22話 郷に入っては郷に従え
は一日中、カフェや二階を探したが、めぼしい証拠は無かった。
カフェの冷蔵庫材料庫には、日本の食材のいっぱいあった。業務用と書かれていたものもあり、ガッカリである。この不便な異世界で工夫しながらカフェを経営していたと思ったら、蓋を開けてみたら原材料は日本製。しかも日本の袋パンも冷凍してあった。
杏奈に出され、ふわふわで美味しいと思ったパンも大手メーカーのものだった。マリトッツォもパン生地が日本製、クリームがこの村の牛乳から作ったもの。あの濃厚なおいしさは、この村の美味しい牛乳のおかげもあったらしい。まさに杏奈先生は日本とこの村のいいとこ取りをしていたわけで、恨まれていた事も納得できてしまった。
特に村でパンを作っているミッキーは面白くないだろうと思う。日本ではパンはおやつや軽食、スイーツに近いものだが、ここでは主食。用途が違うのだから、味についても違って当たり前である。この土地のパンははっきり言って美味しく無いが、こんな風に商売されたらミッキーは面白く無いだろうと察する。もし杏奈先生のカフェのお陰で経営打撃を受けたり、廃業まで行ったらミッキーは杏奈先生を恨んでいても仕方がないだろう。
そんな事を考えていると、アナがやってきた。カフェに灯りをつけ、客席に2人で座る事にした。とりあえず湯を沸かし、ブラックティーも淹れる。
「わぁ、マスミ。初心者の割には、ブラックティーの淹れ方上手」
アナはブラックティーを飲むと、目を細めて喜ぶ。紅茶と同じように淹れただけだが、この国には「ブラックティーを上手に淹れたらお嫁さんになれる」ということわざがあるらしい。元々英語の勉強も好きなため、ことわざなど言葉の事を聞くとワクワクする。
「他にどんなことわざがあるの?」
「えっと、『旅人は村人のスープを拒んではならない』とか」
「どういう意味?」
「同じスープを食べたら、同じ仲間だっていう意味と、自分のエゴをごり押ししてもろくなことないよって意味ですね。素直に出されたものは受け取りましょうって意味」
日本語でいえば「郷にに入っては郷に従え」と意味が近いだろうか。
「結構面白いね。今度図書館で言葉について調べてみようかな」
「マスミは言語に興味があるのね。この村にも昔コリンっていう言語学者の先生が住んでいたのよ」
ここで沈黙が落ちた。
お互い話したいことは、杏奈先生の事だ。でもそれを話すきっかけが無い。言いにくい話題であるが、私は杏奈先生の話題を切り出す。
「アンナが死んじゃったなんて」
アナは泣きそうだった。
「仕事仲間が死ぬなんてこんな悲しい事は無いのね」
この様子では、杏奈先生と何かトラブルがあった様子は無さそうである。
「私、カフェの冷蔵庫の中身見ちゃったんだけど、日本製の材料がいっぱいあったわ。アナは知ってた?」
私はさらに言いにくい話題を切り出す。アナは顔を青くしていた。この様子では何か知っていたのに違いない。
「実は、このカフェの運営は大変だったんです。まず小麦粉やトト粉が手に入らない。どうやらパン屋のミッキーが問屋に圧力かけてみたい」
「そんな事できるの?」
想像以上の嫌がらせである。だとしたら杏奈先生の方がミッキーを恨んでも仕方がない。
「ええ。ミッキーのパンには意外とファンが多くて。王都からわざわざ買いにくるお客さんもいるらしい」
「儲かってるじゃない。このカフェが影響であのパン屋が経営悪化した様子はある?」
「まあ、女性客は明らかに減ったようですが、根強いファンがいるパン屋みたいで関係ないんじゃないですか」
こに話だけ聞くと、ミッキーの印象はとても悪くなってしまった。
「まあ、田舎の商売なんてそんなもんですよ。お互い足を引っ張ったり。そんな感じで材料が上手く集められず、アンナは地元に帰って調達していたわけ」
