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ゆっくりと視線を戻したウォルターの冷たい指が私の頬を撫でた。
「君が隣にいれくれるならそれがわたしの幸せだよ。それだけで幸せなんだ」
「お気付きなのでしょう?私が差し上げられるのは限られたものだけだって。ウォルター様となら穏やかで和やかな家庭を築くことはできるでしょう。でもそれは見せかけだけの頼りないものでしかありません。私はあなたを夫として慕うことも尊敬することもできます。なんなら妻の役目として子を成すことだって……」
「ステラ……」
「自分が自分かどうかもわからないのに、あなたへの気持ちなんてどうやって確かめたら良いのでしょう?それすらわからない今の私には、ウォルター様をウォルター様として愛することができないのです。あなたは待っていてくれると言うけれど、いつか露になった本心があなたを深く苦しめ傷つけるかも知れない……私はそれが怖くて堪らないのです。こうやって囲い込まれて逃げ場を塞がれて優しくされて大事にされて……それで傾いていく私の気持ちが偽物じゃないなんて、どうして言い切れますか?」
「ごめん……」
ウォルターに抱き寄せられた私は、しゃくりあげながらその腕の中から逃れようと身を捩った。けれどもウォルターは一層固く私を閉じ込め喘ぐように『ごめん』ともう一度呟いた。
「これが最善の方法だと信じていたなんてわたしは愚かだったね。可愛いステラを混乱させ悩ませて、こんなに悲しませてしまうなんて」
「良いんです……私は良いんです。でも私はあなたの愛情を詐取して生きていきたくはない……だってあなたは本当に素敵な愛されるべき人なんだから……」
ウォルターの腕からスッと力が抜けた。よろけるように後退った私を見下ろす瞳は寂しく切ない光が宿っている。私は俯いて涙を拭い、それからウォルターを見上げにっこりと微笑んだ。
「力ずくは良くないってお分かりになりまして?特に私みたいに中身のおかしな素直じゃない相手にはね」
「ステラの言う通りだ。それでも繰り返すがわたしはその中身ごと君を愛しているんだよ。だからどうしても手放せなくて見境を無くしてしまった。君からの愛情なんて得られなくても構わないとすら思うなんて、わたしは本当に傲慢だったな」
しょんぼり肩を竦めるウォルターが何だか可哀想で手を伸ばして頭をポンポンすると、はっと顔を上げたウォルターが目を見開いて私を見つめている。私はふふんと笑いもう一度ポンポンとウォルターの頭を撫でた。
「ウォルター様、お友達に戻りましょう。私もう伯父様のところに戻ります」
「そうだね、それが良い。側にいてはまた同じことを繰り返してしまいそうだ。けれども……いつか君が自分を見つけたら何かが変わるかも知れないとそう願うことだけは、許して欲しい」
「良いですけれど……何時になることやらわからないのですもの、ちゃんと他の方にも目を向けて下さいね。何なら今からあの時やらなかったピックアップをお手伝いしましょうか?ある程度目星を付けておいた方が効率的ですもの」
ウォルターは喉を震わせて笑いを堪えた。
「ほら、本気でそういう事を考えるだろう?それが君の言う『おかしな中身』なら、やっぱりわたしが愛しているのはここにいるステラなんだよ。たが……」
ウォルターはじっと私を見つめふるりと首を振ると柔らかな笑顔を浮かべた。
「時が来るまで待つと約束するよ」
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とんでもない大騒ぎになって特大の雷でも落とされるかと思ったが、伯父も伯母も至って冷静に私を迎え入れてくれた。どうやら二人も縁談を纏めようと勇み足で事を急ぎ、結果的に私を追い詰めてしまったと反省しているらしい。けれどもこれは、一刻も早く安心安全な結婚相手を確定したいという焦りが招いたこと。駆け落ちされて残された者の辛さを味わっているからこそで、元凶はやらかした私の両親だ。せっかく一緒に暮らせるようになった伯父や伯母の側にもっともっと居たいのだと、むりくり涙を振り絞って訴えどうにか上手い着地点に辿り着くと、伯父なんてウォルターから私を取り返してやったのだと言わんばかりで、途端にご機嫌になった。ついでにお兄様達は『非定型の出戻りなんてステラらしい』と笑い飛ばし、遠慮なく散々おちょくられた。
そしてもう一人……
「良いのよステラ、無理にお嫁になんか行かなくても良いの。ナタリー姉様はあなたの味方なんだから何の心配もいらないわ!」
何故従兄の婚約者であるはずのナタリー様が姉様と名乗り出したのか、それに婚約者の身よりのない従妹に過ぎない私が行かず後家にでもなったら、一番鬱陶しく感じるのはこの人の筈なのに、どうして味方になるのかさっぱりわからないが、ナタリー様ははしゃぎまくりで我が家に入り浸りだ。婚儀の準備も大詰めで寝る間も惜しんで準備に明け暮れる時期に、今日も卒業認定試験の過去問を持参したという口実で、私の部屋に侍っていた。おまけに青ざめた顔でナタリー様を探しに来た末っ子を溺愛するお姉様お二人が押し入ってきて、こんなところで何を呑気にと一騒動起こり、ナタリー様は引き摺られるように連行されていった。
そんなこんなで私の周りは常に賑やかだ。
けれどもその喧騒がふっと止んだ一瞬に、息苦しいくらいの切なさを覚えるのは何故だろう?
ベッドに倒れ込んで天井を見上げた私の目尻から、溢れた涙がこめかみを伝って流れていった。




