1.ウソの代償(4)
「最初から、目は覚めてる」
言いながら頬を押さえていた手を下ろす。ジンジンと響くような痛みは心にまで広がっていく。三奈は一つ深く息を吐き出した。
「目が覚めてなかったのはそっちじゃない? 嫌なら最初からそう言えばいいじゃん。なに? わたしが可哀想だからちょっと期待させてみたの?」
三奈は薄ら笑いを浮かべながら美桜の瞳を見つめる。怒りが込められたあの瞳を見つめていれば、心の痛みも忘れられそうだ。
あの怒りは自分に向けられている。
あと少し。
あと少しで美桜はきっと嫌いになってくれる。
だから、もっとウソを並べないと。
――美桜をわたしから守るためのウソを。
「ひどいなぁ。わたしの気持ちを弄んでさ。あ、あれか。わたしが最初にあの人との仲を邪魔したから、その仕返しをしてんだ?」
精一杯のウソを。どんなに心が苦しくても言葉を止めてはいけない。そうしないと、美桜は離れていってくれないから。
――美桜を好きなわたしがいれば、きっといつか美桜を傷つけるから。
「美桜、あの人のこと好きになって性格悪くなったんじゃない? わたしが言うのもなんだけどさ」
三奈は肩を竦めながら言う。美桜はまだ怒った顔のままだ。何かを堪えるように、唇を噛んでいる。
――もっと嫌われないと。美桜が、もう二度とわたしに近づかないように。
三奈は笑みを消して美桜を睨んだ。そして渦巻く感情を精一杯押し殺す。
――大好きな美桜が、わたしから離れるように。
「わたし、そんな美桜は嫌い」
――あの人の隣で美桜が安心して笑えるように。
「あんな奴を好きな美桜は大嫌い」
美桜は顎を引き、わずかに眉を寄せる。それは彼女が本気で怒ったときに見せる表情だった。
三奈は心の中で安堵して彼女から視線を逸らす。これで、きっともう美桜は――。
「無駄だからね」
静かな部屋に響いた美桜の声。三奈はハッとして視線を戻す。彼女は三奈のことを睨んだまま「わたしは、三奈のこと嫌いになんてならない」と言った。
「え……?」
「わたしは三奈がなんと言おうと、三奈のこと好きだから」
美桜が何を言っているのか理解できなくて三奈は眉を寄せる。
「なに、言って……」
掠れた自分の声を聞いて、三奈は我に返った。そして美桜を睨む。
「聞いてた? わたしはあんたが嫌いだって言ってんの」
「うん」
美桜がそっと三奈に手を伸ばしてくる。
「もう、美桜の顔なんか見たくない」
「うん」
彼女の冷たい指が腫れた頬に触れる。三奈は必死に感情を殺しながら「わたしは」と言いかけたが、喉に何かが詰まったようになって声が出ない。
「ごめんね。つい思いっきり殴っちゃった。ほら、三奈も昨日思いっきりわたしのこと殴ったでしょ? そのお返しのつもりだったんだけど。痛かった?」
美桜が心配そうに首を傾げて三奈の頬をさする。美桜の手が冷たいのか、それとも自分の頬が熱いのかわからない。けれど、その手は優しくて心地良い。三奈は目を閉じて涙を必死に堪える。
――わたしは、美桜のことが。
「……大嫌いだってば」
「また、そんなウソばっか言ってさ」
ペチッと頬を叩かれて三奈は目を開ける。目の前で三奈の顔を覗き込む彼女は、微笑んでいた。何もかもわかっている。そんな表情で。
「は? ウソ? なに言ってんの。わたしは――」
「三奈ってさ、ウソつくとき微妙に右の眉が上がるんだよ。これ、たぶん誰も知らないと思うんだけど」
言って彼女は三奈の頬に触れていた手を額へと移動させる。
「さっきからずっと右眉、上がってるよ」
三奈は美桜の手を払うように顔を左右に振ると、懸命に美桜を睨んだ。
「触らないでよ。わたしなんかに」
――そんな笑みを向けないで。
「優しいね、三奈は」
そう言った彼女は、あのときのような困ったような笑みを浮かべていて、しかしその瞳にはあのときのような弱々しさはない。
「わたしは、三奈がどんなにわたしと友達の縁を切りたくても切るつもりはないから」
そう言って彼女は立ち上がって三奈を見下ろす。
「三奈がどんなにわたしのことを嫌いでも、わたしは三奈のこと好きだから」
三奈はぼんやりと美桜のことを見上げる。彼女は困ったような笑みのまま「三奈のせいだからね」と言った。




