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お話の国に飛んで行ってしまったキャロル……というか長谷川寿子は、その後もウォルターとのラブラブ新婚生活について熱弁し続けた。とはいえ内容はいかにキャロルがウォルターに愛され尽くされているかという自慢話ばかりで、私の中でふとした疑念が頭をもたげた。
このキャロルは……ウォルターが好きなのだろうか?
そんな私を置き去りにしてキャロルの独演会は延々と続き、とうとう喋り続けて疲れたのだろう。ようやく口を閉じた時には肩を上下させるほど呼吸が乱れていたが、大きく息を吸うとまたしてもアイスピックを私の目の前に突き出した。
さっきまでのデヘデヘは消え去り、瞳孔が開いた瞳が冷たく輝いている。二度目の人生で初めて見たが、これが俗に言う『いっちゃってる目』というものだと私は瞬時に悟った。
「変だなぁと思ったのよ。私はね、もうとっくにウォルター様の気になる存在になっている時期なのに顔見知り程度なんですもの。ウォルター様は私の健気さに心を惹かれ『君は頑張り屋さんなんだね!』って言って下さるはずなのに、そんな言葉は一つもなくてまるで高価だけど悪趣味な壷でも見るみたいなそんな目で見てくるのよ?すっかりストーリーから逸れてしまっているじゃない。考えられる原因は一つだけ。あんたが『王太子に助けられたら』のステラとは違う行動ばっかりしたからよね?」
「それは……決して全部の要因ではないんじゃないかなぁ……と思うんですけれど……?」
「そうかしら?あんた随分とウォルター様と距離が近くない?」
「……ウォルター様は従兄の親友だったので……顔見知りなだけです」
『嘘じゃないわよね?』と念押ししてきたキャロルに私は大きくこっくりした。嘘……ではない、です。従兄の親友だから顔見知り……なんです。時々カテキョーしてもらってはいましたけれど。週一ペースでしたけれど。
それに王太子を避けまくったのは否定しないが、ウォルターがキャロルに靡かないのは知ったこっちゃない。ウォルターは元々キャロルに好印象を持っていないだけなのだ。
「だけどねぇ、きっと些細なことが後々大きな違いになってしまうのよ。このままだと私、ウォルター様と結ばれないかも知れないじゃないの!でもフランツはまだまだあんたが好きなの。両陛下に説教喰らったらしくて今は気持ちを抑えてはいるけれど、お腹の中であんたへの恋心が燻ってるわよ~」
フフンと鼻を鳴らしつつにっこり笑うキャロルだが、目だけは冷たいままだ。そして私の視線をガッチリと捉えたまま、アイスピックがすいっと移動して左胸に押し当てられた。
「だから私がきっかけを作ってやったのに……ホントにあんたって私の厚意を無駄にしてくれるわよねぇ」
「じ、じゃあ今までの嫌がらせはやっぱり……」
「そうよ、私がやったの」
「でも、テグスの悪戯はまだしも他の嫌がらせは何の為ですか?殿下は関係ないでしょう?」
「あーら。だって私、卒業パーティ迄に完璧な悪役令嬢になっておく必要があるもの。だけどあんたがフランツにちょっかいを出さないから、私の取り巻きのお嬢ちゃん達が誰一人反感を持たないのよ。しかも芋虫を片付けてからすっかりあんたのファンになっちゃって、全部自分で仕掛けなきゃならなかったわ。余計な手間を増やしてくれたもんよねぇ」
キャロルはこの上なく迷惑そうな被害者面でそんなこと言ってるけれど、じゃあスズメガはどうしたら良かったのだ?あのパニック状態の教室の中でも一番取り乱していたのはキャロルのくせに、あなたこそ感謝するどころか文句を言うなんて恩を仇で返して下さるのですねっ!ついでにアイスピックの圧が気持ち強まってまして、私冷や汗が止まらないんですけれど!
脳内で盛り上がるキャロルへの反論をぐぐぐっと抑えて、私は涙目でキャロルを見つめた。私はねずちゅー。蛇に……アオダイショウくらいのサイズ感の蛇に睨まれたねずちゅーだ。わたくしめは恐怖で身体をすくませるしかない無能なねずちゅーなのであります!という雰囲気を醸し出し、キャロルの逆鱗に触れるのを阻止し激情してグッサリやられるのを何とか回避しなければ。あ、でも逆に嗜虐心なんてヤツを呼び覚ましちゃったらどうしよう。この人がもっと虐めたい、傷つけたい、泣き喚かせたいって欲望に囚われたら一体何をされちゃうのーっ!
いやいや、これじゃキャロルのことをとやかく言えないし……と落ち着くように自分に言い聞かせる私だが、外見上はずっとねずちゅーであったのでキャロルは何も気が付いていない。『だーかーらぁ』と変に甘ったれた声で言いながら私ににじり寄り胸のアイスピックはそのままに、左手でグワッと私の顎を乱暴に掴んできた。
「これからは心を入れ替えてちゃんとお仕事をしましょうね?」
「お仕事……ですか……?」
「えぇそうよ。ヒロインのステラちゃんらしくフランツにモーション掛けなさい。絶対にすぐ引っかかるから、もう入れ喰いよ!」
「わ、私はじゃない方ですって!殿下に特別な気持ちなんか一ミリもないんです。そんなことできません!」
「関係ないわ。そうしないと私とウォルター様の物語が始まらないじゃない。あんたはヒロインらしく無神経で図々しく馴れ馴れしくあざとくやってくれなきゃ。大丈夫、フランツはあんたに夢中だもの、きっと今からでも巻き返せる。だからちゃんとヒロインのお勤めを果たさなきゃ、間に合うものも間に合わなくなるわ。入学式から卒業パーティ迄の丸々ニ年間、厚顔無恥で好き勝手やるはずのあんたが何の成果も上げていないのは由々しき問題よ?しっかり自覚を持ちなさいね」
この人の下で働いた新入社員達は、きっとこうやって声を荒げることなく穏やかな笑顔の長谷川寿子からネッチネチと甚振るように追い詰められたんだろう。私なら三ヶ月持たない……とまたまた横道に逸れた私の思考だったけれど、顎を掴んだキャロルの指にほっぺをムギュッとされて所定の場所に戻された。嘴みたいになった口が恐怖で勝手にパクパク動く。その間抜けさにキャロルはクフっと笑い、それから凍りつくような冷たい声で言った。
「これからフランツが助けに来る、そうしたらあんたは一気に遅れを取り戻すのよ。いいわね?」




