4話 裏側
「...行ったか」
ベニッピー曰く「怖い顔の人」、ケヴィンはなんとも形容しがたい表情で呟いた。
「いやぁ、大変面白いものが見れました! 素晴らしい!」
興奮した面持ちで、ずれた眼鏡を掛けなおすのは「召喚師長」ウラリー。
彼ら二人は、ベージュの魚が窓ガラスを突き破って外に出ていくまでの一部始終を、廊下に複数配置されている監視装置の水晶玉を通して別の部屋から見ていた。他の召喚師達は今はいない。
「全く素晴らしくはないだろう。何故、魚に能力を与えたのだ」
「能力付与の魔法陣はもう起動させちゃったじゃないですか。使わなければ無駄になるだけでした。勿体無い」
「...化けるとは考えなかったのか」
「ちょっと想定以上でした。召喚直後の様子からも、やや知能が高そうな魚だなとは思っていましたが、まさか最初から高度な自我を持っていたとは。どこまで知能が向上したのか、もっと見ていたかった!
それから、付与対象が手足の無い魚だったことで、本来なら物理技術を伸ばす「枠」が、魔法技術に全振りされたようです。まったく、驚くべき魔力量で。
身体強化はそのまま作用したようで、あれはカチコチでしょうね! なにせ人間用の分量が、あんな小さな魚に注がれたのですから! あはっ」
「魔法は使わなかったな」
「ええ、色彩変化だけでしたね。まだ使い方がわからないのか、監視されていることに気づいていたのか...
確実に後者でしょうけど」
「ったく。本当に危ないことをしてくれた。普通なら、無自我による魔力暴走だぞ。どう責任をとる気だったんだ」
ウラリーは驚いたように瞬きした。
「そうですね、確かにそれがありました。まぁ、あの「召喚の間」は頑丈ですし、強大な魔法ほど打ち消します。ですので問題なかったでしょう。 それに万が一そうなっても私が抑え込みますし」
「...次はもっと注意してくれ」
「はいはい、了解であります」
彼女の異名が狂召喚師だということを今思い出したケヴィン。
半分諦めながらも、先程大空に向かって飛び出していった魚に思いを馳せる。
召喚した直後は、失敗したと思った。
次の計画を練り直さねばと、小さな存在のことなど瞬時に思考の外に追いやり部屋を後にしたのだが。
少し廊下を歩いたところで、全身に悪寒が走った。
他の者も同様のようで、戦慄した顔で硬直している者すらいた。
異変の原因は「召喚の間」だ。
そこで、たった今、今の自分たちでは対処不可能な強大な存在が発生したのだとわかった。
「皆、速やかに退避しろ!しばらくは決して油断せず、「召喚の間」に近づくな!」
声を張りながら率先して駆け出す彼に、言われなくてもわかっている、とばかりに他の者も必死に追従する。
ウラリーも後ろ髪を引かれていそうながらも素早く動き、監視装置のある部屋に飛び込んでいく。
ケヴィンは他の召喚師達の指揮を執るべきか一瞬迷ったが、結局は自分の興味が勝った。
彼らのことなら大丈夫だろう。既に、ちゃんと遠くへ逃げている。
二人並んで大きな水晶玉を覗き込むと、小さな魚が実に賢そうに移動しているのが目に入った。
ウロウロ、フヨフヨし、何やら考え込むように動きを止めた後、潔く窓を突き破っていく様を見た。
そうして、今に至る。
「敵意は...抱かれなかっただろうか。あの魚に自我があったなど思いもしなかった。人外とはいえ失礼なことをしてしまったな」
「そうですねぇ。けっして良い印象ではなかったでしょうけど、まだギリギリセーフなのでは?」
「やはり、もう一度召喚の儀式を執り行うのは無理があるか」
「最低でも1年以上は必要ですからね」
彼は黙り込んだが、すぐに吹っ切れた顔でウラリーに向き直る。
「では。彼...彼女?にもう一度接触するしかないな」
「はい。ところで、かの御魚様を、いつまでも「あの魚」呼ばわりは面倒ですし、礼を欠きます。
仮の名をつけて呼称しませんか?」
キランと眼鏡の縁を光らせながら、彼女は茶目っ気溢れる口調で続ける。
「残念ながら私のネーミングセンスは甚く評判なもので。ケヴィン、貴方にお譲りしましょう。
もちろん、任せてくださっても構いませんよ」
「無理することはない、任せろ」
いつになく即答した彼をウラリーは面白そうに眺める。
もし変なニックネームがお魚の耳に入って、今度こそ怒らせてはたまらないと考えているのだろう。
「......」
「やはり私が」
「待て!
...鮮やかな赤い色をしていたな。安直だが、碧玉でいいだろう。仮名だしな」
「碧玉ですか。良いですね。呼びやすいですし、もし耳に入ってもこれなら問題無いでしょう」
「う、うむ」
動揺を悟られないうちに話を変える。
「誰が探しに行くかだが」
「私は行きますよ。それとリディも連れて行こうと思います」
「!」
「こういう時、彼女以上に役に立ちそうな者を他に知りませんから」
「そう、だが。...おまえと彼女の二人だけか?」
「だめですか?危険は無いと思いますよ。近づく魔物は、全て解剖されますし。彼女に」
違う、言いたいのはそっちじゃないと、内心頭を抱えるケヴィン。
「誰が、まともな交渉と説得を行うのだ」
「失礼な。私に決まっているでしょうに」
確かに。しかし、彼女の場合は、「迷惑を掛けたお詫びです~」とか称して最新型魔法陣でもプレゼントしかねない。
信頼しているが、狂召喚師を単独でジャスパーに近づけてはならない。
「俺も行く」
「そう言うと思ってましたよ、なんだかんだ貴方は面倒見が良いですからね。
リディにはすぐに連絡します。直ちにとんできますね、これは」
飛んでくるのか跳んでくるのか、着の身着のままで来るのか。
いずれにせよ、明日には出発できそうである。
この世界では見たことのない、小さな赤い魚。
彼に名前はあるのだろうか。
次に会ったら、失礼な態度をとってしまったことを謝らなければ。
そして、懇請するのだ。
―――神を、殺めてほしいと。