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 そう、私はそこにいた。そして迷子にならず何事もなくここに座っている幸せをしみじみ噛み締めながら『アレが王太子かぁ。ビジュアルは完璧なのにちょっと微妙なあの人か……』なんてぼんやり考えていて。多分その時私は王太子の微妙なエピソードをあれこれ思い浮かべ、無意識にニマニマ笑っていたんだと思う。だけどね、私とあなたの間には相当な距離があったんですよ?だからこそ安心してあなたのお顔を眺めていたんですもの。


 いや待って!もしかしてその時にこの何かと微妙だけどどうやら視力だけはバッチリのこの人と目が合っていたりなんてことは……


 「あの時僕たちの視線は固く固く絡み合い、僕は息をするのも忘れるような衝撃を受けた」


 やっぱりそう思った?でもすみません。普通の視力の私には視線が絡んだっていう実感はゼロなんです。それ、あなたの勘違いですってば。


 私は生まれて初めて『あちゃー!』って心境になった。これはあちゃーだ、あちゃー以外に当てはまる言葉がない。もしも願いが叶うのならばあなたのその手を振りほどき、あちゃーと共におでこをぺちんと叩きたい。


 けれども王太子は口を閉ざすと同時に握った手にぐっと力を込めた。あちゃーのぺちんを妨害するためか?なんて咄嗟に思ったが、不意にフワッと浮かんできたのだ。


 これ、ヒロインのステラに王太子が語ったヤツですよぉ!


 思わず全身総鳥肌になった私は恐怖でぶるんと震えた。だけど微妙なこの方は、感激のあまりって反応だと思ったに違いなく満足げにコクコクしている。ステラ・フランプトン、絶体絶命でございます!


 私は頭をフル回転させてこの後どうするかを考えた。絶対に回避しなくちゃいけないのは三曲目への突入だ。王太子はやる気だ。根拠はないが得たいの知れぬ何かが伝わってくる。となれば誘われる前にこちらからそれとなくこれにて終了になるような言い訳をして逃げなければ!


 どうするどうする?って必死に考えていた為だろう。ついうっかり足をずらすのが遅れ王太子の足が私の足を踏みつけ、ぐらついた私の足元で『ゴキッ!』という変な音が鳴る。靴のヒールが折れたのだ。


 「申し訳ございません!」


 本来私に過失は無いので謝るのは心外だけど神様が与えてくれたこのチャンス、逃さぬ手はない。私は今にも泣きそうに顔を歪めて王太子を見上げた。


 「靴のヒールが折れてしまい足首を捻ったようです。医務室で冷やして参りますわ。お相手を勤めさせて頂きこの上ない僥倖でございました」


 そう言ってよろよろしながら身体を離しスカートを摘まもうとした私の手首を、無情にも王太子はぐいっと掴んだ。


 「それはいけない。歩いては駄目だ、僕が連れていこう!」


 あーーーーっ!これは一番マズイやつぅっ!咄嗟に身を引こうにも足が言うことを聞いてくれない。本当に捻挫してるっぽい。


 お姫様抱っこ、ダメ絶対!


 最後の悪あがきでぐっと目を閉じながら小さく竦めた私の身体がふわりと宙に浮く。だけど耳元で聞こえたのは……


 「わたしが連れて参ります」


 というかなりご機嫌斜めなウォルターの声だった。



 ∗∗∗∗∗∗∗∗∗∗



 「ウォルター様、私歩けますよ」

 「駄目だよ。骨折というのはね、案外自覚がないものなんだから」

 

 王太子によるお姫様抱っこは回避できたが代わりに若き公爵にお姫様抱っこをされるって、とんだ公開処刑である。


 「フィリップがご令嬢とテラスに行ったのを見てステラはどうしているのかと探したら……アイツめ、なんてことを!」


 あら、フィリップお兄様がテラスに?誰?お相手は誰?なんて一瞬ワクワクしてしまったが、ウォルターはゴゴゴっという音が聞こえて来そうな位の不機嫌っぷりで、私は綻んだ顔を元に戻した。


 「でも、私もいけないんです。殿下が同じ所で同じミスをするのを知っていたのに、考え事をしていて避けるのが遅れてしまったんですもの」

 「ステラ……」


 ウォルターは呆れたように溜め息をつき、それから私の頭にぎゅっと頬を押し付けた。


 診察をした医師によると軽く捻っただけで重症ではないそうだ。むーっ!ウォルターめ。だから自分で歩けるって言ったのに。


 医師に出された痛み止めを飲み、一応冷やしておきましょうと渡された氷嚢を足首に当てしばらく休んでいるようにと言いつけられ、私はぐったりとソファに沈み込んだ。


 危機一髪だったけど三曲目を踊るのも王太子のお姫様抱っこも何とか回避できた。だけどもしウォルターが来てくれなかったらどうなっていただろう?ふとそんなことを考えゾワゾワした私は思わず身体を震わせた。


 「寒いか?」


 振り向くとワゴンを押したウォルターが気遣わしそうに眉をしかめている。平気だと首を振りつつ私の目はワゴンに釘付けになっていた。


 三段構成のワゴンにはキラッキラの美しいスイーツがてんこ盛りではございませんか?


 「ステラはこれを楽しみにしていたんだろう?」


 ウォルターの最近の楽しみは私へのモグモグタイムだ。屋敷に来る時にお土産と称して評判のスイーツを手に入れては私に餌付けをするのだ。だからもう私の好みをすっかり把握しているウォルターは、皿を片手に迷い無くスイーツを選んで乗せていく。凄い!私だったらこう選ぶ!っていうチョイスとの一致率八割超えなんだけどっ!


 隣に腰を降ろしたウォルターはマシュマロを摘まんで私の口に近付けた。


 「ほら、口を開けて?」


 小首を傾げてそう言うが流石のカピバラもそれは遠慮したいのよ?


 だけど実際足首に当てている氷嚢のせいで両手が塞がっていてこのままでは食べることができない。でも目の前にあるのは憧れの王城スイーツの数々。恥じらいとスイーツを両天秤にかけたらどっちに傾くかは解りきったことで、私はあーんと口を開けた。


 むにゅんとしたマシュマロの食感、口の中に広がるフルーツの香り。しゅわっと溶けた優しい甘さ、どれを取っても素晴らしいの一言しかない。


 マカロンもゼリーもムースもミルフィーユもタルトもどれもこれも美味しい。あぁ、色々面倒だなって思ったりしたけれど、私、頑張ってデビューして本当に良かったですっ!


 もう遠慮も恥じらいも何もなくウォルターが差し出す度に自然と口が開く。どれを食べても幸せで心が満たされ思わず目が潤んでしまう。そんな私を満足そうに見つめていたウォルターはタルトを頬張った私の唇の端に付いたクリームをスっと指で拭った。


 もぐもぐもぐ……咀嚼しながらウォルターを見上げた私の口がピタリと止まり、そしてそのまま無理やりごくりとタルトを飲み込んだ。私を見下ろすウォルターの瞳は今まで浮かべたことがない熱を孕んで輝いていて、私は急に何か良く解らない恐ろしさを感じ目を見開いた。


 「ステラ……綺麗だ」


 ウォルターの掠れたその声はいつものカピバラ見学者のものとは全く違っていた。

 


 

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