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「あーっ、感動ですっ!」
うっとりと目を閉じたチェルシーが、他のメイド達と肩を抱き合いながら静かに泣いている。
「え…………そんなに?」
「当然ですわっ。このお屋敷には奥様もお嬢様もおられませんでしょう?これまで一切縁の無かった華やかな盛装を、初めて目にすることができたんですもの!」
そんなものですかしら?と肩を竦めつつ試着したドレスの裾を捌きながら鏡の前に立つ。卒業パーティで着るドレスの準備の為に一度戻って来て欲しいと伯母から連絡が来たのだが、ウォルターはそれは危険だからと断ったのだ。試着も無しに完成させて入らなかったら……と不安になり、これはおやつやデザートを自粛しなければと悲しみにくれていたら、代わりにブティックから制作中のドレスを引っ提げて、デザイナー達がやってきた。手配したのはウォルターだ。これじゃ閉店後のブティックを開けさせたり、割り込んでドレスを仕上げさせたりしアホ呼ばわりした小説中のウォルターと同じようなものだと思うのだけれど。
先週様子見に来てくれたフィリップお兄様によると、私が療養という名目でここに居ることが社交界に知れ渡ったのは一瞬だったようだ。そりゃそうだ。ウォルターが思いっきり匂わせたんだから。『可哀想に、ステラはすっかり袋のネズミちゃんだなぁ』なんて同情したように言いながらにやけていたフィリップお兄様は、絶対に面白がっていた。鳩尾に一発お見舞いしてやろうかと思ったが、『これでとうとう王太子殿下もきっぱりステラを諦めたらしいってさ』という嬉しいプチ情報をくれたので、それについては不問に付して差し上げることにした。
そしてどうやらキャロルも王太子との元サヤに落ち着いてくれたようだ。それなら私も伯父の元に戻っても良いのではないかと思うんだけど、ウォルターは僅かでも危険性が残っているのなら回避しなければならないと言い張った。確かに怪しい妄想を膨らませていたあの人の危険性は未知数だ。やはり危険を冒してまで王都に戻るのは避けたいところなので、呆れたアホとメクソハナクソじゃないかとは思うけれど、今回ばかりは見逃すことにした。ま、それでも二時間程掛けて厳重注意だけは致しましたが。
そんなわけで一緒に伯母が来るのは想定内だったが、ナタリー様も同行とは完全に想定外だ。あなたそろそろご自分の結婚式の準備も大詰めでしょうに、良いのでしょうか?こんな所で油を売ったりして。伯母様とカタログを覗き込んで、ドレスに合わせるアクセサリーはどれが良いかって私をそっちのけで喧々諤々やっていらっしゃるけれど、御自分の婚礼衣装は準備万端だって信じていいのよね?
若干ではすまない不安が私の表情を物憂げなものにしたらしく、チェルシー達はウっ!という呻き声と共に一斉に胸をドンドンと拳で叩き、どうにかたぎるような萌えを抑えて『お似合いですわ~』と口々に誉めそやす。そうなのよ、鮮やかなカナリア色のドレスを着てもおバカっぽく見えないなんて、美人って凄いなと鏡に映る自分の姿に、他人事のようにしみっじみ感心してしまうのだから。このお色を着こなすとは、白銀の妖精アイリーン・フランプトンの遺伝子、恐るべし。シンプルながらスクエアネックの周りに細かく入れられた白糸の刺繍は、所々に控え目に添えられた銀糸のせいで良い感じにキラッと輝き、シフォンを何重にも重ねたAラインのスカートの裾にも同じ刺繍が幅広に施されている。デザイナーにこの布地を推された時はこんな派手なお色は断固お断りだと思ったのだけれど、色味の派手さを抑え華やかで可憐な印象を最大限引き立てた腕の良さは、流石と言うしかない。
思う存分もぐもぐタイムが楽しめるようになったウォルターのせいで、太っていたらどうしてくれよう!と拳を握りしめたものの、ウォルターがここに滞まるのは週の半分ほどに限られている。週半分のもぐもぐタイムで超過したカロリーは、過酷という他ない日々のお勉強で消化されたらしい。真偽は知らないけれども、脳って身体で一番カロリー消費するって言うじゃない?差し引き0でどうにか体重増加は免れているんだろう。ドレスは変わらずジャストサイズでほっと胸を撫で下ろした。
「あー、お嬢様が奥様になられて盛装のお仕度をするのが楽しみですわぁ」
キャーキャー勝手に盛り上がるチェルシー達に、ナタリー様が『一度王都で最新のヘアメイクの研修を受けると良いわね』なんて要らぬアドバイスをぶち込んでおられる。お言葉ですが、お願いだからお嬢様が奥様にを既定路線として楽しみにしないで!
私の戸惑いを他所に、キラッキラの瞳で崇めるように私を見つめるチェルシー達は、ワチャワチャ盛り上がっている。この部屋を支配する熱気の正体は着せ替え遊びへの憧れだ。仕える公爵が独身男性だった為に、華やかな装いと縁遠かったチェルシー達、産後間もなく娘を亡くした伯母、それに姉二人からお人形さんにされまくるばかりで、『私もやってみたいのに』と不満を溜め込んでいたナタリー様、皆が共通して抱いていた着せ替え遊びへの欲求不満。それを解消させてくれるのがこのわたくしステラ・フランプトンなのだ。
「ウォルター様がエスコートするのを楽しみになさっているんですもの、ぐうの音も出ないくらい美しいステラをお見せしなくちゃね」
ナタリー様の言葉にあちこちにまち針を打っていたデザイナーが胸を張った。
「お任せ下さいませ。卒業パーティで一番輝かれるのは、間違いなくステラお嬢様ですわ。最終調整が出来ぬまま仕上げるのは若干不安でしたが、公爵閣下のお計らいで本日こうして伺えましたから、後は思う存分仕上げに集中するのみです」
「お忙しい時期にご迷惑だったでしょう?本当にごめんなさい」
伯爵家御用達のこのブティックでは、同じ学園の卒業予定の令嬢達のドレスも請け負っているし、それが終われば社交シーズンが始まる。件のブティックには及ばないが、それでもデビュタントのドレスや新しくドレスを誂える貴婦人達のドレスの仕立てで、猫の手も借りたいほど忙しい時期なのだ。申し訳なさに二回目の物憂げを発動させれば、今度はデザイナーとアシスタントが息を詰まらせて胸を叩いた。
「ご心配には及びませんわ。公爵閣下は無理を言ってすまないと、わざわざ針子達にまでお手当を下さいましたの。それだけではなく度々差し入れまで頂戴して、こんなにお気遣い下さるなんて恐縮でございますわ」
溌剌とした笑顔でそう言われると多少は気が楽になるし、厳重注意が胸に響いていたのは何よりだけど……とんだ無駄遣いをさせてしまった事実がズーンと胸に伸し掛かる。私の為に余計な無駄使いをしていないで、健気に頑張るチェルシーちゃん達にボーナスでも出して欲しいところなんだけど……とか言うと早速脈絡もなくばら撒きそうだから、迂闊にそんな事は言えないのだが。
どどんとブルーな気分になり溜息を呑み込む私だったが、この部屋の雰囲気はウォルターの名前が出たことで、更に白熱し盛り上がって行った。




