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 ドックン……


 痛みを覚えるくらい大きく跳ねるような胸の鼓動に私はハッと我に帰った。


 「なん……ですって……?」

 「キャロルは……異常なほど公爵に拘っていた。わたしとの婚約を解消するならば、自分が結婚するのはオルフェンズ公爵以外にいないのだと。でも公爵には取り付く島もなくまるで相手にされなくて……それでも付きまとっていたら言われたそうだ。『わたしの心を捉えているのは貴女ではない』と。それが君を指しているのは誰が見ても明らかで、実際君がオルフェンズ領を後にしてから公爵は心ここにあらずで、激しく憔悴した様子だった。だからキャロルは……こうすれば公爵は自分と結婚するしかないし、それを君に見られたとなればいよいよ君を諦めるだろうと……」

 

 私は弾かれたように立ち上がり縛られた両手で王太子の胸ぐらを掴んだ。


 「馬鹿じゃないの!なんてことするの!それに貴方、どうしてそんな作戦に乗るのよ!キャロルがどうなっても良いの?」

 「だって……だってキャロルは……」


 王太子は至近距離で怒鳴られ首を竦めながらグズグズ泣き出し、私の怒りは益々急上昇していった。自分の怒りで耳の奥がキンキン音を立てている。


 「あン?キャロルが何っ?」

 「自分を幸せにしてくれるのは公爵だけだって……そう言うから…………キャロルにそう言われたら……わたしは……わたしは……」


 唇を噛み締めて泣いている王太子から手を離すと、彼は頭を抱えて泣き崩れた。


 「泣くほど辛いならどうして言いなりになったんです!」

 「だって……だってキャロルがわたしではキャロルを幸せにできないって……そう言うから……」

 「また『そう言うから……』なの!!」


 もう一度胸ぐらを掴んだが、今度は両手をギュッと捻って締め上げた。王太子は目を極限まで見開いて震えている。いくらコイツが怠け癖があって真面目に鍛錬に取り組んでいないとは言っても、それでもこっちは乙女の細腕でしかも両手両足を拘束されているのだ。それなのに怯えて振り払うことすらできないってナニ?


 王太子?だから何だ。もう既に私の辞書から躊躇いという言葉は消えている。言わなきゃ解らんヤツには言うしかない。誰も言えないならもう結構。わたくしステラ・フランプトンが、しっかりきっちりご説明いたしますわ!


 「いい?キャロル様は宣言して欲しかったの!『そんなことはない、わたしが必ず幸せにする!』って誓って欲しかったの!それなのに言いなりになって私達を巻き込んで、アホかお前はっ!」

 「だって……キャロルの言う事を聞いていれば何でも上手く行ったから……ずっとずっと、キャロルはそうやってわたしを……」

 「だってじゃなーい!ちっとは自分の頭を使いなさい。何のために首の上にオツムを乗せてるのっ!キャロル様が身体を張るって言ってるの、アンタじゃない他の男の前でパンツ脱ぐのよ?意味わかってる?」

 「だって……キャロルが望んだことだったし…………それにわたしは……キャロルがこんなに大切な存在だなんて、思ってもみなくて……」


 王太子が泣いている。涙と鼻水とおまけに涎まで垂れ流して私の両手を濡らしながら。その情けなさったら益々私の苛立ちを増加させる効果満点だ。熱り立った私は、王太子の胸ぐらを締め上げたまま軽くジャンプした。

 

 なぜって?彼の両膝の間に乗り上げて差し上げるためですわよ!


 「きゃん!」


 そりゃもう可愛らしい悲鳴を上げて王太子は背凭れに貼り付いた。けれどもそんなことで回避できるだなんて思って貰っちゃ困るのよ。


 「で・ん・か?少々気付かれるのが遅いようですわぁ。で・す・が、気が付いたってことで今回ばかりは多目に見て差し上げようかしらぁ?」


 鼻同士がくっつく距離まで顔を寄せてそう言うと王太子は涙が飛び散るくらいこくこくと頷いた。


 「ぜ、是非ともそう願いたい」

 「じゃあ1つ質問。キャロルはどうやって既成事実を作ろうとしているんでしょう?お酒の勢い?」


 落ち着いた大人の雰囲気なんか漂わせているくせに、実はウォルターは下戸だ。酔っ払う以前に具合が悪くなってゲロってしまうくらい、アルコールを受け付けない体質らしい。だから酔っ払ったウォルターが自らキャロルのパンツを脱がせるのは、天地がひっくり返ってもあり得ない。


 「…………び……」

 「び?」

 「媚薬を……飲ませた」

 「…………っッッッッ!!何やってんのっ!それがどういうことかわかってんのっ!!」


 思いっきり揺さぶられ座席にゴロンと転がった王太子だけど、私はそのまま手を緩めずに怒鳴り散らした。


 「そんなもの、どこで手に入れたのっ?」

 「友人達が……手配してくれて……」


 投げ捨てるように手を離し窓を開けた私を、騎馬で並走していた騎士がギョッとして見ているが、だから何だ?首を出した私は御者台に向かって大声を張り上げた。


 「急いで!可能な限り急いでっ!」


 御者は突然開いた窓から王太子発ではない金切り声で命じられ、『え?へっ?ひゃっ?』という戸惑った奇声を上げたが、それでも手綱を弾く音と共に馬車のスピードが上がった。


 話が早くて助かるが、素直に私が言う事聞いちゃうんだね!


 同感だったのか隣の騎士も呆気に取られた様子だが、馬車に置いていかれそうになり慌てて後を追いかけてきた。


 うん、まぁ頑張れ!


 窓を閉め椅子に座り冷静になろうと深呼吸を繰り返した。涙が滲んできたけれど泣いてなんかいられない。しっかりしなくちゃ……ウォルターを助けなくちゃ……


 「いいこと?ウォルター様に何かあったら許さないから……」

 「ひゃっ!」


 低い声でぼそっと言った私の言葉を聞いた王太子は、悲鳴と共に馬車の角に貼り付いた。ブルブル震える情けない顔をギロッと睨みつけ、その鼻先に両手を突き付けた私は、顎をしゃくって命令した。


 「解いて」

 「え?」

 「解くの、馬車が止まったら走るんだから!」

 「す、すみません……拘束の……解き方なんて、わかりません」

 「あーーーーっ、この役立たずっ!!」


 私はもう一度窓を開けさっきの騎士に向かって叫んだ。

 

 「到着したら拘束したままで良いから、速やかに私を担いでキャロル様のいる部屋まで走って!場所はわかっているわね?」

 「…………は?」

 「これはこのままで良いから部屋まで運ぶの!」


 縛られた両手をブンブン振ったらどうにか意味が通じたらしい。王太子よりは使えそうだ。


 「場所はわかるのねっ?」

 「わ、わかり……ます」

 「よろしい!急いでいるの、頼んだわよっ!」


 縛られた両手が氷のように冷たい。私はどうか間に合ってと念じながら、それを胸元にギュッと押し付けた。


 

 

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