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ウォルターがベルを鳴らすと間髪置かずにドアがノックされミッキーが現れた。
「食事の用意は?」
「できております」
一礼して顔を上げたミッキーがによによ笑っているように見えるのは気のせいだろうか?
「ミッキー、その気味悪い笑いを消せ!」
「無理でございますよ。旦那様がこんなにお可愛らしいご令嬢をお連れになったのです。どんなお相手との縁談にも一切興味を示して下さらなかった旦那様が自らこの屋敷に。わたくしもようやく肩の荷が下ろせます」
「まだ早い。わたしは妻にと望んでいたがステラは寝耳に水だったんだから」
「ウォルター様っ!」
恥ずかしいからミッキーさんにペラペラ暴露しないでくれます?という願いも虚しくウォルターの暴露は止まらない。愛していると気付いてもその想いを圧し殺さなければならなかった辛さと、それから解放され思いの丈を伝えられるようになった喜びについてミッキーさんに熱弁を振るうの、ホントにやめて!
つい袖口をギュッと掴むとウォルターの視線が私の手を凝視した。そしてゆっくりと腕をたどり私の視線とぶつかると、ボンと音が立つくらい一瞬で首筋まで真っ赤にして『可愛い』とぼそりと呟く。そんな私達を見たミッキーは今度こそあからさまにによによした笑いを浮かべていた。
「お嬢様を愛でたいお気持ちはわかりますが、料理長が今が今かとそわそわしておるのです」
「わかっている。だがステラが凄まじく可愛い」
「えぇえぇ、そうでしょうとも。しかしながらいつまでも愛でられていてはお嬢様はお食事をお召し上がりになれませんが」
「それもわかっている。それに幸せそうに味わうステラの愛しさたるや、胸を掻き毟られる凄さだ」
「えぇえぇ、それはもう、何度も何度も伺っておりますから」
眉尻を下げてウォルターを諌めつつミッキーは嬉しそうだ。アッカーソン氏同様この人も単なる『オルフェンズ公爵家の執事』で初老の男性という特徴しかなく、キャロルの有能さを褒め称えるのがお仕事だった。けれどもミッキーの様子から察するにこの人は不遇の時代のウォルターを支えた人物であることは間違いない。そしてようやく穏やかな日々を手にした主の幸せを強く願っていることも。
「ですから本日のデザートから小さな焼き菓子は外しました。どうぞご安心下さいませ」
優しい笑顔を私に向けてそう言ったミッキーだけど、小さな焼き菓子とこのわたくしの安心にどんな関係が?と思うやいなやウォルターがガバッと立ち上がって睨み付けた。小さな焼き菓子と私の安心も謎だけど、ウォルターが突然激怒している意味も不明だ。けれどもミッキーは全く動じることなく激おこウォルターにによによ笑いで向き合っている。
「小さな焼き菓子は必須だと言っただろう!」
「是非とも紳士的な振る舞いを」
「しかしわたしはもう既にステラをもぐもぐさせているんだぞ。今更構わないじゃないか!」
「その時とは事情が異なります。旦那様はお気持ちを伝えられたのでございましょう?」
「…………」
「フランプトン伯爵家よりお許しを頂くまでは自重なさいませ」
ウォルターはドサッとソファに腰を降ろし頭を抱えて大きな溜息をついた。
「必ず承諾を取ってくる。その暁には山盛りの小さな焼き菓子を用意しろ。一つ残らずわたしの手でステラの口に入れもぐもぐさせる。いいな?」
「仰せのままに」
ミッキーは優秀な執事なのだろう。によによをスッと引っ込め背筋を伸ばしたその姿は凛としていた。
そして私は小さな焼き菓子と私の安心との関係をようやく理解し、ズルズルとソファに沈み込んだ。このウォルターは散財も愛情の一つと信じる馬鹿じゃない。そういう類の馬鹿じゃないんだけど、どうやら常識的なのはそこだけかも知れない。これから先ウォルターが何をやらかすのか。あれが自分の身に降り掛かるのかと思うとゾワゾワしてくる。
どうしてこうなったんだろう?ちゃんとお兄様その三だって言ったのになぁ。やっぱりアレだよね、頭をポンポンされたから。あのせいでなんとなく丸め込まれてしまったのですわ!だってアレ、凄い威力なんですもの。
それにしてもだ。この世界の人々はそれぞれの人生を生きている、物語に従う筋合いなんてない!って宣言したけれど、だからって私がこんなことになっているなんてどうしたものか。うー、アレさえなければっ!私はウォルターの頭ポンポンの威力を恨めしく思った。
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公爵家の夕食、大変美味しゅうございました。張り切った料理長はちょっとベクトルを見誤ったのか、櫛形カットにしたトマトでハートを作ってサラダを飾ったり、ステーキ肉にマッシュポテトのお耳を付けクリームとラズベリーソースでおめめを描いて作ったウサギちゃんを添えたりと、女子高生がキャピキャピ喜びそうなラブリーなカフェっぽい盛り付けを展開し、さらにそれをウォルターにも出して固まらせていた。
ガッカリさせるのも気の毒だからとウキウキ喜んで見せると料理長はそれは嬉しそうにしていたので、次回もこの展開になるのは確定だろう。というか『次にいらした時にはお嬢様がお好きなラム肉のソテーをご用意いたします』なんて勝手に次回が有るって設定にされていた。そしてお土産にと可愛くラッピングした焼き菓子をバスケットに詰めてくれたのだけれど、ここでもまた『次にいらした時にはお嬢様がお好きなメレンゲを』と次回について言及していた。
エントランスに整列した使用人の皆さんが揃いも揃って向けてくる生暖かい視線に見送られ私達は馬車に乗り込んだ。冷淡で誰にも心を許さなかったって設定とは全く違って、ウォルターは使用人達と信頼関係を築き皆から慕われているのは間違いない。だからこそ皆は結婚する気配が更々ない主を案じていたし、初めて女の子を連れてきたのが嬉しくてならないのだろう。私がそれを実感するのはほんの数時間の滞在で十分だった。
『またのお越しをお待ち申し上げております』とミッキーとメイド長が口々に言うと、メイドさん達がうるうると瞳を輝かせる。愛想笑いを浮かべた私が頷けば『可愛いーっ!』なんて悲鳴まで上がった。ハイわかりましたとこっくりしただけで悲鳴とは、もうカピバラどころか歩いても転がっても笹をかじってもキャーキャー言われるベビーパンダくらいのポジションだ。でも走り出した馬車に向かっての一糸乱れぬお辞儀はお見事の一言で、公爵家の使用人のレベルの高さを表す素晴らしさだった。




