疑似番 ーー金色の目の者たちーー
王国の祖は竜であったという。
長い歳月とともに竜の血は薄れたが、番として目覚めた者は目が金色になり、ごく稀に鱗さえ体に現れる者もいた。
番を解消する方法は相手の死のみであり、鱗を持つ者は、人間のことわりから外れる竜人とよばれ深く敬われた。
「殿下のために、おまえは死ぬのだ」
「殿下のために、おまえは生きたいなどと願ってはならない」
ルルーシアは婚約と同時に死を望まれた。
婚約した相手が、王国の第一王子のマリス殿下であったから。
ルルーシアがマリスより5歳年上の男爵令嬢だったから。
ルルーシアが疑似番だったから。
疑似番とは、魔法で強制的に番となった者たちであった。一部ではニセモノ番と言われていた。
マリスは6歳の時、落馬した。
マリスが乗った馬が暴走し、見学中の女性を蹴り殺す大事故で、マリス自身も落馬により生死の境をさ迷う大きなケガを負った。
死神が枕元に立つような状態のマリスを救うには、魂と魂を繋ぎ生命をわけあう疑似番の魔法しかなかった。
そのためには、マリスと釣り合う膨大な魔力を持つ相手が必要であった。
候補は二人いた。
ひとりは公爵令嬢。
ひとりは男爵家のルルーシア。
だからルルーシアに婚約が王命として下った。疑似番は成功率が悪く、失敗すれば身体中から血を流し苦痛にのたうっての死しかない。もし成功しても、男爵令嬢ならば容易に切り捨てられる。
「ルルーシア、逃げよう!」
双子の兄がルルーシアの手を引いたが、ルルーシアは兄を巻き込みたくはなかった。
両親は大金を受け取りルルーシアを王家に売った。
11歳の兄と逃亡して、兄の未来を潰したくなかった。兄はルルーシアと双子なだけに膨大な魔力を所有し、神童と誉め称えられるくらい優秀であった。
ルルーシアだって逃げたい、死にたくない。けれども、もう王家の騎士団が男爵家の屋敷を取り囲んでいるのだ。
泣きながら首を振るルルーシアを、兄も泣きながら抱きしめた。
「必ず、必ず、助けるから! 今は無理でも必ず助けに行くからっ!」
「だから絶対に死なないで……っ!」
そうして王宮に連れて行かれたルルーシアの疑似番は、奇跡的に成功した。
マリスは無事に回復したが強制的に魂を繋いだため、魂が不安定になった。集中力を欠いたり虚ろになったり、悪い時には失神するマリスのために、魂が安定するまでの数年間ルルーシアはマリスに寄り添うこととなった。番がいると魂の状態が落ち着くのだ。
疑似とはいえ番が側にいることは、精神的にとても気持ちがいい。幼いマリスはルルーシアを慕い、ルルーシアは子守唄を歌うように優しくマリスを愛した。
木漏れ日が幾つも幾つも降り注ぎ、まるで星を散らしたように光っている地面をマリスと追いかけっこをして遊び。
緑色の葉がみずみずしく葉先までピンとして葉影さえも美しい、匂うように咲き誇る一面の薔薇園で、お昼寝するマリスに膝枕をして。
光の加減や水量、水草の動き、泳ぐ魚の揺らぎによってさえも水の色が変化する透明度の高い池の、アクアグリーン、エメラルドグリーン、コバルトブルー、ターコイズブルー、サルヴィアブルー、と水と光と色彩が織り成す世界を二人で見て楽しんだ。
「綺麗ですね」
「綺麗だな」
ルルーシアとマリスは手をつなぎ、ちんまりと小さな小鳥が並んでいるような姿で、いつまでも飽きることなく魔術師のごとき池を眺めた。
お茶会をする時は、焼き菓子を二人で分けあったり、きゃっきゃっと笑いあったりして、
「マナーの先生に叱られますね」
「見つからないようにしないとな」
「「シー!」」
と指を口に当てては、また笑ったり。
遊ぶだけではなく、礼儀作法や基礎から専門的な学問までマリスと机を並べて学び、ルルーシアとマリスはお互いの手をとりあうように成長していった。
しかし一方でそれは、
「男爵家の娘のくせに、身のほどをわきまえろ」
「生きたいという大層な望みは持つな」
「殿下が本当の伴侶を見つけられた時には、おまえは黙って死ぬのだ」
と侮辱を与えられる日々でもあった。疑似番を解除するには相手の死が必要であったからだ。
ルルーシアは、ややタレ目の柔和な顔立ちで、整っているのだが美しいというよりも優しく地味な見た目であった。勉学においても賢いが特段目立つほど優秀なものではなく、家柄は男爵家。
もし、男爵家の生まれではなく5歳年上でもなく、美しく賢かったら、そのままマリスの妃として結婚できたかもしれない。しかしルルーシアには全てがなかった。ルルーシアにあるものは、マリスへの気持ちだけだった。
