8話 この村の料理は不味いようです(※ワインは除く)
「ここが、とりあえず真澄先生の部屋ね」
杏奈先生のカフェに帰ると、2階に案内された。
もう夕方になりカフェの営業は終わったと帰って行ってしまった。アナの家は商店街かたちょっと離れた村の農業地区にあるといい、足早に帰っていく。
夕方には商店街の店は全部営業が終わっているようで、本格的に長閑な田舎と思わされた。
案内された二階の部屋は、ソファと机があった。
「ベッドはないのよ。しばらく我慢してね」
「いえ、寝る所があるだけ十分ですよ」
リリーからもらった服や下着もある。よく見るとタオルや歯ブラシなども入っていて当分は生活に困りそうにない。
「リリーから服もらったのね。部屋着に着替えたら? スーツ姿じゃ疲れるでしょ」
「そうね。そうします」
「私も着替えて来るわ。その後に夕飯にしましょう」
「そういえばもうお腹ぺこぺこです」
「でしょうね。美味しい料理をご馳走するわよ」
料理の話になると杏奈先生は機嫌が良さそうで笑顔だった。
「食糧はどこで買ってるんですか?」
商店街にはスーパーや市場のようなものはない。教会の方にもなかった。
「市場が隣町にあるのよ。そっちは割と栄えていて、病院や学校、駅もあるから。そこからずっと電車に2時間ぐらい揺られると王都に出るわよ」
「王都?」
「まあ、滅多に行く事はないでしょうけどね」
そこで杏奈先生は何か考え込むように黙ってしまった。
「じゃあ、着替えてくるね。あと、私の部屋には決して入ったらダメよ」
「え? 何でですか?」
珍しく杏奈先生は難しい顔をしていた。
「ダメと言ったらダメ。色々カフェの資料などもあって散らかっているの」
「わかりましたよ」
そういう事なら仕方がない。わざわざ家に置いてもらってる状況である。ワガママは言える立場でない。
「わかったわね? 絶対よ」
杏奈先生は念を押して部屋から出て行った。
リリーからもらった服の中にはちょうど部屋着も入っていた。モコモコとしたワンピース状のもので、若干派手であるが、ワガママは言っていられない。今の季節はおそらく春から初夏と思われるが、ちょっと肌寒いのでちょうど良かった。
着替えると、杏奈の部屋をあまり見ずに通り抜ける。あれほど念を押されるとやはり、見てはいけない気分にもなる。
廊下の突き当たりには、キッチンと小さな食卓もあった。
杏奈は鍋を掻き回し、何か作っていた。トマトやコンソメの良い匂いもする。キッチンはさすはにIHなどの日本にあるようなものではないが、冷蔵庫やガスコンロもあり、やはり日本の昭和レベルの文化水準はあるようである。ポットは花柄でちょっとレトロなデザインだ。
冷蔵庫は全体的にゴツく、薄いピンク色で日本のものと比べて古臭いデザインだが、機能には問題無さそうである。フライパンはフッ素加工されていない重たそうな鉄製だった。祖母の家に似たような使いづらそうなフライパンがあった事を思い出す。電子レンジはいようだ。料理下手の私は電子レンジの毎日のようにお世話になっていたので、少し不便そうな印象は受ける。
「あぁ、いい匂いですね」
「ふふ、昨日の残り物のミネストローネだけどごめんね」
「いえ、本当にいい匂い」
私もただ黙って待っているのも申し訳なく、皿を洗ったり、食卓のテーブルを布巾で拭いたりして杏奈先生を手伝った。
「うわぁ。手伝ってくれて嬉しい」
杏奈先生はちょっと大袈裟に喜んでいた。
「そうですか?」
「そうですよ。全く男どもは気が利かず、待ってるだけね」
この口ぶりだと杏奈先生は男性をよく知っているようである。
私の父は母の事をよく手伝っていたので、他のケースは知らない。つまり彼氏いない歴イコール年齢という状況である。友達から男性を紹介されて数日間だけ付き合ったこともあるが、お互いよく知らないまま自然消滅した。これは本気で付き合ったとは言えないだろう。
