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ウォルターはセバスチャン(仮)執事に次々と指示を出し、それを受けたセバスチャン(仮)執事はメイドに私を案内するように言い付けた。
通されたのは白と水色を基調としたすっきりした応接室で家具は全て白で統一されている。座面と背もたれに濃紺のベルベットが張られたソファは腰掛けたお尻をふわーんと柔らかく受け止めて、これがとてつもない高級品なのだと確信させた。やらしい話だが会ったこともない姪の為に修道院にリフォーム費用相当のお金をポンと寄付できちゃうフランプトン伯爵家は裕福だ。豊かな穀倉地帯が広がる領地は小麦だけではなくサトウキビも収穫され、砂糖やラム酒の製造販売も行っているからだ。だけど私はここに来てものの五分と経たぬうちに、ソファの座り心地だけではなくありとあらゆる事柄から最上位貴族である公爵家パワーをひしひしと感じていた。さり気なく繊細な彫刻が施されたテーブルに乗せられた艶やかなティーセット。カップに注がれた薫り高い紅茶。焼き菓子が並んだきらびやかな大皿。むしろ私、一級品ばかりを小娘に出すのはどうよ?とすら思いますよ。あ、違うな。出したくても一級品以外の物なんか無いのだわ、きっと。
「待たせたね」
部屋に入ってきたウォルターはそう言うと向かい側のソファに腰を下ろしてティーカップを手に取り上品に一口飲んだ。それから徐にカップを置いてじっと私の目を見つめてくる。私はどうもこれが苦手だ。この端正な顔立ちに、しかも美しい榛色の瞳を揺らめかせて直視されると、後ろめたいことなんて何もなくても耐えきれなくてついモジモジしてしまう。しかも今は思いっきり後ろめたかったりしているわけで、さっきから私の視線は泳ぎっぱなしでこのままでは沖まで出ていってしまいそうだ。
「ねぇステラ、もう一度聞くよ?一体君を備品倉庫に閉じ込めたのは誰だ?そして倉庫の中で何をされたんだ?」
「…………先程お話しした通り……です」
キャロルの名前を出せば向こうの狙い通りになってしまう。ウォルターが助けに来てくれたことで王太子と絡まずに済んだけれど、やっぱり排除できる物は少しでも潰した方が良いだろう。それにキャロルにやられたとなるとその背景まで明らかにしなければならない。私とキャロルは転生者でここは小説の中だなんてそんな馬鹿馬鹿しい話を誰が信じると言うのだ。
そしてもう一つの気掛かりはウォルターの今だかつて見たことがないくらいのご機嫌斜めっぷり。王太子に足を踏まれた私を助けに来てくれた時も不機嫌ではあったけれど、あれは微妙で残念ではあるが悪意は無かった王太子に腹を立てていただけだ。けれども今ウォルターの榛色の瞳の中には怒りの炎がメラメラと燃えている。
そう、萌えではなく……なのですよね。
キャロルの仕業だなんてチクったら穏便に済まなくなる予感しかしない。ほぼ八つ当たりで私を巻き込もうとするキャロルに腹は立つけれど、あの人もお気の毒ではある。今回は王太子のこともおトイレ問題も回避できたのだからもう良いかなと私は思っている訳で、でもそれをウォルターに納得させられる自信は無く私にはしらばっくれるしか選択肢がない。
立ち上がったウォルターがつかつかと歩いてきて私の隣に座った。そして脚を組み伸ばした腕を背凭れに乗せ私の顔を覗き込んだ。
ねぇ、ちょっと!ただでさえ苦手なのに距離詰めるって酷くない?それにこの腕、何だか……か、肩を抱かれてるみたいで居た堪れないのですよ。もーっ、これじゃ私が萌えているではないですかっ!
「不思議だね?」
うすーく微笑みながらウォルターが静かに言った。不思議だね?それはつまり、色々突っ込めるところがあるので今から遠慮なく始めますよ、という宣戦布告……なのですよね?
「荷物を運び込んだ君は何の理由があって靴を脱いだのかな?」
「脱げちゃった……ので……す」
「ほぉ?」
「あ、あの靴はちょこっと緩くてたまにそんなことが……」
ユルユルの靴を愛用する伯爵令嬢なんて存在しないのでそんなことはありえないのだけれど。大暴れする心臓が口から飛び出して来そうな私に、ウォルターはフッと小さな笑いを漏らしてからほんの少し顔を近付けてきた。
「わたしには靴のストラップを外して揃えて置かれたようにしか見えなかったが、ステラの靴は変わった脱げ方をするようだな」
ウォルターは首を傾けてにっこりと笑い、それからテーブルに置かれたベルを鳴らした。直ぐにノックする音がして『入れ』と応えるとあのセバスチャン(仮)執事がドアを開けた。
「ミッキー、どうだった?」
ミッキー……ミッキー?セバスチャンてはなくミッキーなの?なんかすっさまじく予想外なお名前……あ、いやいや、勝手にセバスチャン(仮)なんて呼んでいたのが悪いんだけど、よりにもよってミッキーですか!なんかやたらキュートですね!
その衝撃に一瞬状況の不味さを忘れていた私だったが、ミッキーから渡された一枚の紙に目を通すウォルターの顔がどんどん険しくなるのを見て現実に引き戻された。
ウォルターさん、あなたミッキーに何を命じたんですかっ?オルフェンズ公爵家ってこんなに僅かな時間で動いて何がしかの情報や証拠を集めて来られる影ってヤツ?そんな人員まで揃っておいでなのですか?
どうやらウォルターの反応を見る限りそれ以外なさそうではある。
「ステラ…………」
ビクッとした私が身体を竦めているというのにミッキーは一礼して踵を反した。ねぇミッキーさん、あなたの主様のご様子がちょいと怪しげなのはお気付きですよね?それならどうして私を置いて出て行かれるのでしょうか?ここはビシッと暴走しそうな主を諌めてはくれませんか?
だがミッキーにはさらさらそんな気はないらしくチラッと振り向き目を細めた優しい微笑みだけを向けそそくさと出て行った。若干涙目の私の想いに絶対に気がついているはずなのにっ!チッ、ミッキーめ。使えぬ奴だ!
「…………何でしょうか?」
声の震えを抑えきれない私は完全に挙動不審だ。何気ない風を装って微笑もうにも引きつった顔が言うことを聞かない。そんな私に向かって首を傾げたウォルターの顔をまともになんて見ていられずに思わず俯くと、ウォルターは低く静かで優しくて、けれども凄く寂しげな声で言った。
「わたしは君にとってそんなに信用できない人間なのかな……」
「…………」
思わず顔を上げた私の目に映ったのは悲しそうに窓の外を眺めるウォルターの横顔で、それはもう私の罪悪感をレベルマックスまで押し上げる威力だった。狡い。この人って思いの外あざとい。そう思いつつ私は天井知らずに上昇し続ける罪悪感の高まりを抑えられずにいた。そんなしょんぼりした顔をされて私はどうしたら良いというのだ。ありのままを話す?けれどもありのままにどこまで含むかが大きな問題だ。王太子と私をくっつけたがっているキャロルが私を脅迫した……それだけじゃナンノコッチャではないか!
それならどこまで話せば良い?私もキャロルも転生者だってこと?ここは私達が読んだ小説の世界だってこと?それともキャロルがウォルターに溺愛されるっていうストーリーまで?私は思わず両手で頭を抱えた。




