1.全ての始まり
「すいません、喧嘩やってるんすけど」
普通であれば狂気の沙汰で言う言葉であろうが、慣れているのか危なげさを感じないトーンで1人の男性が入ってきた。「喧嘩なんてそんなに起こるものじゃないのだから早く止めなくては」そんなことを思った人が“もし”いたなら、それはその人の街が平和なだけである。いや違う。世界でも有数な治安のいい国日本において、ここまで喧嘩が当たり前となっている場所なんて少ないだろう。長くこの地にいると日本というイメージ全てを覆してしまう。そんな私がいるのは日本最大の繁華街「華舞伎町」近くの交番である。
「はいはい、場所はどこ?行くから」
「桜ビルの入口っすね」
「了解。向かうね」
こっちも喧嘩に焦る気はないが、少しでも焦らないと仕事放棄みたいなものだ。喧嘩を止めるのに1人で行くわけではない。もちろん複数人で行くので、ここでは最年少の私が先輩数人と共に現場へ向かうのである。
「田村さん、桜ビルで喧嘩なので急行です。」
先輩を呼ぶと奥から屈強な田村さんが出てきた。
「太田、すぐに用意だ」
そう言われると、すぐに装備1式を揃えて現場へ直行する。
時折この交番に配属されたことを後悔することがある。若い者が交番に配属されるということは一般的である。それは抗えぬ必然なのだが、日本有数の危険な街に配属されることは所謂配属ガチャに外れたということを指すと言っても過言ではない。
日常茶飯事の喧嘩に他の地域ではほとんど聞かない珍しい事件の数々。
飽きない街でありながらもまた、我々の倫理観さえも破壊し兼ねない悪魔の街。
そんな街に私「太田 敦」は所属をしているのだ。
他にも先輩を連れて喧嘩場所へ向かった。相変わらず夜だというのにこの街は明るい。燦々と照らしていくネオンが太陽の代わりを果たしていてこの街は夜の帳を知らない。天然の太陽よりも人工の太陽を好むもの達が集まるのだから、需要と供給は合っている。要するにまともな人間は少ない。
だから、私達の出番は多いのだ。暴力団の抗争や、急な火事、麻薬の売買や性的な問題まで様々な人間のエゴが絡み合ってこの街は成り立っている。そんなこの場所を素敵だと思ったら是非来てみて欲しい。昼は観光地化してるから夜に。
「太田、そろそろ着くぞ」
「はい」
目的地が見えると喧嘩で野次馬が発生していた。
どうやら喧嘩しているのは酔っ払いのようだ。このケースはかなりめんどくさい。理由は簡単で、話が通じないのと記憶が飛んでるので冷静に話を聞いてくれない。大体は交番で一夜を過ごして頂いて、起きた時に冷静になって謝るというのが一般的である。私達が来たことで野次馬は少しずつはけていった。先陣切って田村さんが止めに入った。
「お兄さん達飲み過ぎだね。はい喧嘩はやめようね」
「うるせえよ!どけや!」
まあ大体こんな感じでいつも始まる。こんなもんじゃ公務執行妨害で逮捕しない。
「俺はこいつに因縁あんだぁよぉ。殴らねえぇと気ぃすまんのや」
一応私達も力ずくで止めに入るので喧嘩自体はすぐ止まる。そこから暴れる等あると厄介なのだが、酔っ払いの力など無力と変わらん。
「はいはい、大人しくしてな。お兄さん何があったの」
完全に自由を失われているこのお兄さん達は大人しく従ってきた。
「こいつがうちの連れに絡んでたんで、間に入ったら殴られたんだ」
「んなこたねぇ。お前が突っかかってきたんやろが」
意見が割れるのは仕方ないが、双方このまま放っておくとまた喧嘩しだすので話し合いをすることになった。
「連れの人はどこ?」
「いない」
どういうことだろうか
「連れに突っかかって来たって言ってたけど」
「もういない」
一緒にいる人が喧嘩に巻き込まれて消えることなんてあるだろうか。冷静になってきたようで事態を把握しているようだ。いいことではあるのだが関西弁ではないこの男さっきから目をやけに桜ビルの入口に向けているの。顔は動かさなくても人間は目線を向ける時必ず黒目が動くのだから、その不信感から逃れることはできない。
「桜ビルになんかあるの?」
