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私は大して利口じゃない。今の成績はシスターメリッサとウォルターに依存してこそのものだ。年齢が上がるにつれて少々Sっ気が出てきたのか自分を追い詰めるのは嫌いじゃなかった前世の私。そんな中身に引っ張られて、お勉強もお稽古も必死にやってきただけだ。長谷川寿子を始めとする一般的(?)な転生転移者諸君みたいに賢くもなければ聡明でもない。そんな私が天才ウォルター相手にどんなに取り繕った話をしてもきっとボロが出て突っ込まれるだろう。できれば完全黙秘を貫きたいが、ウォルターの所謂捨てられた子犬のような切ないお目々を目の当たりにしてそんなことができるものだろうか?少なくともこのお目々の威力に抗うなんて私にはどうしてもできなくて……
つまり残された道は全てを打ち明けることだけ。
いくらお気に入りのカピバラが話したことだからってウォルターは何を馬鹿なと思うだろう。信じて貰える可能性なんてほぼ無いし、意味不明な言い訳で言い逃れをしていると不愉快に思われるかも知れない。
でも…………
ギュッと握り締めた私の手に涙がポタポタ落ちる。『ステラ?』と不安そうに肩に手を掛けたウォルターを見上げて首を振った私は、涙を拭って強引に笑顔を浮かべた。
「全部……本当のことを全部お話しします。私達に起こった全てのことを……」
そして私はポツリポツリと前世の記憶を取り戻したあの日のことから話し始めた。
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結果的にウォルターは拍子抜けするほどあっさりと私の話を信じてくれた。その根拠が『ゲコッピ』に拠るものなのはモヤモヤするが、若い娘がヤモリに名前を付けて可愛がっていたのは余程衝撃だったのだろう。前世の記憶持ちという話にはそれをスコンと腑に落とすだけの説得力があったようだ。前世で爬虫類両生類専門動物病院の看護士ならば『ゲコッピ』を愛でるのも納得だとはどういう思考なのか疑問ではあるが、ウォルターは合点承知なのだから突っ込むつもりはない。願わくば『ステラは嘘なんかつく子じゃない』とか『どんな話をされてもステラを信じる』とか言って欲しいところだが、贅沢なんて言わずアシストしてくれたゲコッピに感謝しなければ。
それでもここは私達が読んだ小説の世界だと言われたウォルターはしばらく黙って考え込み、やはり理解の範疇を超えたのか首を横に振って額に手を当てて俯いてしまった。
「キャロル嬢がステラのせいで婚約破棄される、か。そしてステラは王太子妃になるが幸せな結婚ではないんだね?」
「ヒロインのステラはお妃が務まる器じゃありませんから、あまりにも不出来で次第に殿下に疎んじられるようになります」
「それがわかっているのならどうしてキャロル嬢は王太子の気を引けとステラを脅したりしたんだ?」
「それがですね……」
やっぱりこの先は話し辛くて私は何度も言葉を出しかけては口を閉ざし、覚悟を決めて情報開示を開始した。
「婚約破棄を受け入れ会場を後にしようとしたキャロル様に、ある男性がエスコートを申し出るんです」
「王太子に婚約破棄された令嬢にエスコートを?」
ウォルターは訝しそうに顔をしかめた。それはそうだ。王族に、ましてや王太子に三行半を突き付けられた人間に手を差しのべるなんて、王家に喧嘩を売っているようなもの。だけど小説の中ではそのエスコートこそが溺愛故の行動。王家を敵に回してもキャロルを守る!という強い意志が込められているのだ。
「その方は予てよりキャロル様に想いを寄せていて、けれども王太子殿下の婚約者だった為にそんな気持ちを胸の中に閉じ込めていたんだそうです。ですがキャロル様は殿下の婚約者ではなくなりその方は誰に憚ることなく想いを伝えられるようになりました。それまでの鬱積した感情が一気に解放された為に少々羽目を外されまして、戸惑うキャロル様に甘い言葉を囁くのですが……」
主人公のキャロルに掛けられた溺愛文言の幾つかを並べただけで、ウォルターはあからさまに気味悪そうな顔をした。
「良くもまぁそんな事を。そいつの頭はどうなっているんだ?」
「……プロポーズの際、キャロル様のことしか考えられない病にかかってしまったのだ……とご自分で申されておりました」
『単なるアホだな』と眉間を寄せたウォルターが呆れ返りながらも話の続きを促してきたので、今度は羽振り良く色々な物を買い与えたり衣装部屋の壁をぶち抜いたり料理人を解雇したりした物理的な逸話の数々を話してみる。
「そいつはどこまでアホなんだ!信じがたいがその人物もこの世界に実在するんだね?」
「…………はい、そうです」
「一体誰なんだ?そのアホ野郎は!!」
「………………」
私はとても見ていられずに下を向きゆっくりと人差し指をウォルターの顔に向けたが、ウォルターからは何の反応もない。待っても待っても何も言わないので恐る恐る顔を上げると、ウォルターは瞳孔の開ききった目で私の人差し指を凝視していた。
「あの……ウォルター様?」
「わたし……なのか?」
「はい?」
「そのアホは……わたしなのか?」
「ええと、作中ではそうなっておりまして……それでキャロル様は、ウォルター様が運命のお相手だと信じていらっしゃるようです」
「あり得ない!!」
ウォルターが振り下ろした拳が膝で大きな音を立てた。そうよねぇ。この人元々キャロルの事を良く思ってすらいなかったんだもの。
「キャロル様は条件が揃えば小説と同じように事が進むと考えているんです。だからウォルター様と結婚して『ウォルター様は私を甘やかしすぎです!』って半日に一度はほっぺを膨らませて文句を言うくらい溺愛される為に、私に婚約破棄の要因を作れとそう言って」
「それで脅されたわけか」
私は大きく頷いた。
「ねえステラ。一つ聞いておきたいんだが」
「……何でしょう?」
「本当に王太子妃になりたいとは思わないのか?」
「絶対に嫌です!」
「殿下は未だにステラを諦めきれていないらしいよ?」
「と言われましても嫌なものは嫌です。大体殿下が私の何をわかっていらっしゃると思いますか?見てくれ以外なーんにも知らないでしょう?夜会でダンスを申し込まれた時なんて名前すらお間違えになったのですよ?そんな人と結婚するくらいなら修道院に帰り世俗を捨ててシスターになります。18になれば受け入れて貰えますもの」
ウォルターは腕を組みじっとテーブルの上のティーカップを凝視していた。どうして凝視する必要があるのかはまるでわからないけれど、とにかくウォルターの視線は一切の揺らぎもなくティーカップに向けられているのだ。あまりにも一心に見つめ続けている様子に声を掛けるか掛けまいか迷い始めた時、ウォルターの顔がスッと動き私の視線を捉えて止まった。
「ねぇステラ。結婚しようか?」
ウォルターは穏やかな微笑みを浮かべてそう言った。