「あなたは、杏奈先生が元いた世界を行き来していた事は知っていたのね?」
「ええ。絶対口外するなっていう条件で働いていました。実は今年は天候は不安定でうちの農家も豊作でなく、ここでのバイトはかなり金銭的に助かっていました」
「そう。杏奈先生が事件を解決するたびに元いた世界と行き来していた事は知ってる?」
「ええ」
アナはうなずき、ブラックティーを啜る。何かお菓子でも出した方がよかった気もするが、日本製の安いチョコやポテトチップスを出すのも何とも微妙である。
「どれぐらい行き来できてのかしら」
「だいたい3ヶ月か1ヶ月ぐらい。次の事件が起きる直前に扉が閉まってしまうらしいですね」
杏奈が殺人事件を解決していた事情がよくわかる。カフェの運営でも材料を入手する必要があったためだろう。
「マスミも殺人事件を解決したら良いと思うの。たぶんそれで帰れるんじゃないかな?」
杏奈の事情をよく知っている軽く言う。調査をする事はできると思うが、犯人を探し出せるかどうかは全く自信がない。
「そんな簡単に言わないで。難しいわよ」
「とりあえず怪しい人物に事情を聞いたら良いんじゃないかな。アンナもいつもそうしていたよ」
「そっか」
私はポケットから事件についたノートを取り出した。アナに見せ、間違っていないか確認する。見せると言っても日本語で書いてメモはアナにはわからないので、全部英語で言い直したわけだが。
「すごい、だいたい合ってるいるんじゃないかな」
「そう? よかった」
「それにしても嫌がらせされてたの?」
その事については、アナは知らないようだった。
「昨日と今日もチラシが。アナは何か知らない?」
アナはしばらく考えて首を振る。
「でもジェイクは…」
「ジェイク?」
アナは何か言いかけていたが、渋い顔でとても言いにくそうだった。
「何か知ってるの? なんでもいいから教えてくれない?」
私は懇願するように両手を合わせる。日本人っぽいポーズだとも思ったが、アナには自分の気持ちが伝わったようである。
「えぇと、アンナはジェイクに片想いしていたんですが」
それは手帳にも書いてあった。ジェイクの事についてはお花畑になるようで、少女漫画風のポエムが手帳に書いてあった事も思い出す。
「まあ、ジェイクはあの顔でしょ?」
「ごめん、私はジェイクにあった事がないので顔がわからない」
「とにかくイケメンよ。舞台俳優のイアンと…」
アナはこの国の俳優の名前を複数挙げていたが、さっぱりわからない。劇が中心の活動のようで、この国には映画やテレビはまだ無いようだった。日本でそんなものがあると知ったら、さぞ驚く事だろうが、わざわざ言う必要もない。あんな小さなスマートフォンで動画が無料で見れた事は奇跡に近い事ではないかと、この村の現状を見て思う。
「まあ、一言でいえばキラキラな王子様タイプね。マスミも惚れるかも?」
「まあ、こんな状況で恋愛する気分にはなれないわ。それで杏奈先生とジェイクはどんなトラブルがあったの?」
私はノートを広げてアナの言葉をメモする準備をする。
「ジェイクは別にアンナには相手にしていなかっていうか。むしろカフェのメニューが健康に悪いって怒ってた」
「健康に悪いの?」
メモを書きながら嫌な気分だ。マリトッツォはともかく、おにぎりと味噌汁なんてむしろ健康に良いんじゃないか。
「ええ。私も味噌汁は健康にいいですよって言ったんだけど、臭いって嫌ってた」
まあ、日本人でもない人に味噌汁はちょっとハードルが高いかもしれない。元いた世界ではイギリス人やアメリカ人の英語教師の同僚もいて、日本の料理は美味しいが苦手なものはあると言っていた。味噌汁は日本人にとって血液みたいなものであるが、外国人にとっても美味しい料理とは限らない。
