追話 ウォルター・オルフェンズの憂鬱 その1
ウォルター視点の新婚生活のあれこれ。際どい話題についてもぼかしつつぼやいでおりますのてご注意下さい。
我が妻ステラは今日も可愛い。
クリーム色のワンピースを着た昨日のステラは、春の野原をヒラヒラと飛ぶ蝶のようで過去最強の愛らしさだったが、碧色に白いレースの襟が付いたワンピースの今日のステラには完敗だ。間違いなく過去イチ可愛い。ともすれば地味になるであろう碧色を身に付けてもこんなにも艶やかとは、畏敬の念すら覚えるほどだ。しかし一昨日の砂糖菓子のような淡いピンクのワンピースのステラは、言葉に表せないくらいの愛らしさだった。あの日もわたしは今日ほどステラの美しさに心踊らされた日は無かったと確かにそう思ったのに、これはどういうことなのだろう?ステラと過ごす毎日は幸せで満ち溢れていると共に、息苦しいほどのときめきに恐怖すら感じさせられる。
窓を開け身を乗りだして『おはよう!まだいたの?早く寝床にお帰りなさいな!』なんて支離滅裂にしか聞こえない内容を話し掛けている相手は、囀る小鳥ではなくヤモリだ。ステラによるとヤモリは夜行性で、こんな時間にうろちょろしていては危険なのだそうだ。『小鳥も好きですよ?』と言いながらも小鳥に話し掛ける気は更々ない、話掛けようと思い付くことすらないらしい。むしろ寝床に帰りそびれたヤモリが捕われてしまわぬように、警戒感すら漂わせている。白銀の妖精と謳われた母親と瓜二つの可憐な容姿でありながら……というギャップが生み出す破壊力たるや。慈しむような視線をヤモリに注ぎ微笑むステラは、わたしを萌え殺そうと企んでいるのだろうか?
それなのに愛しいステラと離れ離れにならねばならぬとは。その現実に引き戻されたわたしは力無くソファに腰を下ろした。
「ウォルター!」
振り向いてトコトコと駆け寄って来るステラ。駄目だ、こう呼ばれる度にわたしの表情筋は力を失い、だらりと弛緩してしまう。ステラは婚約を期にウォルター様ではなくウォルターと呼ぶようになったのだが、たった一言の『様』が付くと付かないとで胸の高鳴りが十倍、いや、百倍ほどに跳ね上がるとは夢にも思わなかった。その上以前なら、わたしが向ける好意に戸惑い狼狽え恥じらってとんでもない挙動不審に陥っていたステラが、今では躊躇いもなく懐いた猫のように膝に座ってくる。
「溜息なんかついてどうしたの?」
首を傾げてわたしの目を覗き込む可愛いステラ。だがその可愛らしさとは相反して、やはりステラは手厳しい。
「朝ご飯はちゃーんと召し上がったんだから具合が悪いなんて言ってもダメです。既にイエローカードが出てるって判っていますよね?」
「わ、判っているよ……」
念を押されて顔が引きつる。イエローカードというのはかつてステラが生きていた世界のフットボールの審判が警告に使うカードで二枚出されると退場になるのだとステラは言う。どうにも離れ難くついつい仮病を使い引き止めたわたしに、ステラはイエローカードを突き付けている。今度やったら退場……ではなく一週間伯爵邸に里帰りすると宣言され、わたしは絶望で目の前が暗転した。愛しいステラを仮病を使って欺こうとするほど離れ難いのに、一週間も離れ離れになるなんて。その上おじ様とおば様の事だ。戻ったステラを一週間で帰そうなどと思うはずがない。下手をすればあれこれ理由を付けて領地に連れ去られ、一週間どころか一月以上も手元に置くかもしれない。しかもステラの里帰りを嗅ぎ付けたジョシュアの妻やその姉達、それにフィリップの妻も何やかやと理由を付けて足止めするのは目に見えている。それはわたしに死ねと言うのと同じ意味だ。
「でもねステラ。納得がいかないんだよ。どうして君がそんな役目を押し付けられてなければならないんだ?」
「それは私も同感なんだけど……でも今のところ知識があるのは私と王太子妃殿下だけで、妃殿下はまだまだ遠出はできないんだもの。私が動くしかないの」
そう言って肩を竦めたステラが首に腕を絡めて身体を擦り寄せる。か、可愛い。今すぐ抱き上げて場所を移動したくてたまらない。そんなことをしたらイエローカードどころか一発退場だというレッドカードが出てくるから死ぬ気で踏ん張るが、可愛い過ぎるステラは実にけしらからんとしか言いようがない。そしてやはりどうにも納得がいかないのは、王太子妃からステラに与えられた任務である。
