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私は小説中の小説『王太子に助けられたら恋がはじまりました』のヒロインと徹底的に違う行動をした。王太子の脅威の視力と国王夫妻のミーハー根性のせいで絶体絶命のピンチに陥ったが、それも母の遺志っていうでっち上げた美談で回避した。このまま卒業パーティまで穏便に過ごせば、キャロルにいびられることもなくキャロルが婚約破棄をされる理由もなくなる。見た目は抜群の王太子としっかり者の王太子妃はいつまでも仲良く暮らしました。めでたしめでたし……のハッピーエンドを迎えこの国の未来も安泰だ。
という信念のもとにやってきたのではあるけれど、まさかキャロルも転生者でその前世が小説と同じ長谷川寿子女史だなんてややこしいことになっているとはつゆ知らず。そしてどうもこの主人公じゃない方の寿子、現実に疲れ果て夢見る乙女っぽくなってる気がする。多分作家先生、モデルにしたのは良いけど長谷川寿子の現状はよく知らなかったんじゃないだろうか。
そのあたり、できれば見てみぬふりをしていたかったのだけど、残念ながらこのじゃない方の寿子入りのキャロルがなりたいのは、この国で一番高い地位の女性ではないようだ。
「王太子妃になるよりもウォルター様を選ぶ……という認識でよろしいのでございましょうか?」
おずおずと尋ねた私に、キャロルは視線だけをグワンと上に向けながら肩を竦めた。
今更なの?って仰りたいのでしょうがまさかと思うじゃないですか!だって王太子妃ですよ?いずれ王妃になれるんですよ?いくらウォルターが公爵だからって王妃と公爵夫人の差は歴然。宰相あたりに『世継はまだか?』ってせっつかれるのは嫌だけど、この国の宰相がパパなんだもん。そんな心配すらもいらないのだ。キャロルにとってこんなに好条件の縁談はないと思うんだけど。あくまでもキャロルにとってね……ここ大事ですよ。
「その通りよ。だって私は長谷川寿子じゃない、キャロル・モンクリーフだもの。ウォルター様に息苦しいくらい愛されながら生きていく運命なのよ!」
「はぁ……左様ですか……」
「そう、努力なんか踏みにじられたって良いのよ。やっと思いっきり仕事ができると思ったのに姑の介護をさせられて、その上不倫されて轢き殺された長谷川寿子とは違う。キャロルには溺愛される未来が待っているんだから。そして私は『うふふ、ウォルター様は私を甘やかし過ぎです』なんて半日に一回は言いながら生きていくのよ!」
「…………え?」
キャロルはまるで一輪の薔薇の花でも持っているかのようにアイスピックを両手に握り、それを頬に当てる……という乙女チックなポーズでうっとりと微笑んだ。
「馬車に乗ったら絶対にお膝の上に座らされてぇ、夜会に出ても誰とも踊らせてもらえないの。『失礼、妻がわたし以外の男性の手を取るのは耐え難い苦痛でしてね』なんて言って、ダンスを申し込んできた殿方をバンバン排除しちゃうんだもーん。もっちろんウォルター様にダンスを申し込んだ小娘共には、愛しい妻以外に手を取りたい女性など存在しないってきっぱり断るのよね。あー、あんたもそんな一人だったわね」
「わ、私じゃなくてヒロインのステラですから!」
「あんた、変なところで理屈っぽいのね。やっぱり理系だから?」
真顔になってそう言ったキャロルだったけれど、またすぐに乙女モードにシフトチェンジしでもじもじと身体をくねらせた。
「ウォルター様とのティータイムで私がお菓子を食べようとするじゃない?何故かお皿がすいっと持ち上げられちゃうのよ。『まあ、どうして意地悪をなさるの!』ってほっぺを膨らませると、ウォルター様ったらそれを指でツツんと突っついて『わたしが食べさせてあげるよ』なんて言いながらフォークに乗せたお菓子を……ウハャっぱぁーッ!!」
真っ赤になったキャロルが言葉になっていない叫びをあげ、悶えながら何度も何度もアイスピックを箱に突き刺している。西洋風の異世界転生で溺愛されると欠かせない要素となるお口あーん。あまりにあるあるなのでそんなシーンが出てきたところでふむふむと冷静に読んでしまう私とは違い、思い浮かべただけでこの興奮ぶりから察するに長谷川寿子は凄まじい衝撃を受けたようだ。
キュンキュンも何もなく、ひたすらウマイウマイと餌付けされまくった私は今更ながら恐縮した。言われてみれば眉目秀麗という四字熟語の実体化としか思えないウォルターによるお口あーん。身に余る光栄だということを肝に命じるべきだったのだ。それなのに私の食い付きっぷりはとてもじゃないがあーんなんて可愛いもんじゃない。ウォルターは何度となく指まで噛られてしまうのではと恐怖したと思う。そんな事情も含め、キャロルが知ったら迷わずその切っ先は私の胸にズブリですね。怖いわー!
一人でゾワゾワっとしている私だが、キャロルがうっとりと見上げた天井にはウォルターの溺愛の数々が映し出されているらしくお構いなしだ。
「お菓子を飲み込んだ私はウォルター様のお皿に手を伸ばすの。それで……フォークにお菓子を乗せて可愛く首を傾げちゃって『ウォルター様。お口を開けてくださいませ。はい、あーん?』って」
キャロルはドゥぇっフェ!という初めて耳にする笑い声を上げながら、アイスピックをどうやら目の前に居るらしいウォルターの幻に差し出した。本人は恍惚としているが見ている私にとってはホラーでしかない。全身の毛穴が一つ残らず真面目に働きサブイボに変化している。そしてご返杯ならぬご返あーんも良くある溺愛カップルあるあるなんだけど、その辺長谷川寿子はよっぽど純真無垢なのかそのくすぐったい感情をどうしたら良いのか持て余し、ニヤつきながらドゥぇっフェドゥぇっフェと込み上げる笑いでむせている。
「ごくんと動いたウォルター様の喉元が何だか赤くてどうなさったのかと近付くと、ウォルター様が横を向いてしまうのよ。理由がわからない私は慌てるんだけど良く見たらウォルター様は耳まで真っ赤になっていて……って、やだもう、そんな!照れてるなんて可愛いにも程があるんですけどっ!」
もう穴だらけで手応えがないからか、キャロルは箱の側面に連打するようにアイスピックで突きまくった。