私は理想が高いのかもしれない。ロマンス小説を読みまくっていたせいで、完璧なキラキラな王子様ではないとダメだとどこかで思っていた。これは自分が原因であるので誰のせいでもない。ロマンス小説を読んでいればそこそこ恋愛の妄想は満たされてしまうため不満はないが、杏奈先生の男の陰が見え隠れする発言を聞くとちょっと心がチクリともする。
「では食べましょうか」
「わぁ。美味しそう。杏奈先生は本当に料理上手なんですね」
テーブルには、温かいミネストローネ、丸みを帯びたロールパン、サラダ、鶏肉のハーブ焼きがある。
杏奈は全て昨日の残り物だと謙遜していたが、どれも美味しそうだった。実際スープは野菜が溶け込んでいて甘く、パンもふわふわでほとんど噛まずに食べられた。サラダもレタスがシャキシャキだし、鶏肉のハーブ焼きもさっぱりとしたレモンとスパイシーなハーブの味が絶妙である。
「美味しい! 杏奈先生は料理の天才じゃないですかすごく美味しい!」
「嬉しいわ。真澄先生はそういう素直なところがいいところね。生徒のいいところ褒めるのも上手かった」
「そうですか?」
「そうよ。私はてんでダメね。全く素直さなんてないし、性格悪いのよ」
そう言って杏奈先生はニヤリと笑い、ミネストローネを飲み込んだ。
「そんな風には見えませんけど」
「ふふ。私は本当は性格悪いのよ。日本にいた時は自分ではけっこうマトモだと思ってたの。でもこっちに来てから、性格の悪さを思い知ったわ」
「どういう事ですか?」
「うーん。詳しくは言えないんだけど、自分は案外上から目線の性格だって事ね。村の人は素朴で純粋だから、私の悪どさが際立ってしまうのよね…」
私はふわふわなパンを頬張りながら首を傾げる。杏奈先生は自分のことを性格が悪いと言っていたが、そんな風には全く見えない。女子力が高い朗らかな人という印象以上のものは無い。
「そんな風には見えないけどな」
「いいえ、性格悪いのよ。私は。ここの料理食べた時ね、あまりにも不味くてビックリしたの。もともと、牧師さんの家にお世話になってたんだけど」
杏奈先生は、このコージー村の料理がいかに不味いか力説し始めた。パンは石のように硬く、酸っぱい。スープの中は出汁も効いていない。チーズや肉料理はそこそこだが、炭水化物が少なく食べ応えがない。この国はタンパク質過多の食事のようで、スイーツも全く発達していないらしい。「ほとんど甘いものがないのよ! あってもクッキーぐらい!」と杏奈先生はブーブー文句を言っていた。
「お菓子が無いのは困りものですね…」
私はドン引きしながらも、杏奈先生に同意しておいた。文句を言っている杏奈先生は確かにちょっと性格が悪そうだ。ただ、食べ物については好みがあるし、お菓子が無い世界というのは結構キツいと思う。私はそれほど甘いものが好きでは無いが、誕生日やクリスマスにケーキが無いと思うと結構キツい。
「だからこのままではダメだと思って、カフェを作る事にしたのよ」
「へぇ……」
そこまでするのかと私はやっぱり引いてしまう。それに不味い料理だと力説されるとこの土地の料理も食べてみたくなる。炭水化物は少ないという事だが、糖質オフでかえって健康には良いのでは?それに私は食にこだわりなど全く無いし、誰かの料理に文句つけるのは抵抗がある。自分も料理が下手だし、人の事は言えないのだ。
「このパンは私が焼いたの」
「そうですか」
杏奈先生が焼いたというふわふわなロールパンではあるが、ちょっとこの土地の石のように硬いパンも気になってしょうがない。せっかく別の世界にいるのに日本でもよくあるようなロールパンを食べても好奇心は満たされない。
「特にあの商店街のミッキーのパン屋のパンは最低なのよ。岩みたいなんだから」
「そうなんですか?」
自分が考えていた事を見透かされたような気がして、私は慌てて同意し、ふわふわなロールパンをほとんど噛まずに飲み込む。それくらいこのパンは柔らかだった。たぶん顎の力が衰えたが年寄りでも食べられそう。