その気持ちですら本人の意志を無視して、疑似番ゆえに無理に与えられたものだと、周囲はマリスに言った。
そして自分の気持ちに疑問を持つようになったマリスは、ルルーシアから距離をおくようになった。ルルーシアが切なくすがっても、冷淡にすげなくあしらった。
その時にはマリスはもう子どもではなく、幅広い人間関係ができ世界が広がり魂も安定してきていたのだ。
「マリス、ルルーシアを大切にしてあげなさい。疑似番は相手の命を握っているのと同義なのだ。後悔は後からしても遅いのだよ」
かつて疑似番と結婚しながら喪った、叔父である王弟が忠告してくれたが、この頃になるとマリスはルルーシアを貶める者たちの言葉に耳を傾けるようになっていて、疑似番の存在を疎ましく思うようになっていた。
マリスは15歳になり、友人たちの多くがそうであるように刹那的な出会いや恋の駆け引きで騒いだり、若さを自由に謳歌して楽しみたいのに、心が欲求しても、疑似番は肉体が相手にしか反応しないことに苛立つようになっていたのだ。
もうお茶会にルルーシアの席はなかった。
マリスの隣には、疑似番を拒絶した公爵令嬢が座っていて高位貴族の令息たちが取り囲んでいた。
ルルーシアには、守ってくれる者のいない無防備の状態で、男爵家の分際でという侮蔑の冷たく尖った視線と弱い毒入りのお茶。マリスの魂の安定がしていないから、まだ致死量の毒を与えていないのだという警告。
毒で苦しむルルーシアを嘲笑の的として歪んだ笑いを浮かべる人々。
薄い薄氷の上に晒し者として成り立つルルーシアの生と死。
罵倒され、虐げられ、「殿下を疑似番から解放するために、早く死ね」と繰り返し何度も何度も何千回も言われ、言葉が深く惨く体を切り刻む日々を、ルルーシアはうつむいて耐えるしかなかった。
「死なないで」兄の言葉だけがルルーシアの心に、小さな灯りとなって崩れそうなルルーシアを支えてくれた。
王弟が庇ってくれたが、国王さえもルルーシアを邪魔者としてあつかった。第一王子であるマリスに必要なのは、家柄のよい美しく賢い、貴族バランスの頂点に立てる令嬢だと。ルルーシアにはその価値はない、と。
あまりにも勝手な言い種だが、王家も高位貴族も傲慢であった。
だから、王弟が外交のために隣国へと出国している間の夜会で、
「ルルーシア、おまえとの婚約を破棄する」
とマリスが金色の目になぶる色を滲ませ宣言した時、倒れるルルーシアを助けたのは、人垣から飛び出してきた双子の兄のみであった。
「私は死が人より少し早いだけ。お兄様、悲しまないで。私はもう疲れたのです。疲れてしまったのです」
最後まで他人を悪く言わない穏やかで清浄な妹に、わぁっと兄は声をたてて泣いた。初めて入った王宮のルルーシアの部屋は、使用人の部屋のように小さく飾るものも何もなく、なおさら兄は遣る瀬無く苦しく悲しく暗澹となった。
「マリス様が好きでした。疑似番だからつくられた気持ちだと言われても、私にとっては本物でした。だって楽しい思い出もあるのですよ?」
ルルーシアは少しタレた目で優しく笑い、泣き声をあげ続ける兄の背中をゆっくりゆっくり寄り添うように撫でた。
「本当に好きだったのです」
兄の背に、散る花のような儚い涙が一粒だけ落ちた。
その夜、ルルーシアには毒が与えられ病死と発表された。
看取ったのは、絶望する兄のルカーシュひとりだった。
その夜、マリスは狂ってしまいそうな喪失感に襲われた。まるで胸に大きな穴が空いたように、絶叫が口から噴き出すかのごとく迸る。
「うっあああぁっ! っ、っ、ああ!!」
悲鳴を上げて転げ回るマリスに侍従たちが慌てふためく。
「殿下、お気をたしかにっ!」
「早く医師を呼べっ!」
駆けつけた医師は、泡をふいてベッドに横たわるマリスを診て、
「番の喪失による心身症ではないか、と。王弟殿下によりますと、魂の固定には最低でも10年、マリス殿下は9年目まだきちんと安定していなかった状態での番の死亡が、重くマリス殿下の体や心を蝕んでいるのではないか、と」
王と王妃は真っ青になった。
ルルーシアは死んだ。
遺体は兄のルカーシュが弔うためにすでに運び去った。
「そ、そんな……」
王妃は、痙攣しながら泡をふく王国のたったひとりの王子に、悲痛に染まった涙を流してすがった。
「何とかならぬのか!? マリスはこの2年間失神することもなくなったから、もう大丈夫とばかり!」
王は顔色をうしなった医師に詰め寄るが、医師はつらそうに歯を食いしばって首を振る。
「疑似とはいえ番なのです。魂と魂が結びついた者なのです。決して離してはなりません」