卒業パーティが開催された夜、散々迷惑を被ったにもかかわらずステラは全てを水に流し無かった事にした。そしていつしかどうしたことか、王太子妃と親友と呼ぶ他ないであろう間柄になっていた。まぁそれは良い。公爵夫人になったものの16になるまで修道院で暮らしたステラを蔑む者は一定数居る。王太子妃と親しい御学友という立場がステラを、そんな奴らの心無い嘲笑から守ってくれるであろうからだ。
それに二人には『転生者』という共通点があり二人にしか解らぬ事柄も多々あるようだ。つい先日もステラの勤め先だった動物病院と、妃殿下の自宅のモヨリエキが同じエンセンだと判明し、二人はキャイキャイとはしゃいでいた。ついでにどうやら二人が前世を終えた時期はピッタリとは一致しておらず、一年ほどズレがあるようで、ステラは妃殿下に驚かされることも多々有るようだ。ユーラクチョーのエキチカに大型のヒャッキンができた、と聞いたステラは『そんな……ユーラクチョーのエキチカに……信じられない……』と呟きカップを持つ手を震わせていた。モヨリエキやエンセンはおろか、ユーラクチョーもエキチカもヒャッキンも何を表すのかわたしにはわからない。判るのはそれがステラを呆然自失させる程のインパクトを与えるものだ、ということだけだ。
そしてもう一つ。
ステラは今自分が小説の中で生きているとは思っていないと断言した。だがしかし、今生のこの世界は前世よりも150年程遡った時代の異なる大陸の遠く離れた地域と酷似しており、その中でステラ曰く『悪目立ち』せずに生きていこうとすればするほど自分の振る舞いが『イタい』と感じるらしい。その『イタい』は感覚的な苦痛ではなく、もっとこう心の奥底でゾワゾワムズムズし恥ずかしさに身悶えるような何とも言えないものだと嘆くステラの辛さを、わたしは理解してやることができない。心底共感し想いを共有できるのは同様の『イタさ』を抱える王太子妃ただ一人なのだ。だから今、若干の悔しさを抱きながらも、ステラが王太子妃と親しくするのは不可抗力だと理解しおおらかに見守っている。
だからこそ真夜中だと言うのに産気付いた王太子妃に呼び出されたステラを、大いなる不満を見せぬように最大限の努力を払い、快く送り出したフリもした。いくらお産だからとはいえ心底快く等と求められるのは心外だ。わたし達はあの時『ピロートーク』なるものの真っ最中で、身も心も満たされこの上ない幸せな一時を過ごしていたのだ。
包み隠さず白状すれば結婚式から数日間わたしは物凄くガッツイていた。求めて止まなかった愛しいステラをようやく腕に抱いたというのに、ガツガツせずにいられようか?しかも腕に抱けば自ずとボヨンと跳ね返す素晴らしい弾力を感じるし、自分では大きいと気にしているけれども何とも言えぬ張りのある丸い臀部や、それらに反してどうしたことだと目を疑うような細く括れた腰回りという、実にけしからん魅惑のボディだと気付いてしまった以上、理性が吹き飛ぶのは不可抗力であったのだ。結果ステラの機嫌はどんどん悪くなり、予定していた婚姻休暇が終わる夜滾々と説教をされることとなってしまった。
うんざりした顔で毎晩これでは困るとステラは言われ恐縮したものの、一回のみで切り上げてお休みなさいと言われても、とても眠る気にはなれないとごねてみた。するとステラが『ピロートーク』の重要性を切々と訴えたのだ。『ピロートーク』……それは余韻を楽しみ互いの気持ちを確かめ合い更に愛情を深めるもの。だがしかし、こう毎晩抱き潰されたのでは話をする余裕などない。しかも男の想いの深さは『ピロートーク』を大切にするかしないかで推し量れるのだとも言われ、わたしには受け入れるの一択しか無かった。が、その口振りから察するに、ステラは疲れて昼まで動けず活動時間が半日に限られるのを相当迷惑がっており、それを回避せんとやっきになって言いくるめようとしているのは明らかではあったが。
だが実際に適切なところで切り上げて『ピロートーク』を実施してみれば、愛していると囁くわたしの腕の中でほわっと欠伸を繰り返す額にキスをして、むにゃむにゃと唇を動かしながら眠りに落ちるステラを抱き締めてわたしも眠る、何物にも代えがたい時間なのだと想い知らされた。ステラの言う通り『ピロートーク』は実に重要だったのだ。
それを中断させられてどうして快くなど送り出せと言うのだ。だがフリだけはした。それだけでも有難いと思われて当然であるだろう。
それなのに、だ。これ程譲歩しているわたしに、王太子妃は喧嘩を売ろうとしているのであろうか?王太子妃はステラに到底理解し難い任務を押し付けてきたのである。
それこそが『安産講座の講師』なのである。
ステラがキャロルに黙秘した理由は同じ穴の狢だったからのようです




