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 ずらりと並んだ屋根裏部屋の一つからは小さなルーフバルコニーに出ることができる。夕暮れの空の下、彼方まで広がる景色を眺めながら私はぼんやりと風に吹かれていた。


 「ステラ、風邪をひいてしまうよ」


 突然掛けられた声に驚いて振り向くと、ショールを手にしたウォルターが立っていた。


 「お帰りなさい、お早かったのね?」

 「驚いた?」


 ここに戻るのは明日と聞いていた私は『そうね』と言って微笑み、それからまた視線を眼下に広がる景色へと戻した。


 「幸せだ……」


 私の肩にショールを掛けながら耳元でウォルターが囁やき背中越しに腕の中に閉じ込める。そしてもう一度噛み締めるように『幸せだ』と繰り返した。


 「ステラがお帰りなさいと言ってくれる、それがどんなにわたしの心を温めるか、君は気がついていないんだろうね?」


 両親を殺されたウォルターを出迎えるのは、使用人達からの『お帰りなさいませ』だけになった。その寂しさに想いを巡らせる私の頭に、もっともっととねだるようにウォルターが頬ずりをする。


 「ステラがここでわたしの帰りを待っていてくれる。本当に幸せな日々だった。もうすぐ君を手放さなければならないと思うと心が張り裂けそうだ」

 「ウォルター様……」


 ウォルターの腕に力がこもり抱きすくめられると背中にじんわりとした温かさを感じる。それは私の心をひりつかせ、夕焼けで真っ赤に染まる空の下に広がる森が滲んで見えた。


 「駄目だな、いつまでも待つと言いながら、やっぱりわたしはステラを求めずにはいられない。これからもずっとずっと命の続く限りステラと生きていきたいんだ」

 

 ポロン……一滴の涙が私の目から転げ落ちると堰を切ったように次々と涙が頬を伝う。私はショールの端を握った手を口元に押し当てて込み上げる嗚咽を堪えようとしたが、どうやらそんなに簡単にはいかないようだ。堪えれば堪えるほど涙は止めどなく溢れいつしか私は泣きじゃくっていた。


 「ミッキー達がおば様が戻られてからステラの様子がおかしいと心配しているよ?一体どうしたの?」

 「やっぱり……見つけられませんでした」

 「何のこと?」

 「私は……誰なんでしょうか?」

 「ステラ……」


 肩に掛けた手でクルッと回された私は、顔を歪めて見下ろしているウォルターから顔を逸した。それでも止まらない涙を見られたくなくてもう一度背中を向けようとしたけれど、ウォルターはそれを許さず身を屈めて私の視線を絡みとる。


 「私、自分がステラだと自信を持って言えるきっかけが欲しかったみたいです。両親を両親だと思えたら何か変わるんじゃないかと。でも得られたのは親近感だけでした。伯母には当然だって言われたんですが……自分を見つけられなかった事に、こんなに落胆するなんて思わなくて……」

 「君がどう思おうとわたしが愛しているのはここにいるステラなんだ。君がおかしいというその中身ごと、わたしはステラを愛している。それでは駄目なのかな?」

 「あのですね……私にだってここに来る以上何の覚悟も無かったわけではありません。勿論ここまで囲い込まれるとは思わなかったから、本当に困惑しましたけれど。それでも伯父達は私とウォルター様の結婚を強く望んでいましたし、私はお世話になった立場上、伯父夫妻の意向に従うべきだと思っていました。その相手がちょっとどうかと思うような人物ならともかく、お慕いしていたウォルター様で、しかもウォルター様が私と結婚したいと言って下さった。曖昧な立場ながら私も伯爵家の一員とされている娘で、貴族の結婚がどんなものかは承知しているつもりです。ウォルター様がこんな私でも構わないと仰るのならとは思いました。でも……」

 「とうして……?こんなステラだからこそわたしは君を愛しているのに……」


 不意に力の抜けたウォルターの手を振り払い、私は夕焼け空の下に黒く広がる森に目を向けた。この屋敷からの一本道が丘を越えて鬱蒼と広がるその深い森の中まで続いている。


 「ウォルター様……まだ11歳のウォルター様が目の前でご両親を殺されたのは、あの森ですか?」


 私の指差す方向に目を向けたウォルターが『そうだ』と答えた声は少し掠れていた。


 「お父様はお母様とウォルター様を庇おうと、覆い被さるようにして息絶えていらしたのですよね?けれどもお母様を守り抜くことは叶わなかった。漸く駆け付けた護衛騎士に名前を呼ばれたウォルター様は……既に息のないご両親のご遺体の下から這い出していらした。違いますか?」

 「その通りだ……」

 

 私はショールを握りしめた手でグッと胸を押さえた。吹き付ける風が冷たさを増して急激に身体の熱を奪っていく。けれどもこの震えが止まらないのは疼くような胸の痛みのせいだ。


 「ご両親に守られて間一髪で助かったウォルター様は、それからも執拗に命を狙われ続けた。人生で一番輝く季節を常に死と隣り合わせで過ごされたのですね?」


 ウォルターはもう何も言わない。否定せずにいることこそが肯定なのだろう。


 サラッと書かれていたウォルターというキャラクターの過去。できることなら小説の中だけの出来事であって欲しいと願っていた。でもウォルターが認めたそれは小説と寸分違わぬ残酷な事実で、私の知るウォルターの姿に異なる過去を持っているのではないかという微かな望みは、無惨にも打ち砕かれてしまった。ウォルターは一人苦しみ足掻きながら、少しずつ少しずつ人を信じ受け入れる術を身に付けて来たのだ。誠心誠意支えてくれたミッキー達や、包み込むような優しさで受け止めてくれたフランプトン家に救われたのは勿論だけれど、それでも今のウォルターが有るのは、過去のウォルターの血の滲むような努力あってこそだ。


 だからこそ、ウォルターは幸せになるべき人なのだ。


 「ウォルター様、あなたは幸せを掴まなければいけない方です。上っ面の温かさでは足りないんです……」

 「ステラ……」

 「私思うんです。お辛い経験をされてきたウォルター様には、何が何でも幸せになって欲しいって。だけどどんなにウォルター様が私を愛して下さったとしても、それに応える私の気持ちが愛する夫に注ぐべきものじゃなかったら、果たしてウォルター様は本当に幸せなのでしょうか?ウォルター様はきっと私に溢れんばかりの愛情を注いで下さるでしょう。でも私はそれを受け止められずに垂れ流すばかりです。それは……それはあなたの本当の幸せじゃないわ」


 ウォルターは唇を噛んで横を向いた。

 





 


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