王弟の苦言が国王の脳裏に甦るが、もう手遅れだった。
その夜、ルルーシアは死んだ。
心臓が停止したことを確認した医師は、国王への報告のために部屋から出ていった。
「お早くっ!」
王弟の部下たちがサッと部屋に入ってきて、ルルーシアを丁寧に運び出す。1秒とて無駄にできない。
この9年間ルカーシュは、血を吐くほどに勉学と鍛練に明け暮れた。王弟の全面的な援助のもとに。
「ルルーシアの立場は悪い、今にも殺されそうだ」
ルルーシアの境遇をあわれんだ王弟は部下を送りこみ、ルルーシアを餓死や暴力から守った。さすがに王子のお茶会や暴言までは防ぐことはできなかったが、ルルーシアが肉体的に無事でいられたのは王弟のおかげだった。
「王宮から逃げ出しても、王家はどこまでも追ってくるだろう。それに番と長く離れることは精神を病ませる。番との繋がりを絶つことが肝要だ」
ルカーシュは、自分の無力に暗い面持ちをして唇を噛んだ。
「どうすれば……」
「王家は絶対にルルーシアを殺す。その時が勝負だ。おまえが新たなルルーシアの疑似番となるのだ」
「兄妹ですよ!?」
驚愕に目を見開くルカーシュに王弟は、
「だからだ、しかも双子。瀕死でも成功率が悪いのに、死した者を生きかえらすのだ。正面から神に喧嘩を売るような、まさに無謀と言っていい。しかし、極上に相性の良い魂と相手とピタリと同等の魔力量、双子ゆえに成功するやもしれぬ」
と、いっそ冷たい声音できっぱりと言った。
「覚悟を決めよ。ルルーシアの死でもって番の絆を切り王家を欺くのだ。そして、ルルーシアを生きかえらすには疑似番しか方法はないーー番には人の理はもはや関係ない。人の運命の外にあるものなのだ。番となった者は、祖たる竜の因子が覚醒して、その血さえ人とは異なってしまうのだから」
万一に備えて王弟が以前から用意してくれていた部屋に入り、ルカーシュはまだほんのり温かいルルーシアを抱きしめた。
「ごめん、ごめんよ……」
ルカーシュは肩を震わせ涙を落とした。
「必ず助けると言ったのに、ルルーシアを死なせてしまった」
ソッとルカーシュはルルーシアと手を重ねた。もうピクリともルルーシアの指は動かない。
「僕の命をあげるよ、僕の心も魂も。ルルーシアが目を開けた時には、もう僕たちは兄妹でなく、番だ。目が金色に変化した僕をルルーシアは見ることになるだろう」
王弟は、自分の屋敷で美しい肖像画の貴婦人に向かって、甘い蜜色の声音で話しかけた。
「凄いよね、ルカーシュは。疑似番を成功させたよ。ただ目覚めたルルーシアの記憶がなくなっていてね、いや、むしろ僥倖かもしれぬが……。今ごろは他国で幸せに暮らしているよ、私は外交官だったからね、伝はたくさんあるんだよ。資産もたっぷり用意したしね。それにルカーシュは鱗持ちになったんだ。彼は誰よりも強くなった、何があってもルルーシアを守れるほどに」
遠くから足音が響いた。
「使用人も部下たちも退職金をたんまり渡したから、今ひとりなんだよ。愛しい人、ひどいよ。後追いはダメだと私に約束させるなんて。ねぇ、生き地獄だったんだよ」
王弟は拗ねた口調で、ユラリと手に持っている銀の燭台を揺らした。
王国唯一の王子であるマリスが、回復の見込みのない長期療養中であるため、壮絶な王位継承争いがはじまっていた。
「でも、暗殺されたらしかたないよね。ああ長かった、9年もかかってしまったよ」
扉が乱暴に開かれ、剣が突っ立ったままの王弟の胸に吸いこまれていく。手から燭台が落ち、瞬く間に火が広がった。
「ふふ、この屋敷は私の棺にするんだ。君との思い出がいっぱいだからね」
倒れた王弟は肖像画を見上げる。
屋敷の庭に栗鼠が迷いこんできたことがあったね。君は栗鼠を見て「かわいい」と微笑んでいた。私は微笑む君の方がかわいいと思ったよ。
君はチューリップが好きだったね。「花言葉は恋の告白よ」と頬を染めた君のかわいかったこと。世界中からチューリップを集めたけど、品種が5000以上あって、「すごい」と君のエメラルドの瞳がキラキラ輝いて。
ああ、私の宝石。私の番。
9年前、マリスは周囲がとめるのも聞かず馬に乗って暴走させ、君を殺した。
私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の君を。
王弟は、ニィィィと金色の目を細めて息絶えた。
次はおまえが生き地獄を味わえ。
王弟様がちょっと強烈だったのでジャンルを迷いましたが、ルルーシアの悲恋がメインなのでジャンルを恋愛にしました。
読んでいただき、ありがとうございました。