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「祖父が亡くなりようやく母を探したものの、母はずっと前に死んでいて亡くなる前に一目会うことさえも叶わなかったのです。何よりも伯母は私を産んだ母を祝福したかった。人生で一番幸せな輝いていたであろう母の姿を一目見ることもなく、伯母の知らぬ間に母はこの世から消えてしまっていた。それだけはどんなに月日が経とうとも決して赦すことはできないのだそうです」
私がそんな説明をしている間にヒートアップした伯母はボロボロと涙を流しながら伯父に文句を言っている。伯父の名誉の為に断っておくが伯父はずっと伯母の味方だった。けれども祖母までもが伯母の、即ち裏切り者の愛娘の味方だったものだから祖父は余計に意固地になってしまったのだ。母のことに関してはだけは意固地で頑として譲らない祖父と母が大好き過ぎる伯母は、最後まで対立し続けたらしい。
「前世には可愛さ余って憎さ百倍という言葉がありましたが、祖父にとってそういうことだったかと」
「そのようだね」
伯父が平謝りに謝っているのを見ると何だか申し訳なくなる。うちの母がすみません。ま、あなたの妹なので我慢してくださいだけど。ここまで遺恨を残してしまうなんて、母も少しは冷静に考えたらどうだったのだろう?
「だからよ、だからなの。こんなに良い条件を飲まない手はないわ!」
突然高らかに宣言した伯母はシールドを破って出てきたようだ。しかも何だか嫌な予感がするのですがそれもしかして奔放なわたくしの母に関係しておりますかしらね?
興奮気味な伯母の話はかなり把握し辛かったが要するにデビュー以来私には幾つかの縁談が持ち込まれていたらしい。しかも相手はなかなかの上位貴族ばかり。しかしながら『駆け落ちした令嬢の娘』だとか『市井育ち』を持ち出して上から目線で貰ってやろうと言わんばかりの態度にカチンときた二人は、全てちゃっちゃと突き返したのだそうだ。
「ステラの価値を知りもしないで偏見の目で見るような家なんてこっちからお断りよ」
伯母は思い出して振り返した怒りでぷんすこしている。いえね、わたくしに価値なんてそうそう有るとも思えないので、貰ってやろうという態度になっちゃうのは仕方ないかもですよ?とはいえだったら一生独身の方がましなので断固お断りありがとうございますですけどね。
「ステラはどこに出しても恥ずかしくない申し分のない娘なの。それにとっても優秀で有能で刺繍の腕は素晴らしいし音楽の嗜みだってあるわ。側で見守ってきたウォルターなら知っているわよね?」
「もちろんです。ステラは貴婦人の鑑だ。どんな貴族令嬢にも引けをとらない、いや、むしろそれ以上の女性です」
どうせそのそれ以上ってゲコッピについてでしょうがっ!胸を張るな胸を。っていうかそれお兄様達も流石に伯母様の耳には入れてない情報だから開示なんてしないでお願い!と焦った私だったけれど全く不要な心配だった。
「ヤモリに名前を付けて可愛がるなんて本当に優しい子。ステラは唯一無二の天使なのよ、ね、ウォルター?」
「仰る通りです、ステラはわたしの天使だ!」
うん、そこどっちかと言うとあなたのじゃなくてゲコッピの……だけどね。それに伯母様……バレてましたか。こんなことまで高評価とは最早あばたもえくぼ状態に陥っていますねぇ。
「ねぇあなた。ウォルターなら決して下らない偏見でステラを蔑んだりしないわ。ステラを傷付ける家族もいない。安心してステラを託せる結婚相手だとは思わない?」
「……そうだなぁ」
「いつまでもステラを手元に置くわけにはいかないのはわかるでしょう?」
「それは……なぁ」
「だったらウォルター以上のお相手なんていないでしょう?何よりもね、相手がウォルターなら決して決して決して決して駆け落ちなんてしないのよッ!」
伯母の断言に伯父が目を見開いた。そしてがくりと俯き両手で顔を覆うと『ありがたい』と震える声で一言絞りだし、必死に嗚咽を堪えている。何だか奔放な母が本当にすみません。でもでもあなたの妹なのでどうか我慢してくださいと私は再度心の中で土下座した。
「ねぇウォルター、ステラは純真無垢なのよ。この子は恋がどんなものなのか、それすら知らないの」
すみません、中身がアラサーなので知らないわけでは無いんです。年相応に多少の経験を経ましてなんかもう良いやってなげやりになっちゃってた感じなんです。伯母様が思ってるような初な乙女ちゃんじゃなくてごめんなさいですっ!といういたたまれなさで小さくなった私を、伯母は恥ずかしがっちゃってもぉっ!と盛大に勘違いして見つめた。
オホホと生暖かくニヤける伯母とそれならやっぱりまだ早いじゃないかと顔をひくつかせる伯父。そんな二人にウォルターは好感度アップ間違い無しの好青年のタグを付けたきらめかしい笑顔を向けてきっぱりと言った。
「ステラがわたしを受け入れてくれるよう誠心誠意尽くします。どうぞわたし達を見守って頂けないでしょうか?」
「ね、まだ正式に婚約というお話じゃないの。それを前提としたお付き合いですもの、認めてやったらいいじゃありませんか?」
伯母の猛プッシュ……確かにウォルターは優良物件だもんね。なんたって若き公爵閣下だし。息子の友人とあって人柄も異次元の有能さもよーく知っている。そして何よりも顔が良い。特にこの榛色の瞳ったらもう、思わず吸い付けられてしまうような凄い吸引力で何度慌てて目を逸らしたか!
伯父は複雑に歪ませた顔ながら渋々頷いた。この根性なしめと罵りたいところでは有るが、伯母にホレた弱味と姪を手放したくない気持を両天秤に掛けたら勝者は断然伯母なのだろう。
あとは若い二人で……という定型文を残し、二人はいそいそと出て行ってしまった。伯母の『もう遅い時間だから一時間だけね』って念押しとそれはもうキュートなウインクを残して。
そしてウォルターと共に残された私は、奔放な母について恐縮しているうちにろくな反論も出来ぬまま『結婚を前提としたお付き合い』の開始か確定され呆然としていた。
母よ、あえて言おう。
『ダメ、駆け落ち絶対!』




