
「あ、はい。すみません色々聞いてしまって」
「あなたはここに普段から通うような人ではなさそうでしたからね、珍しさを感じつい喋り過ぎました。では」
そういうと彼らの所へ小走りで向かっていった。
「夜回り先生、か」
おもしろい話を聞けた。私は大きな満足感を得て帰宅することにした。川崎の事件については何もわからなかったのだが構わない。夜回り先生についてメモを取って帰宅した。