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 「……どなたかとお間違えですわ。わたくしはステラ・フランプトンと申します」


 一か八かそう言ってみたが回避はならず王太子は大仰に眉毛をハの字にして擦り寄るように一歩前に出た。


 「申し訳ない。君のあまりの美しさに心が乱れてしまったようだ」

 

 嘘つけっ、本気で間違えたクセに!


 「ステラ・フランプトン嬢。美しいあなたと踊る幸運をどうかわたしにお与え頂けないだろうか?」


 『嫌です!』と即答したいのは山々だ。だが私は伯爵家に身を寄せている居候で、貴族と言えるのかどうなのかすら自分でも確信が持てていない。この国は割とアバウトでおおらかなお国柄らしく姪っ子の私でもフランプトンの姓を名乗り伯爵令嬢と呼ばれるけれど、社交界デビューだって不要なのではと思ったくらいなのだ。


 そんな下っ端身分の私に拒否権など有るはずもない。私に許されているのは『よろこんで』という一言のみだ。


 このモーセの海割のような、もしくは春の立山黒部アルペンルートの雪の壁のような、そんな真っ二つに割れた人垣のど真ん中で『よろこんで』と。わーん、王太子め、この一年間の私の努力を踏みにじるなんてあなたは王子様の仮面を被った悪魔なの?


 兎に角兎に角兎に角兎に角、空気を読めーっ!


 なーんてこのちょっと微妙な王太子に望んでも無駄なのは火を見るよりも明らかだ。もう右手を差し出して手を取るスタンバイに入っているものね。ここでむきになって断って変に印象深くなったらそれはそれで後々面倒な予感がする。キャロルと踊るラストダンスまではとっかえひっかえ色々な令嬢と踊るんだから、要するに私だってそのうちの一人に過ぎない……のよね?


 「光栄の至りに存じます」


 スカートを摘んだ私はせめてもの抵抗として『よろこんで』を回避した。だってよろこんでなんかいないんだからね!


 ちょっと微妙な王太子には伝わらないだろうけれど、この人垣の構成員の数%は『おや?』って思ってくれるだろう。願わくばその確率が80パー位だと有り難いのだけどそれは無理よね?でもでも、できる限り高確率をお願いしますよ、構成員の皆様!!


 王太子と私が歩くと勝手に人が捌ける。界面活性剤の実験みたいに弾かれるように捌けていく。そしてホールのど真ん中まで来ると待っていましたとばかりに楽団がワルツを演奏し始めた。


 何かと微妙なこの人だけど運動神経は抜群だ。コツコツやるのが嫌いで練習不足だけど剣の腕はそこそこ。ちゃんと鍛錬すれば才能が花開くのは間違いないのに、なんて言われているが何事にもそんな感じの微妙さだ。


 まんざらお馬鹿さんじゃないんだよね。だけど甘やかされて育った一人息子だから我慢ができなくて努力が嫌い。そしてダンスに関しては、身体能力にモノを言わせて適当にやっていたフィリップお兄様と同タイプで間違えるところも同じだ。


 リバースターンからの初めへの繋ぎのクローズドチェンジ、その脚が右なんだ。だから右を引いた私の左足が踏まれちゃうのだ。


 それでもお稽古で散々フィリップお兄様に足を踏まれた私は回避術を身に着けていたので、右足を引きつつ左脚をずらすというテクニックを駆使して王太子の右足を避け続けた。そして見事初めの一撃を除く全ての右足を躱すことに成功した。


 うわぁ!物凄い達成感ですわぁ!


 それに加えてこれで開放されるぞという開放感、気分爽快でいざ休憩室へ!とはやる私の心の中はデザートの並ぶテーブルで満ち満ちている。だけど礼儀は尽くしますよ。騎士だった父の血を引いていてかくいう私もそこそこ身体能力は高くてですね。立ち居振る舞いを身に付ける速さったら先生が目を瞠るくらいでしたもの。淑やかに膝を折り美しい一礼を決めそれじゃ失礼しましょうと顔を上げた私の目に映ったのは、何だか物凄く熱っぽい王太子の瞳だった。


 「楽しかった。こんなに楽しく踊ったのは初めてだ……」


 甘ったるい声で囁きかける王太子だがそれはあなたが悪いのだ。ちゃんとお稽古をして繋ぎのクローズドチェンジは左脚って頭に叩き込めば絶対にお相手の足を踏まなくなるのよ?


 「ねぇ、君もそうじゃないかな?だって君は……」


 王太子は軽く首を傾けてニコリと笑う。


 「花が綻ぶように笑っているんだから」

 

 思わず息を飲み後退ろうとした私の手を王太子が捕らえた。


 不味い、これは不味い。


 達成感と開放感に浮かれて無意識に満面の笑みを浮かべるとは、ステラ・フランプトン一生の不覚!おまけにそれをみたちょっと微妙なこの人は、大きな勘違いをしたらしい。


 王太子は手を離そうとしない。それどころかぐいっと引っ張られ強引にホールドされたのを察知した楽団は次のワルツを演奏し始めた。


 二曲だなんて、聞いてませんよぉ。


 「初めて目があった日のことを覚えているかい?」


 王太子にそう聞かれ私は思わず足を止めそうになった。


 初めて目があった日?今日じゃないの?入学以来決して目が合わないように私それはもう警戒して過ごしてきたんだから。ってことはアレよね?どうせ今度こそ誰かと勘違いしているんだわ。なんたって正々堂々名前を間違えるような微妙な方ですもの。


 という私の希望的観測は見事に打ち砕かれた。それまでの微妙っぷりは何処に鳴りを潜めたのか、王太子は自信満々に言ったのだ。


 「入学式の新入生代表の挨拶を終えた僕が顔を上げた時だ。じっとこちらを見つめている君と目があった。君は一番左端の前から四番目、後ろから三番目の席に座っていたね。あの時僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。微笑みながら僕を見つめていた君は地上に降りた天使のようで、君は一筋の光に照らされて光輝いていたんだ」


 一番左端の前から四番目、後ろから三番目……悲しいかな、それはバッチリ正解だったのである。


 

 



 

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