日本人にとっては美味しい料理の代表格のナポリタンもイタリア人から見ればケチャップで麺を味付けするなんて信じられない料理らしい。イタリアではトマトから作られたパスタソースを使うのが一般的でケチャップはジャンクフード扱いと聞いた事がある。
私も外国の青カビチーズは食べていると吐きそうになるし、キムチも辛過ぎて食べられないが、単純に好みや食習慣の問題でどっちが上でも下でも無い。その土地で親しまれている料理には何らかの理由があるだろうし、部外者が口出しする事は何となく下品にも感じる。
「マリトッツォは悪魔の食べ物なんだって。あんなに美味しいのに」
「まあ、美味しい事は美味しいけど、体重を考えると危険ね。毎日食べたら問題だけど、たまにマリトッツォを食べるのは問題ないと思う」
「そうね。ジェイクの言っている事は正論なんだけど、ちょっと言い方キツいところはあった」
「でもそんな事でトラブルになる? むしろ杏奈先生の恋も冷めるんじゃ」
「いえ、むしろ嫌な事言われれば言われるほどアンナは燃えてたよ。一週間前も無理矢理デートに漕ぎ着けて、教会の近くの湖にピクニック一緒に行ってた」
杏奈先生は意外と積極的なタイプのようである。その事もメモに書きつける。それにしても綺麗な湖でピクニックとは夢がある。恋愛が盛り上がってもおかしくはない状況ではある。
「そのデートは上手く行ったの?」
「それが、アンナがピクニックランチにニホンのパンを持っていったみたいのですが、ジェイクは不味いと言って揉めたらしい。ジェイクもミッキーのパン屋のファンだから、口に合わなかったんでしょうね」
杏奈先生の恋愛が上手くいっていない事は分かったが、それが殺人事件に繋がるかわからない。この状況であれば杏奈先生のほうが逆恨みをしてジェイクを殺してもおかしく無いではないか。
「他に杏奈先生が揉めていた事とか何か知らない?」
「うーん、占い師のチェリーにも嫌われてたかな? でも、さすがにあの不健康そうな婆さんが包丁で刺すかしら。毒でももったほうが合ってるね」
確かにあの魔老婆は杏奈先生を刺し殺せるだけの体力などがあるかどうかは疑問である。
「牧師さんと杏奈先生はどうなのか?」
「特にないんじゃない。でも一度聖書をごり押しして来た事もあったかな。アンナは興味ないってあしらっていたけど。それで何か事件と関係あるとも思えないわ」
アナが言う事はもっともだった。やはり怪しいのは、ミッキーかジェイクだ。あとジャスミンやミシェルも怪しい。魔老婆も怪しいが、実行犯ではないような気がしてならない。この4人をまず話を聞いたら良いと思う。
「頑張ってね、マスミ。これは私のママがマスミを心配して作ってくれたの」
アナは紙袋から大きめな鍋を見せた。鍋は厚手の布巾で包まれていた。
「え? いいの?」
「うん。野菜のスープ。癖のないチキン味だからマスミの口にも合うと思う。昔、アンナに味の濃いシチューをママが作って持って行ったら不評だったけどね」
アナのママの親切心に涙が出そうだ。こんな時だから余計に嬉しい。感謝しかない。
「じゃあね、マスミ。頑張って!」
「アナ、本当にありがとう。ママにもよろしく伝えてね」
「ええ」
アナが帰った後、私はさっそくチキンスープを温めた。おそらくニンジンやキャベツに似た野菜、そしてチキンがが入っていて心に染みる味だった。この土地のもので初めて美味しいと思った。薄味のスープと雑穀パンや田舎パンの相性は悪かったが、それでも美味しかった。
窓の外はもう夕暮れ。もうすぐ夜だった。
とりあえず今日は何事もなく終わるだろう。使い終わった食器を洗いながらそう思い込んでいた。




