1話 日本で英語の先生やってました
「だから、アメリカでマクドナルドって言っても通じないんですよ」
2限目に授業中、時間が余ったので英語にまつわる雑談をしていた。
私は英語教師。
聖ヒソプ学園というカトリック系の女子校で教えていた。生徒は見事に女だらけ。教師も女性が多く、出会いもない。立派な行き遅れだが、別に一人でも稼げるし、趣味のロマンス小説が読めればそれでよかった。一応キリスト教系の学校ではあるが、生徒も教師もクリスチャンは少ない。私も普通の日本人だった。
「じゃあ、真澄先生。本当の発音はどういうの?」
生徒の一人が質問した。私はなぜか下の名前で呼ばれている。人気のある教師ではないが、嫌われてもいない。というか若干なめられているのは否めない。
「三音のリズムで、ドを一番大きくいう感じで、ネイティブの発音をモノマネする感じで言ってみよう。あとでALTのマイク先生にも通じるか試してみるのもいいね」
「本当に通じるの?」
「たぶん。私も別にアメリカやイギリスに住んでたわけじゃないけどねー。マイク先生には通じたわ」
私は海外のロマンス小説が好きで洋書も読みまくり、アメリカやイギリスのファンとメールのやりとり、テレビ通話や電話もする様になっていた。
いつのまにか英語が上達してしまった。英検一級も持っている。他に全く特技はないが、こうして英語だけはできてお陰で仕事もある。趣味でもこんな風に仕事に生きるのだから、ヲタクは何でも極めるといい。そう生徒にもよく言っているが、あまり伝わってはいない。
女子高生ぐらいだと、趣味より恋愛や部活の方が大事なのかもしれない。思った以上に日本は、男性社会に出来ているし、男性的な極めるという能力を身につけていても損は無い。一見平和に見える日本だが、何のスキルもない女性が一人で生きられるほど甘くは無い。
「そういえば先生、旧校舎にある開かずの扉の噂知ってる?」
「開かずの扉?」
生徒の一人が、新しい話題を出してきた。
「あそこで杏奈先生が行方不明になったらしいよ」
「杏奈先生が?」
杏奈先生は同僚だった。私より五つぐらい歳上のアラフォーの英語教師だった。私と違って朗らかで好かれていた教師だったが、2年ぐらい前に突然行方不明になった。校内で行方不明になったという噂で警察もやってきたが、いまだに行方不明だった。
女子力が高く、時々手作りのクッキーやマドレーヌも配っていた。私も貰った事があるが、お店で売っているもののように美味しかった。美人だったし、なぜ結婚できないのか不思議なぐらいの女性だった。
「開かずの扉なんて単なる噂でしょう?」
「でも、あそこ怖いよねぇ」
生徒達はすっかり噂話に夢中になり、私が披露していた英語豆知識など話しても聞く耳を持ってくれそうになかった。
窓の外を見ると、よく晴れた平和な一日である。澄んだそらの色が綺麗だ。校庭で体育の授業をやっていて、教師がならすフエの音や生徒の声もする。
チャイムが鳴り、私は職員室に向かった。
廊下を走る生徒にいちいち注意しながら歩く。女子校といっても世間のイメージ通りのお嬢様は少ない。むしろ男性の目が無いので、どこか抜けた女子も多い。よくいえばお転婆、悪くいえばガサツな生徒が多いのだ。だからといってヤンキーやいじめっ子になるものはほとんどいないので、教師としては楽だったが、校則に厳しい寮長先生は苦労しているらしい。
職員室の隣の席は杏奈先生の席だった。きちんと整頓された綺麗な机で、人柄が出ている。
行方不明になった日以来、誰も使われていない机は時々ホコリが溜まるが、時々私がハンディモップを持って埃を払っていた。
行方不明になったので机を片付けようという意見もあったが、普段から彼女は人柄が良かったせいか、そんな意見もいつの間にか消えてしまった。失踪する理由も特になく、何か事件に巻き込まれた可能性が高いと警察も言っていた。私もその可能性が高いと思う。
今日も少し埃が溜まっていたので、ハンディモップで埃を払った。
机の上には洋書が一冊置いてあった。アメリカのコージーミステリらしい。私はあまりコージーミステリー読んだ事はないが、ロマンス作家がコージーミステリを別名義で書く事もあり、チェックしているものはある。
手にとってパラパラとめくる。
アメリカの小さな田舎町のコージーミステリのようだ。コージーミステリは、小さな田舎起きた殺人事件を素人探偵が調査する話が多い。この作品もそういったコージーミステリ王道設定のようだ。シリーズは21作出版されていて、アメリカでは人気シリーズのようだった。
コージーミステリだと小さな田舎で殺人事件が頻発するようだ。私はあまり読んだ事がないのでわからないが、よくそんな田舎で殺人事件が起きるものだと思う。平和で治安が良い日本だったら、あり得ない設定かもしれない。財布を落としても無事に戻ってくるのは日本ぐらいだろう。
「あれ?」
ちょうど真ん中ぐらいのページに付箋が挟まっていた。
『開かずの扉 異世界の村 日本で仕入れをしなくちゃ』
こんな言葉が書かれている。なんの事だかさっぱりわからない。何か杏奈の失踪に関係があるのだろうか。警察が調べている筈だが気になった。
ちょうど次の時間は空き時間だ。旧校舎の開かずの扉がある所に行く時間はある。
私は好奇心に負け、旧校舎のエレミヤ塔に向かった。
校舎は聖書の人物に纏わる名前が付けられている。旧校舎のエレミヤも旧約聖書に出てきた預言者の名前である。ただ聖書から名前を拝借しているだけで、別に旧校舎とエレミヤは関係が無い。
授業が始まっている為、旧校舎は人影がなかった。
開かずの扉は、二階の一番奥の部屋にあるという噂だった。旧校舎の中は埃っぽく、くしゃみが出そうだった。
それにしても杏奈先生の付箋の意味が気になる。
特に異世界の村という言葉。異世界というと世間で流行しているライトノベのジャンルの事だろうか。
確か食生活の酷い異世界に転移したヒロインが飲食店を経営したり、乙女ゲームの悪役令嬢になったりする話だが、私は読んだ事はないのでよくわからない。生徒で読んでいる者がいて流行っているのは知っていたが。確か『トリップ!』という異世界もののライトノベルが一番人気らしいが詳しくは知らない。生徒も小説を書いているものがいるという噂を聞くが、実際はよくわからない。生徒に話を合わせるために一通り若者の流行ものは軽くチェックしているが。
一番奥の部屋は空き教室で、使われていない机や椅子が山積みになっていた。
この部屋も例外なく埃っぽく、くしゃみが出てしまった。
開かずの扉のようなものはなかった。ただ文化祭の演劇か何かで作ったと思われる段ボールの扉はあった。机や椅子に挟まれていたが、なんとか手が届く。
「これが開かずの扉?」
拍子抜けする。蓋を開けてみたら、単なる紙の扉だ。同時に女子高生達の逞しい妄想力に驚く限りだ。
ふと何か大きな音がした。
何か大きな力で背中が押されたように感じた。
「は? 何?」
驚いている暇がない。突然紙の扉が開き、そこは眩しい光に満たされていた。