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カピバラだけに留まらず、ウォルターの虎の威を借る狐ちゃんになった私の学園生活は順調だ。バックに若き公爵という大物が付いている私に、下賤な平民上がりとケチを付けるど根性の持ち主は一人もいなかったから。
ただしお勉強はしっかりしないと即落ちこぼれるのが選抜クラスの辛いところ。男子は文官キャリア、女子は王城の女官という将来への大きな足掛かりになるこのクラスは、前世の進学校っぽい雰囲気で勉強勉強また勉強。同じ学園でもAクラス以下はのほほんとしているんだけどなぁ。
色々な行事が有るらしい、としか言えないのは特別選抜クラスは自由参加の名の下に誰一人参加しないからで、お勉強が忙しくてやっていられないのですよ。同じクラスだったヒロインのステラはどんな行事も王太子と一緒、会長の王太子にゴリ押しされて生徒会役員になったりして、距離がどんどん近付くんだったっけ。思うように参加できないキャロルがヤキモキするのも仕方なかったのかも……なんて思う今日この頃だ。
そんなお邪魔虫ヒロインのステラの存在がないせいかキャロルも落ち着いたものだ。悪役令嬢が務まるだけあって沸点の低い怒りんぼさんではあるけれど、王太子と関わりが一切ない私へのアタリもごく普通。カリカリしていないので王太子との仲も拗れることなく和やかにランチを共にしていらっしゃる。
よきよき、ですことね。どうぞ末永くお幸せに!
一方のわたくし、ヒロインじゃないステラの元にはウォルターが週一で通ってきている。実はあのクラス分け試験でキャロルに抜かれるまで歴代一位だったのがこの方だ。それも人生で一番の苦難の時期、三日前にも毒盛られちゃって……みたいな時に大した準備もしないまま受けた試験にも関わらず、だ。私が二位だと聞いて随分びっくりしていたけれど私やキャロルは努力型の秀才、ウォルターは生まれついての天才なんだと思う。
シスターメリッサというブースターなき今、私の学力は安泰とは言えない。でもこうしてお世話になりながら成績急降下なんて申し分けなさすぎる。そんな不安をチョロっと溢したら、そのハイスペックウォルターが家庭教師をしようと申し出てくれたのだ。残念ながら指導中のウォルターには温泉に浸かるカピバラを愛でるようなまったり感はなくビシビシしごいてくるけれど、お陰様で私の成績はずっと上位をキープしており有難い限りだ。
それでも時折眉間を寄せて考え込みながら難問と格闘していると『尊い……』と呟くウォルターの声が聞こえてくる。ウォルターにとって私の補習に付き合うのは『推し活』あるいは『推し事』の一環なのだ。毎週毎週会いに行けるアイドル……いや会いに行けるカピバラ……はそういうものだけど、和みと癒しを求めてやってくる。難し目の問題なんかだそうものならこうやって真剣な顔で考えるし、答えを導き出せた時の『よしっ!』っていう小さなガッツポーズ、正解だった時の満面の笑顔。そういうのをすぐ側で目の当たりにできるのはこの上ない僥倖なのだ……と伯父夫妻に熱弁していた。
伯父夫妻は伯父夫妻で会ったこともない妹の子を引き取っちゃうような人達だ。息子の親友の薄幸な境遇に心を痛めていたが、その姪っ子が彼の心の拠り所となり彼の寂しい毎日に小さな灯りを点しているのだと涙ながらに語るだけじゃなく『ステラは天使だ』なんて口走ってすらいる。しかもウォルターが来る度に。打算まみれの堕天使って自覚があるので私の心の方がキリキリ痛みますわぁ。
それでもだ。こうして熱心に『推し活』ができるんだもの。ウォルターがキャロルの愛を得られなくても心配いらない気がするのよね。ウォルターは相変わらずキャロルに対して良い印象を持っていないけれども、キャロル以外の誰かと運命的な出会いでもしたらきっと溺愛するに違いないと思う。なんてったって『婚約破棄された悪役令嬢は若き公爵に溺愛される』ってタイトルの小説のヒーローなんだから、愛した人には一途なのだ。
そうして毎週会うようになったウォルターは、流石にお兄様達のステラお転婆説に疑問を感じてくれたみたいだ。
「だって私、廊下を歩くときはこうやって静静と俯かなければならないような暮らしをしていたんですよ?」
と口を尖らせながら胸の前で両手を組んで見せたら、ウォルターに大爆笑された。
「ステラの言う通り君の暮らした場所は静かで厳かなところだったんだろうな」
「だから私、ウォルター様が考えていらっしゃるような頑張り屋さんじゃないんです」
「いや、それは違うよ?」
ウォルターは私の頭をポンポンして目を細めた。
「ステラは努力家だ。そうじゃなければこんなに必死に勉強しないだろう?それに、色々なお稽古だって一生懸命取り組んでいると聞いているよ」
「だって、伯父達に恥ずかしい思いはさせられませんもの」
そういう行は無かったけれど、自由奔放なヒロインのステラの伯父達は白い目で見られまくっただろうと思う。それでもステラが王太子妃に選ばれてウハウハだったから良いんだけど。そんなウハウハは味あわせて差し上げられないのだからせめてご迷惑をお掛けしないようにと努力するのは、同時に可愛い自分の未来を守る為でもある。踏み台なんて真っ平だもの。
結局打算に行き着く私の思考なのにウォルターはそんな私を見ながら
「尊い……」
と言って味わうように目を閉じた。