「そうよ。本当に愚痴りたい気分!」
ついに杏奈はワインをもってきて、酒を飲みながら、パン屋について愚痴り始めた。これは長くなりそである。
「あなたはワイン飲む?」
「うーん、少しだけなら」
お酒はあまり強くないが、ここで断るのもなんとなく杏奈先生の恨みを買いそうだった。
「このワインは? どこの?」
「ああ、ワインはこの村のものよ。教会からずっと先にぶどう畑とワイン工場もあるのよ。この世界にはぶどうとそっくりな果実があるのよ。名前も同じ」
ワイングラスに半分ほど注ぎ、杏奈先生と乾杯した。何を祝っているのかは不明だが、とりあえずそんなムードだ。
「うん? ワインは美味しいですね。味がまろやかで、なんか夢見心地…」
飲んでいるとうっとりとした気分になる。ワインも不味いかもしれないと覚悟していたが、そんな事はなかった。むしろ葡萄の味が濃く、飲んでいると身体がふわふわのと軽くなっていく感覚もする。
「まあ、ワインだけは美味しんじゃない。主に輸出用に生産しているようだし。でもパンは最低!」
お酒を飲んだためか杏奈先生はより饒舌になっていた。商店街のパン屋の店主ミッキーという若い男なのだというが、作ってるパンはどれも硬く、真っ黒で、酸っぱいという。スープに浸して食べても噛みきれない!と杏奈はプリプリと怒っていた。
私はドン引きしながら杏奈先生の愚痴を聞き続けた。食べ物のついてこだわりが強いのはわかるが、少し言い過ぎにも感じた。杏奈先生にはいい印象しかなかったので、残念な気持ちもある。
しかしワインも美味しく、私も愚痴がこぼれる。杏奈先生につられてしまったのだろう。
「あーあ、異世界転移なんて冗談じゃないですよ。全く、これからどうすればいいんですかね。好きなロマンス小説も読めやしない」
「ロマンス小説?」
杏奈先生はなぜかこの単語に食いついた。
「私ロマンス小説ヲタクなんですね。洋書も読みまくって、それで英語もマスターしちゃったんですけど」
「そうなの? 結構すごいじゃない」
「私は中学や高校の時に英検でガリ勉した感じよ」
「この状況では英語できて良かったですよね。言葉が通じない世界は結構キツい」
「そうねー。ところで」
杏奈先生はここで再びワインを口に含み、私に質問してきた。
「あなたは本はよく読むの? 日本で流行ってる小説とか」
「全く読みませんね。ロマンス小説ヲタですし、洋書も読みたいし。そういえば、異世界転移や転生のライトノベルって結構流行っていますね」
そう言うと、杏奈先生は目を伏せてちょっと苦い顔をみせる。確かにこの状況でそう言ったライトノベルの話題は相応しくなかったのかもしれない。
「まあ、流行ってるといっても生徒が騒いでいるのを又聞きしただけで、詳しくは知りませんけど。生徒でネット小説を書いてる子もいるみたい」
「そうなのね。ところでロマンス小説はどんなのが人気なの?」
「そうですねぇ」
私はペラペラと好きなロマンス語について語った。今は貧乏伯爵令嬢とイケメン医者のロマンス小説にハマっていた。続きは洋書を入手してまで読んでいた。つくづく続きを読めない状況が嘆かわしくなった。『愛と薔薇と夢の果てに…それは永遠』というタイトルで、ちょうどヒロインとヒーローが離れ離れになる所で終わっていた。
「へぇ。ロマンス小説も面白そうね」
「読みますか?」
この状況では元いた世界のロマンス小説を読むことは不可能だが、詳細なあらすじなどを語る。
「この『愛と薔薇と夢の果てに…それは永遠』っていうロマンス小説は本国でも人気でして、映画化も決まってるんです」
「そうなの? まぁ、気になるわー」
杏奈先生は私のヲタク話も熱心に聞いてくれた。自分の好きなものを聞い貰える事はとても嬉しい。やっぱり杏奈先生はいい人だ。この世界の食べ物の愚痴は、たぶんその情熱が空回ってしまった結果だろう。杏奈先生は自分で言うほど性格は悪くないと思った。