「いや、ないっす」
「お兄さん持ち物は?」
「いや、ないっす」
ん、なんか抵抗強くなってきたぞ。
「そんなことはないでしょう。ほら身分証明書見せてよ。」
「持ってない」
こいつは間違いなく怪しい人間であることは間違いない。人間は焦ると人と目を合わさない。この人物は脈が早いし先程から目が合わないので、何か隠していることはありそうだ。田村さんが私に命令をしてきた。
「太田。ビル見てこい」
「了解です」
このビルは商い目的のビルであるので、風俗や怪しい会社の名前は多く記載されている。入口に来たものの1階には何も無く2階へ続く階段があるのみ。2階から1つずつ尋ねるのも時間の無駄だと思うし、彼はずっと目線を1階に送っているので間違いなくここになにかあるはず。
床や階段裏など隅々まで見たが特に何も怪しいものはないし彼のバッグなどは見つからない。この街に手ぶらでいる訳ないのだから、彼の所持物が何もないのはおかしい。連れもいない、いや、消えた。てことは、そいつらが彼の所持物と共に私達が来た瞬間消えた。やましいことがあるからということだろう。起こり得るほとんどの犯罪が発生するこの街においてどんな犯罪であろうと驚かない。
ただ、可能性が高いのは「麻薬」だ。芸能人の麻薬入手ルートが華舞伎町だったりするので、この地は麻薬売買が未だに多い。彼は雇われの密売人といったところか。証拠もなしに彼を犯罪者にしてしまうのは民主主義国家としては許されないので、証拠を探さないといけないのだが、連れがいたなら多分もう証拠はない。
起訴もできず彼は疑いだけかけられて終わる。犯罪者だってマヌケではない。隙を見せたらこちらの負けだ。とりあえず戻るか。
戻るとなんか騒がしかった。
「麻薬所持で現行犯逮捕」
ほぉ私はやはり勘は当たったようだ
「太田、手錠」
「はい!大人しくしろよ。○月○日2時35分麻薬所持で逮捕」
「クソ!」
最後の抵抗をしているようだが、そんなものは無駄である。逮捕した時点でパトカーとともに応援が来るので逃れようはない。大人しくなっていたので、先輩に何故逮捕に至ったか聞いてみた。どうして所持していたのだろうか。
「田村さん、彼はどこに持っていたのですか」
「ポケットに入っていたぞ」
前言は撤回しとこう。犯罪者にもアホはいた。
「そんな初歩的なミスするとはマヌケですね」
「ただ、問題は彼は雇われの身。上を知らないだろうし身分証明書も取られている。それがどういうことを示すかわかるな」
「もちろんです。」
そう、この事件可哀想なのは彼自身なのである。闇社会に身分証明書を取られたらどうなるか想像できるだろうか。悪用される。恐らく彼の身分証明書は不正に売られて、危ない取り引きの際にその個人情報が使われる。
ミスをしてそれでバレても捕まるのは犯人ではなく彼。これから先無実の罪で警察に起訴はされなくとも捕まることは増えるだろう。これが闇の世界。彼が住所を変えても名前や生年月日、性別が変わる訳では無い。
逃れることは不可能な闇が彼を包んで生活していかねばならないのだ。表の世界に戻ることは不可能になった。可哀想なのは承知だがどうにも出来ない。その世界に踏み込んでしまったのは彼なのだから。
「彼はまともになれますかね」
「彼次第だ。悪に手を染めたのだから我々と敵対することはわかっていたはずなのだがな」
先輩はそういうともう1人の兄ちゃんのところへ向かった。彼は逮捕はされないが任意同行はお願いすることになる。
(ウーー、ピーポー)
応援は来たようなので私達の仕事はとりあえず関西弁の兄ちゃんを交番に連れて行って終了だ。逮捕された彼は署の人間に引き渡す。これから先彼の人生を思うと心は苦しい。仕方がない。これが正義の執行であり、私達の仕事。情けをかけて犯罪を逃すことは許されないのだ。
「太田、行くぞ」
「はい、先輩」
私の心とは裏腹にこの街は活気がいい。静かな時間、悲しみを連想させるような雰囲気はこの街には無い。悲しみを隠してくれる雰囲気が漂っている。正義とは正義なのだろうか。