騎士団長の座は渡しません1
彼女は呆然と目の前の光景を確認するように扉を開けた。
エリーゼ・サマーラン・コンスタンテ伯爵令嬢。彼女はリリトリス王国の国王の側近を務めるコンスタンテ伯爵の次女にして、王立学院の首席という才女であった。
そんな彼女が婚約者である第三王子の呼び出しで王宮にある王子の私室へ出向いた時に見たものは、普段冷静な彼女の動揺を誘うにはあまりに大きな出来事だった。
「エリーゼ」
第三王子サミュエルの藍色の瞳が彼女の姿を捉える。
まるで悪びれないその眼差しに、やっとエリーゼは我に返った。
サミュエルは全裸で来客用のソファに寝転び、その上には同じく全裸の女性が乗っかっている。どこかで見覚えのある女性の姿に、エリーゼは納得した。
「サミュエル様にはご機嫌麗しく、お呼びと伺い馳せ参じましたが、どうやら先に来客があったようですね」
無理に笑顔を作ってサミュエルに向けると、彼は「見ての通り、取り込んでいる」と先ほどの行為の続きをしようと相手の女性を促す。
「レイチェル様にもご挨拶差し上げたいのですが」
困ったようにエリーゼは二人を見る。
レイチェルと呼んだのは同じ学院でのクラスメイトで、彼女は侯爵令嬢でもあるのでエリーゼよりも地位は上になる。真面目で明るい人柄で誰にでも好かれている一方、上位貴族であることを存在意義にしている節があり、時折学院でも問題行動を起こすことがある。
この二人は本当に扱いに難しい方、というのがエリーゼの素直な感想だ。つまりは面倒な性格なので、できればお友達にならずにそっとしておきたい人たちなのに、一方は婚約者に、一方は学院での仲良しに指名されている。
エリーゼはたわわに揺れる特大メロンを眺めて途方に暮れる。
婚約者の浮気現場にたった今、居合わせており、そしてその相手は格上貴族令嬢で、この場合、何を言っても悪いのはエリーゼになりかねない。ここは見なかったフリが正解なのか、それとも糾弾すべき場面なのか、はたまた。
考えても仕方ない。
この婚約者に未練は絶対的になく、できればこの国を出たかったエリーゼとしては、これはいい機会なのでは、と気がついた。
「ご多忙中に失礼いたしました。またの機会がありましたらお伺いいたします」
そっと扉を閉めて、エリーゼはこの場所を立ち去るべく踵を返す。
「おや、エリーゼじゃないか」
背後からかかった声に足を止める。振り返り、令嬢らしい挨拶の為スカートの裾をつまみ、膝を少し落として目を伏せる。
第二王子セバスチャン。
彼には学院の先輩として世話になりっぱなしだった。知らぬフリをして立ち去れない相手だ。
「殿下、お久しぶりにございます」
年上の彼は既に学院を卒業しており、お目にかかるのは一年ぶりくらいだろうか。王城にはよく来ているエリーゼだったが、会う機会はなかった。
「本当に久しぶりだ。しばらく見ない間に一段と美しくなったね。サミュエルは幸せ者だな、君のように美しく優雅で頭の良い相手が婚約者だなんて」
本心から言ってくれているのであろう褒め言葉は素直にエリーゼの胸の中に届く。
「お褒めいただき、光栄です。ですが、婚約者というお役目は無くなりそうです」
ありがたいことに。
エリーゼは微笑んでセバスチャンの訝しげな表情に気がついて言葉にしてしまった己の迂闊さを悔いた。
「どういうことだね?」
違う方向から声がかかる。
エリーゼは内心冷汗をかきながら深くお辞儀の姿勢を取る。
「王陛下、ご機嫌麗しく」
挨拶の言葉を続けようとしたエリーゼを制して、国王はサミュエルの部屋の扉を睨み、そしてそこから聞こえてくる喘ぎ声に顔を顰めた。
「ふむ、現行犯というのも悪くはないが」
本来ならお付きの者をゾロゾロ連れて歩く国王が単身で王城をフラフラしていることはあまりない。
そんな王と第二王子に挟まれて、扉一枚を隔てて自分の婚約者の浮気現場にいる。
護衛騎士たちは素知らぬ顔で壁と同化しているが、興味深そうに耳を立てているのが分かる。
「陛下、お許し下さるのでしたら、このままそっとしておいて下さいますか。サミュエル殿下が自らお選びになったお相手とお幸せになることは私にとってもこの上のない喜びです。例え捨てられることになったとしても、私は納得しておりますので」
ちょっと大袈裟だったろうか。不審に思われたら元も子もないぞ、とエリーゼは心の底からサミュエルの幸せを願っている婚約者を演じる。
「なるほど、君の気持ちは分かった。だが、側室になっても君はあいつの側にいられるぞ」
それは困る。側室なんてごめん被る。
意地悪そうに片眉を持ち上げて、国王はエリーゼの反応を見ている。
ああ、この顔は知っている。
エリーゼは父のお供で国王と私的に謁見する機会に恵まれており、素の国王の気性も理解している。
これは面白がっている。
エリーゼは頭を抱えたい気分だった。
国王はエリーゼがサミュエルを好きではないことを知っている上、離れたいこともお見通しなのだ。
こんな時、国王を説き伏せられる国で唯一の存在である父がいれば、うまく取りなしてくれただろうに、どこへ行っているのか姿が見えない。
「エリーゼ、そなた捨てられた令嬢という噂がたっても良いのか」
この王国では女性の社会進出が進んでいるとはいえ、貴族社会において令嬢は立場が弱い。男性の庇護の元でこそ、令嬢は生きられるのだ。そんな令嬢の自分が事情はどうであれ、王子からの婚約を解消され捨てられたとあれば名誉は傷つき、次の婚約もままならないだろう。
「良いのです。幸い私は次女ですし、結婚に義務もありません。実は自由に生きてみたかったのです」
本音が漏れた。
エリーゼの言葉に国王は満面の笑みを浮かべる。
「そなたのことは我が娘とも思っている。だからこそ、幸せになって欲しいと願っていることは分かってくれ」
「畏れ多いお言葉、光栄でございます」
「うむ。その上で、王子の名誉を守ってくれるか。我が息子ながらどうしようもないアホだが、あれでも王子だ。将来の評判は守ってやりたい。君が『捨てられた』という不名誉をも飲み込むというのであれば、この先、君のしたいことを応援すると約束しよう」
真摯な国王の言葉にエリーゼは膝を折って承諾した。
不服そうなセバスチャンの様子が気になったが、エリーゼはこうして自由を手に入れたのだった。