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ウォルターの忌々しいと言わんばかりの表情はキャロル、というか長谷川寿子女史がお気の毒に思えるほどだ。宰相キャロルパパはウォルターが公爵になれるとは思っていなかったし、愛娘が結婚したがるなんて想像もしなかったんだろう。で、少年時代のウォルターによっぽど失礼この上ない態度を取ったに違いない。
「ねぇステラ、君はどう思う?わたし達は単なる小説の登場人物で物語に抗わずに生きていくべきだと考えているの?」
「いいえ、そうは思いません」
私はきっぱりと答えた。
「ウォルター様も私もそして誰一人例外なく、この世界の人々は血の通った人間です。それぞれの大切な人生を生きているんです」
「うん……」
「小説に書かれていたのは、伯父と母の親友だった伯母には二人の息子と生後間もなく亡くなった娘がいたという数行の説明だけでした。それは私を引き取るための理由付けで、お兄様達がどんな人となりだったかなんて知る由もなかった……けれども名前すら明かされなかった彼らは私の大切なお兄様達です。ジョシュアお兄様の婚約者であるナタリー様は三姉妹の末娘で、憧れていた妹ができたみたいだと私を可愛がって下さる。伯母様はちょっとどうかと思うくらい母が大好きで、伯父様との縁談を受けた決め手は母の姉になるためでした。修道院にいた私を迎えに来たのは名もない執事ではなくアッカーソンです。アッカーソンの奥様は伯爵家のメイド長で、嫁いだ娘さんは初めてのお産を控えています。小説には出てこなかった人々もキャラクターだった私達もそれぞれの今を生きている、それが全てではないでしょうか?」
「そうか」
「私が伯父夫妻に引き取られたように小説の設定に引き寄せられることはあるのかも知れません。王太子殿下が目が合ったと勘違いされたのもそのせいでしょう。でも私は物語に縛られるつもりはありません」
ウォルターに尋ねられ初めて考えたことだったけれど、私の気持ちは自分でも驚くくらい揺らぎないものだった。
ウォルターの手が私の頭をポンポンした。多分私はこんな風に考えることが物語から逃げ出す為の言い訳のようで避けていたんだ。曖昧にはぐらかし自分を誤魔化して、ぼやけた視界でこの世界を見ていた。
でもウォルターは私の本当の気持ちを肯定してくれている。自分可愛さからこじつけた考えではなく、この世界に生きる全ての人々の人生を尊重したいと願う私の気持ちを。
キャビネットと壁の隙間で私はズルズルとしゃがみ込んだ。驚いて腰を降ろしたウォルターの顔が涙で滲み大きく歪む。
「嬉しいね、可愛いステラがわたしの望む答えをくれた」
「可愛くなんかないんです。だって頭の中は見た目よりもずっと年取っているんですもの」
頬をポロポロ流れる涙をウォルターの指が優しく拭った。
「それは好都合だ。わたしはステラが年若いことに躊躇していたんだから」
「だけどすっごい歳上ですよ?」
「今の年齢と生まれ変わる前の年齢の間を取ったらほぼ同じじゃないか!」
「まぁそうですけれど……」
間を取る意味が良くわからんのですが。思わず胡散臭そうに顔をしかめた私の頭をウォルターはもう一度ポンポンした。
「だからもう躊躇は必要ない。ステラ、わたしと結婚してくれないか?」
「いやいや、問題はそこじゃないでしょう?」
「どうして?君の身分に不足はない、そう言ったはずだけれど?」
「でも……私今までこの現況に適応するのに一杯一杯で恋愛感情なんてお空の彼方に飛ばしてしまっておりまして……ウォルター様は素敵な方だと思います。思いますけれどもやっぱり私にとってはお兄様その三、で……」
もしくはカピバラの見学者だけど。
俯いたウォルターが顔を上げにっこりと笑った。そして手を引かれて立ち上がった私は連れて行かれたあのフカフカソファに座らされ、このお尻が再び公爵家パワーをひしひしと感じている。
「わたしがステラを妹のように思っていたのと同様に、ステラはわたしを兄同然に慕ってくれた。その奥にあった気持ちに気が付いたわたしに君が戸惑うのは当然だ」
「…………はい」
「今直ぐに返事を貰えるとは思っていないんだ。ただ、これからはステラの愛情を勝ち得たいと願う者として君の側にいたいと思う」
「私の……愛?」
何を言わんとしているのか良くわからない私はパチリパチリと瞬きを繰り返した。そんな私に『そうだ』と言って小さく笑ったウォルターがまた頭をポンポンする。初回はただ嬉しかった頭をポンポンだけど三度目ともなると心臓に悪影響を及ぼしてくる。優しく微笑む美形のポンポン……これに胸をキュンとさせないなんて、只今恋愛偏差値最下層の私の心臓だって無理だ。そして……このオトコ、絶対にそれを確信してやっていやがる感しかないのだ。
「早急におじ様とおば様に断りを入れるよ。わたしはステラと結婚するつもりだとね。もちろん君の気持ちが固まるまでいつまでも待つと約束する」
「……はぁ……でも一向に固まらなければどうなさるんです?」
「固まるまで待つとは言っても黙って眺めているつもりはないんだ。固めて貰えるように最大限の努力を払う、それについては登場人物、ウォルター・オルフェンズに共感できるね」
「……ッ!ま、まさかッ!」
ククっと笑ったウォルターはなんだかほの暗い笑顔を浮かべて私の頬で指を滑らせる。そして驚きと何だかわからない怖さで声も出せずに固まった私の耳に顔を寄せ、絶対に狙ったであろうゾクゾクするような低音ボイスで囁いた。
「わたしの愛でステラを溺れさせてしまうつもりだ」
…………作家先生、設定とはかなり乖離のあるウォルター・オルフェンズ公爵ですが、こういうところは健在でした!
思わず涙目で睨んだ私の頭にウォルターの四度目のポンポンが投下された。




