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「え?なんで?」
「……なんでも恋心を封じ込めるのは良くないそうだ。いつ爆発するとも知れぬ爆弾みたいなものだから、とか言っていた」
「誰が?」
「キャロルが」
「……だったら王族や貴族は爆発だらけになっていると思いません?まぁ現にそれをやらかしたのは私の両親ですけれど、あれが未だに社交界の大スキャンダルとして語り継がれているってことは、そうそう有ることじゃないからだと思うんですが?」
王太子はパチクリと瞬きをしてからことんと首を傾けた。
「だがキャロルはわたしの胸に燻る恋心は抑え込めるようなものじゃないから特に危険だと言うんだ」
「……じゃあ伺いますが……一体どんな恋心なんです?」
「え?……」
「一体わたくしの何が殿下の胸で燻っているんですか?」
「わたしはっ、君の美しさに心を奪われたんだ!」
「で?」
「……で?」
ほら言わんこっちゃないと私はジトっとした眼差しを王太子に向けた。
「他に何かありますか?」
「……他に?」
王太子は非常にわかりやすく天井を見上げて思い浮かべていたが、いつまで経ってもそれ以上の言葉なんて出てこなかった。
「わたくしだって一目惚れというものを否定するつもりは無いんです。実際わたくしの伯父は一目惚れした伯母と結婚しましたし、キャロル様だって顔合わせの席で殿下に一目惚れなさったのでしょう?……でも殿下のは何か違う気がしてならないんですよね」
「そんなことはない。わたしは間違いなく君に一目惚れしたんだっ」
「まぁいいや、取り敢えず一旦それを一目惚れと認定しておきますけれどもね?」
「取り敢えず一旦?」
「えぇ、一旦」
王太子はポカンと口を開けて私を見ている。異世界のご多分に漏れず美形男子だらけのこの世界でもコイツは飛び抜けた美男子だ。しかしながらこのポカンは美貌ではカバー仕切れないようでお見事という他ないアホ面だった。
「それじゃ殿下はキャロル様にわたくしの何を尋ねられたんですか?一目惚れしたんなら色々知りたい事がございましたでしょう?」
「……今日の髪型……とか…………」
「それから?」
「リボンの……色とか…………」
「あとは?」
「い、いや!君が何処の誰なのかという基本情報もキャロルに教えてもらったぞ」
「名前すら覚えていらっしゃらないですけれどね?結局外見以外には大して興味が持てなかったから聞き流していらしたんでしょう?」
王太子はすーっと視線をそらした。
「極々単純に殿下はわたくしの見た目が気に入っただけですよね?」
「いや……そういう訳では……」
「せいぜい情熱的な恋をして全てを捨てて愛を選んだ二人の忘れ形見っていうわたくしのバックグラウンドですかしら?しかもわたくし、その母と自分でも見分けがつかないくらい似ているんですもの。何事も平穏にがモットーの社交界ではさぞかし異端で物珍しかったんでしょうね。で、その結果、お気に入りになった。違いまして?」
「…………」
「どうやら図星のようですのでもう一つ付け加えますと」「いや、いい。付け加えてくれなくていい!」
慌てて突き出した両手をブルブル振っている王太子に細めた冷たい視線を送ると『ひっ!』と小さな悲鳴が上がった。私はそれはもう、今生で一番!というくらいの優しさを込めた微笑みを浮かべながら、遮られた言葉の続きを述べるべく口を開いた。
「そうやってたまたま目について引っ掛かったわたくしは殿下に利用されたのですわ。殿下の無い物ねだりのために」
「そ、そんなことは……」「ないなんて仰れまして?」
ピシャっと言われた王太子はぐぬんと唇を噛んで小さくなった。
「自覚されておいでなのかかどうかわかりませんしそこは追及しませんけれど、殿下は恋をしたんじゃなくて恋に落ちたと思い込みたかっただけですわ。多分ですけれどぼんやりほわほわっとした印象の白銀髪のわたくしは、はっきりキリッとした印象のキャロル様と正反対のタイプだったから丁度良かったのでしょうね。現に恋い焦がれたって言いながらようやく二人きりになれたのに、随分と怯えていらっしゃるじゃありませんか」
「だって……君が見かけとは違って……なかなか苛烈な気性の持ち主だったから……」
「ほらほら、ほーらね!でしょでしょ?そうでしょう?ズバズバ言われてドン引きなのでしょう?」
「ま、まぁ……かなり意外で驚いてはいるが……」
「驚いたりしないんですよ、するわけないんです。本当にわたくしを好きになって下さったのならね。けれども殿下はドン引きしているのですから、つまり殿下のそれは単なる思い込みの恋愛ごっこです」
「しかしだなっ、キャロルが言ったんだ。このまま結婚してしまえば君を選ばなかったことを一生後悔するだろうって」
「……で、それもそうだと良く考えることもなくあっさり丸め込まれたんですか?」
もう既に王太子相手にキレて言いたい放題してしまった後なので今さら感しかないのはわかっている。それでも倦怠期の二人がゴタゴタするのは勝手だけれど、『お願いだ、それは二人の間でどうにかしてちょうだいな!』という苛立ちを王太子にぶつけるのってどうよ?と私も一応躊躇した。しかしながら苛立っているのはどうにもならない事実である。そこで苦肉の策として縛られた両手で横にあったクッションを掴むと、モヤモヤを発散すべく思いっきり座席に叩きつけた。王太子は青ざめた顔で飛び退くように角に身を寄せ、身体をすくませている。
「断言しますけれどわたくしに王太子妃なんて務まりませんよ。考えても見てくださいませ。あれ程能力の高いキャロル様が何年も掛けて積み上げられたものを、わたくしのような無能な人間が一朝一夕でどうにかできるはずがないではありませんか。わたくしね、根性だけはございまして必要な努力は厭いません。貴婦人の振る舞いなんて無縁の修道院で育てられながら、今こうして悪目立ちすることなく過ごせているのはそれなりに頑張ったからです。でも人には限界と言うものがございますわ。王太子妃なんてもっての他です。一応言っておきますがこれはわたくしだけの話では無くてですね、今からキャロル様以外のお妃を探しても無理です」
「ど、どうしてだ?」
「キャロル様っていう家柄も容姿も能力も非の打ち所がない婚約者がいらっしゃるのですよ。宰相のお父様に歯向かえる権力者だっていないでしょう。どう足掻いたって手も足も出ない相手なのに誰が楯突こうなんて思いますか?この国にはキャロル様を引きずり下ろして自分が王太子妃になろうなんて目論むおバカさんは存在していないんです。なれるはずもない王太子妃を目指して無駄な努力をするような奇特な令嬢もね!」
何か言い返そうと試みているのか王太子は何度も口を開き掛けたが、結局何の言葉も出ては来ず口をパクパクするばかりだった。




