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 覚悟を決めて登校してみたけれど嫌がらせもイビりも扱き下ろしも何もなく、私は元通りの学園生活を送っている。キャロルと王太子の婚約解消は一時保留になったそうで虐める根拠も口実もないんだろう。キャロルも普通に登校しているけれど王太子とカフェテリアで仲良くランチをする姿は見掛けなくなり、皆と同様に教室で教科書を睨みながらサンドウィッチを食べるようになっていた。だけどその教科書が上下逆さまとかサンドウィッチと間違えてナプキンにかじりつくとか『嘘でしょ?』みたいなことをやらかしているのは気にかかる。授業中も上の空だったりするし明らかに様子が変なのだ。


 やっぱり王太子のことが相当堪えているのだろうかと気になるけれど私が声を掛けるわけにもいかず、モヤモヤしつつも何もできずにいるうちに夜会から一月が経とうとしていた。


 キャロルを見ているとどうも気不味くて居心地が悪く、結局私は逃げ出すようにジョシュアお兄様の『秘密の場所』で昼休みを過ごすようになった。今となってはお兄様に感謝だ。日差しが強くても日陰になって涼しいし吹き抜ける風が心地良い。時折カブト、クワガタが幹をうろうろするけれどそれに関してはスルーしている。


 もうすぐ午後の授業が始まる。そろそろ戻ろうと私は裏庭を歩きだした。迷路みたいな生け垣を進み最後の角を曲がった時、何かが足に引っ掛かりつんのめった私はバタンと派手な音を立てて転んだ。どうして?と振り向いたら丁度足首の高さにテグスが張られている。随分と悪質な悪戯だ。


 あちこち擦りむき教科書やノートは散乱している。溜め息をついて起き上がりスカートをパタパタと払っていると直ぐ側の地面に自分以外の影が有るのに気が付いた。


 「どうしたんだ?」


 掛けられた声に何気なく顔を上げると、そこにいたのは今一番、それはもう誰よりも一番会いたくない相手、フランツ王太子その人で私は思いっきり己の不幸を呪った。しかもゾロゾロと取り巻きのぼんぼん達を従えている。


 「これは!」


 王太子はかがみ込むと張られたテグスを手に取った。流石は驚異の視力、細いテグスもばっちり発見し何だかできる人っぽく見えてくるから不思議だ。


 「誰がこんな事を……」


 ぼんぼんの一人が首を捻り別のぼんぼんが


 「悪質な悪戯ですね」


 と憤っている。すごくありきたりの反応だ。役立たずのつまらぬぼんぼん達である。来る時もここを通ったのにこんなものは無かったのだ。走り去る人影くらい目撃している使えるヤツは居ないのだろうか?


 無理か。チームリーダーの王太子が微妙だもんね。


 「怪我はないか?」

 「無いわけではないですが擦り傷ですので大丈夫ですわ」


 そう答えているにも関わらず立ち上がった王太子はジロジロ私を見回し、グイっと手首を掴んで歩きだそうとした。そう……この王太子はやたらとヒロインのステラの手首を掴むんだ。それで強引に引っ張られながらヒロインのステラはきゅん!なんてするけど……


 私は違う!離せ、離しやがれッ!


 足を踏ん張り移動を拒否する私を王太子は怪訝そうに振り返った。


 「血が出ている。手当をしなければ」


 ちょっと緩んだ王太子の手からさり気なく手首を引き抜き、ついでに何気なく一歩後ろに下がって距離を空けた。


 「ありがとうございます。けれどもほんのかすり傷で医務室に行くほどではありませんから、どうかお気になさらず」


 言い終わるや否や電光石火の早業で教科書を拾い集め、そのどさくさに紛れて更に王太子との距離を更に広げておく。尚且間髪入れずに『それでは失礼いたします、ごきげんよう』と優雅にスカートを摘んで一礼をし、残像で足が十本に見えちゃうくらいの早足を繰り出してその場を後にした。

 

 フーッ!ステラ・フランプトン、絶体絶命のピンチでしたわ!


 有無を言わさぬ立ち去り方に呆気に取られたのか追いかけられることもなく無事に教室に辿り着いた。気持ちを落ち着けようと深呼吸を繰り返しそれから何事もなかったかのようにドアを開ける。もうほとんどの生徒が席につき教科書に目を通していたけれども、ただ一人驚いたように目を見開きぽかんと口を開けたキャロルだけが私を凝視した。息する事さえ忘れたようなキャロルはピクリとも動かなかったが、やがて舌打ちするように僅かに口元を歪め一瞬だけ私を睨んだ。


 それからスッと視線を下に向け教科書をめくり始め、もう私を見ることは無かったのだけれど……なんか、一瞬とはいえ物凄くおどろおどろしい歌舞伎の睨みくらいの迫力があって思わず背筋がゾワッとした。


 何故でしょう?どんな理由で睨まれなきゃいけないのかな?


 頭の中を疑問で一杯にしながら継続中の窓際一番うしろの席に座り、それからなんとなくキャロルに視線を送った私は思わずその後頭部を二度見した。


 キャロルの派手にカールさせた黒髪にくっついているのは幾つもの枯れ葉だよね?頭に枯れ葉なんて何をしたら付くんだろう?


 「アレ?」


 私は思わず小さな声を上げた。


 淑女の鑑と名高いキャロルが枯れ葉が髪に付くような所に行くなんて凄く不自然だけれど、その枯れ葉、どこかで見た葉っぱに似ているような?何だかほら、甘い香りがするなぁと思ったら生け垣に白い花が咲いていて……そう、あれはクチナシだ!その葉っぱに似ているのだ。確か裏庭に入って直ぐの生け垣が……


 手にしていたペンがコロンと落ちた。私は慌てて拾い上げながらぶるぶると首を振った。


 だって今まで何も仕掛けて来なかったキャロルが今頃になって悪役令嬢化する?それも私は三曲目のダンスを踊ってなんかいないし王太子妃への梯子もばっちり外した。私には非がないのを解っていたから今まで堪えたけれどついに耐えられなくなった、とか?だけどあのキャロルが自ら動くなんて考えられない。キャロルはお言葉での嫌味や扱き下ろしに関しては容赦ないけれど物理的な危害は加えないはず。それはキャロルに荷担して暴走気味になっていた取り巻きのご令嬢達が勝手にやっていたことだったんだよね?


 始まった授業そっちのけで考え込んだ私は突然のつんざくような悲鳴で我に返った。


 キャロルが断末魔の悲鳴と共に机をなぎ倒しながら全身をブルブルと揺すっている。そしてポトリと落ちた緑色の何かを見て近くの席の生徒達が絶叫して飛び退いた。


 「だ、だ、誰かこれをッ!」


 顔面蒼白で叫ぶ先生が何かを指差しそれっきり言葉を失くしているが、キャロルを筆頭に女子生徒は泣きながら壁にすがり付き男子生徒は踏み留まってはいるけれど完全に腰が引けている。何が起きたかわからない我々後部席の生徒は次々に延び上がって覗き込むものの、皆『うわぁ!』とか言いながら走って逃げ出した。


 そんなに大きなモノには見えないけれど逃げなければならないような危険物なのだろうか?恐る恐る近寄って固まっている男子生徒の肩越しに覗くと床の上を人差し指大のモノがもぞもぞと動いている。


 「スズメガの幼虫!」


 ポロンと口に出した私の声に、教室中の熱い視線が集まった。


 



 


 


 


 

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