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2.綺麗なモノ(1)

 夜なら人も少ないだろう。そんな甘い考えを持っていた自分を三奈は恨んだ。

 冷静に考えてみれば当然のことだ。昼間の暑い時間帯と夜の比較的涼しい時間帯。普通に考えて外出したくなるのは夜だろう。しかも、夏の夜の水族館などカップルたちがこぞってやって来るに決まっている。

 エントランスゲートを入った先、プロジェクションマッピングの通路に立ち止まって綺麗だの何だの騒いでいるカップルたちを見て、三奈は大きく舌打ちをした。すぐ目の前で動画を撮っていたらしい数人が驚いた顔で振り向く。そんな彼らを冷たく見やってから三奈は通路を足早に通り抜けた。


 ――来るんじゃなかった。


 心からそう思う。どうして来てしまったのだろう。

 美桜が帰ってからしばらく部屋でぼんやりして、そして気がつけば家を出てここに来ていたのだ。


 この、美桜と初めてデートした場所に。


 しかし、館内の雰囲気はあのときとは大きく変わっていた。どうやら夏休み期間中だけ特別に展示がライトアップされているらしい。

 美桜がここにいれば、きっと喜んでいただろう。あのとき、ここに来たときの美桜は楽しそうに笑ってくれたから。

 思いながらも、三奈は展示には目もくれずに見学順路を歩いて行く。

 小さな水槽のコーナーを抜け、深海魚のコーナーを抜け、そして巨大な水槽のトンネルを抜けて館内を歩き続ける。


 美桜と一緒に辿った順路を思い出しながら。


 あのときは本当に楽しかった。自然と手を繋いで歩いて、展示を見て楽しそうに笑う美桜を見るのが嬉しかった。魚などにはまったく興味はなかったが来てよかったと思えたのだ。自分の隣で、美桜が笑ってくれていたから。


 ――ここで、あの人と会うまでは。


 三奈はイルカショーの会場に辿り着くと、足を止めた。

 まだショーには時間があるので人の数はまばらだ。三奈は周囲を見渡して、どこかに座ろうかと再び歩き出す。そのとき、背後で「あ……」と声がした。

 立ち止まって振り向くと、長身で整った顔立ちの女性が目を丸くして三奈のことを見ていた。三奈は思わず眉を寄せる。そこにいたのは、松池瑞穂だった。


「なんでいるわけ?」


 言いながら、彼女を睨みつける。


「えーと、なんでと言われても……」


 困ったように首を傾げる松池は、学校で見るよりもずいぶんとラフな恰好をしていた。大人の女というよりは三奈たちと近いセンスの服装。完全に普段着といった感じである。


「先生、そんな気の抜けた恰好して、まさか一人で夜の水族館? うわー、寂しい」


 思わずからかいの言葉が口から出てしまう。すると松池はムッとしたように「高知さんだって一人なんでしょ?」と言った。


「それは……」


 たしかにその通りなので何も言い返せない。三奈は憮然としながら松池の顔を見つめた。

 いつもと変わらぬ、腹が立つほど整った顔立ち。しかし、いつもより顔色が悪いようだ。化粧が薄いので、体調がそのまま顔色に出てしまうのだろう。そして少し目が腫れているような気がする。疲れているのか、表情にも力がない。


 ――ああ、そういえば。


 ここであの人と会ったとき、その隣には彼女がいたことを思い出す。三奈たちに気づく直前まで、彼女は嬉しそうに笑っていた。とても、幸せそうな笑みを浮かべていた。そして三奈たちに気づいた瞬間、その笑みは消えてしまったのだ。


 ――この人も、わたしと同じなのかな。


 そんなことを思ってしまう。松池は無言で見つめる三奈に困惑したような笑みを向けて「あの」と観覧席を指差した。


「よかったら、一緒に座らない?」

「は? なんで?」


 反射的に聞き返すと、彼女は困った表情のまま周囲に視線を向けた。


「なんか、この空間に一人でいるといたたまれなくて……」

「あー」


 気持ちはわからないでもない。

 三奈はわざと聞こえるようにため息を吐いて「その辺でいいよね」と観覧席の階段を降りた。振り向くと、少し嬉しそうな表情で松池がついてくる。その様子がなんだか小さな子供のようで、あの松池と同一人物とは思えない。

 思わず笑みを浮かべていると、それに気づいた彼女が不思議そうに首を傾げた。三奈は慌てて笑みを消して視線を逸らす。そして彼女のバッグの持ち手部分にぶら下がったキーホルダーに目を留めた。


「……クラゲ?」


 思わず呟くと、松池は三奈の視線を追ってから「ああ、うん」と頷く。そして微笑んだ。少しだけ、寂しそうに。しかしそれ以上は何も言わない。

 別に何か答えを求めていたわけではないので、三奈もそれ以上は何も聞かなかった。


「この辺なら人もまだ少ないし、いいでしょ」


 言いながら三奈が席に座ると、松池も無言で隣に腰を下ろした。そしてバッグを膝に置いて、ぶら下がったクラゲのキーホルダーを指で撫でる。大切そうに。

 そんな彼女の姿を見てはいけないような気がして、三奈は視線をプールへ移す。

 ショーが行われていないプールでは、イルカたちが何をするでもなく泳ぎ回っていた。


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