君の心にすむ者。
外は、ピンクの海が広がっていた。桜が、満開だった。屋上から、広がる景色は、どこも、ピンクの小高い山々が、広がり、なんともいえない景色が、広がっていた。ピンクの濃淡。所々に、黄色いじゅうたんが広がり、陽の暖かさに、甘い、香りが、立ち上っていた。
「判るか?莉音?」
莉音の瞳は、開かれたまま、遠い景色を映し出していた。もともと、色素の薄い両目に、通りすぎる新幹線が、反射してみえた。だが、莉音の瞳は、光をおう事は、なく、意識もなく、見開かれたまま、そこに、あった。点滴のチューブが、日の光を反射していた。
「桜。咲いたんだよ・・・。一緒に見に行きたいって、いってたよね」
とりあえず、命は、とりとめたものの、莉音の意識は、戻らなかった。目をあけ、時折、眠ったりは、するが、発言はなく、立ち上がり、歩く事もなかった。ただ、そこには、莉音の顔をした人形がいるのと変らなかった。
「俺が、無理に離れなければ・・・。」
風が冷たくなってきたので、嶺は、カーディガンを莉音にはおらせた。遠くから、桜の花びらが、風に乗ってくる。嶺は、車椅子を押し、部屋に戻ろうとすると、後ろから、そっと、近寄る影があった。莉音の夫であった。
「こんにちは」
逆光で、まぶしいのか、莉音の夫、陸斗は、目を細めた。
「七藤さんですね?」
陸斗は、そばにあるベンチに座るよう、嶺をうながした。
「莉音。あなたが、来るのは、判るみたいなんです」
嶺は、陸斗の顔をみた。それは、莉音と嶺の間を知っているというように、聞こえたからだ。
「すいません。あなたが・・。あの時のあなたを見た時に、僕は、気づいてしまって。」
優しい莉音の夫。持っていた、嶺に渡そうとしていたのか、缶コヒーを、手の甲が、白くなるまで、握り締めていた。
「莉音の思っていた人は、あなただったんですね?」
真っ直ぐな目で、嶺を見つめていた。
「莉音さんは、何かいいましたか?」
呼び捨てになりそうなのを、あわてて、さん付けに直した。
「いえ。何も、言わなかったんですけど。一緒にいるとわかるんです。心の中に、僕じゃない。誰かがいるって事が。」
嶺をじっと、陸斗は、見つめ続けていた。嶺が、なんて、答えるか、身構えているかのように。
「すいません。」
嶺は、まず、そういった。
「彼女を愛しています。」
「ふっ・・・。」
陸斗は、笑った。
「今の状況でなかったら、殴ったかもしれませんね。」
莉音の車椅子を、押す手を、嶺から、陸斗にかわった。
「でも、僕が、話しかけても、何もかわらないのに・・。七藤さんが、話かけると、表情が、和らぐんです。あなたは、気づいてましたか?」
愛おしそうに、陸斗の手は、莉音の頬を撫でていた。
「この人の、心の奥に届いているのは、七藤さん。あなたの、声だけなんです。」
嶺の目から、涙がこぼれた。自分だって、莉音の声が聞きたい、そこにある、両目で、自分を見つめて欲しい。こんなに、傍にいるのに、莉音には、届かない。
「あなたが、莉音を愛しているのは、わかります。でも、僕は・・・。」
陸斗は、寂しそうに、笑った。
「悔しいけど・・・。彼女を譲る事は、出来ないんです。」
「柴崎さん!」
嶺は、遮った。
「お願いです。せめてもの、お詫びに・・。彼女の意識が戻るまで・・・。面倒を見させてもらえないでしょうか?」
「それは、無理です」
「お願いです。」
「どうして・・・。彼女が、事故になったか。考えてみたんです。」
陸斗は、続けた。
「携帯に気をとられたようなんです。彼女の膝の上に、落ちてて・・・。救急隊員が駆けつけた時、何て言っていたか、聞きたいですか?」
その声は、裁判の判決を言い渡す調子にも、似てた。冷静で、感情を殺した声。
「嶺の電話に出なきゃって。履歴にも、ないのに。ずーと、あなたから、電話がかかってくるのを、いたんですよ!」
あぁ・・・。莉音は、自分を待っていた。判っていたけど。別れるって、きめたあの時から、連絡はしないって。決めていたのだ・・・。自分だって、莉音に逢いたかった。
「だから。すいません」
嶺の手をはらいのけ、陸斗は、車椅子を押し始めた。
「好きだから、愛しているからって、幸せに出来なければ、何の意味があるんです?莉音を、あなたは、幸せに出来るんですか?」
そうだ。どんなに、切なく思い焦がれたとしても、相手を不幸にしては、いけない。幸せにできるのは、自分でないかもしれない。現に、自分は、今、他の女性と、結婚しようとしているではないか・・・。何も、言えない。黙って、陸斗に、押されていく車椅子の莉音お後ろ姿を見送るしかなかった。こんなに、莉音を愛している。莉音も、きっと。でも、もう。本当に、逢えなくなるのか・・・。せめて、命が助かった事だけを、喜べばいいのか・・・。遠く、桜の花が、儚く、しらじんでみえた。