8「手紙」
お茶会の翌日。
王都に来てから始まった淑女教育の内のひとつであるダンスの授業を受けていたエルフィーネの許に、一通の手紙が届けられた。
「わたくしにお手紙? 間違いではなくて?」
エルフィーネには自分に手紙を出してくる相手に心当たりがなく、ことりと首を傾げた。
「確かにお嬢さま宛ですわ。差出人は、アシュレー・ゼルウィガーさまです」
そう答えるのは、王都に来てからエルフィーネ付きとなった侍女のマーガレット・メイ。エルフィーネの九つ年上のブライトン男爵家の長女で、三年前から行儀見習いとしてアートレイデ家に仕えている。
マーガレットの返事を聞き、エルフィーネは空色の瞳を輝かせた。
「まぁ!! アッシュから?」
マーガレットから手紙を受け取ろうとするが、ダンスの講師を務める男爵未亡人に止められる。
「お嬢さま。レッスンが終わってからお読みくださいまし」
有無を言わさぬ笑顔にエルフィーネはしょんぼりと頷き、真面目にレッスンを続けるのだった。
×××××
ダンスのレッスンを終えたエルフィーネは、手紙を持っていそいそと、しかし淑女らしさは忘れずに自室へ向かった。
「初めてのエリィ兄さま以外の方からのお手紙だわ」
封筒をまるで宝物のように抱きしめるエルフィーネの顔には、輝くような笑みが浮かんでいる。ペーパーナイフでいそいそと封を切る仕草は、どこか小動物めいていた。
シンプルな白い封筒から出てきたのは、同じくシンプルな公爵家の家紋が箔押しされた白い便せんだった。
(なんだかアッシュらしいわ)
文面も便せんと同じくシンプルであった。昨日のお礼とエルフィーネが良ければまた侯爵家を訪問したい、ということ。
文字は七才の男の子らしい手跡だが、一文字一文字ていねいに認められたことがよくわかるものだった。
エルフィーネは、なんだかそれもアッシュらしい、と再び小さく笑みを零す。
「お返事を書かなくては。便せんは……兄さまに出していたものしかないわ」
手紙のやり取りをする相手がエリファスだけだったため、便せんを一種類しか持っていないのだ。それは、エリファスの瞳に合わせた淡い緑色の便せん。上品な色合いで紙の質も良いため、公爵家の人間に出すものとしては十分な品ではあるが、アシュレーに初めて出すためのものとしては不十分だとエルフィーネは思う。
「……お出かけはできるかしら?」
ぽつりと呟かれた言葉に、傍に控えていたマーガレットがすぐさま反応した。
「どちらへおいでに?」
「便せんを……アッシュに出すお手紙のための便せんを探したいの」
エルフィーネの言葉に、マーガレットはしばし考えこみ、
「かしこまりました。奥さまに、外出の許可を頂いてまいります」
一礼すると、部屋を後にした。
「お出かけしてもいい、ということかしら?」
小首を傾げ、部屋の隅に居た守護獣たちに問いかける。
『侯爵夫人が許せば、だが』
『お出かけ? お散歩? ボクも行く!!』
『お主はついて行けまいよ』
『えーッ!? なんでー?』
『人間のおる街中で魔獣を連れて歩くと、目立つからだ』
『そうなの、エル?』
アズラエルの問いに、エルフィーネはことりと首を傾けた。
「そうねぇ。小さい時だったら連れて行けたかもしれないけれど、今のあなたはすっかり大きくなってしまったから……難しいわね」
『そっかぁ……残念』
アズラエルがしょんぼりしていると、ほとほとと扉を叩く音が響いた。
「どうぞ」
「失礼致します」
守護獣たちとたわむれるエルフィーネに一礼し、マーガレットが報告を始める。
「奥さまに外出の許可を求めたところ、快くお許しくださいました。すぐにお出かけになりますか?」
マーガレットの言葉に、エルフィーネは破顔した。
「まぁ!! だったら、すぐに出かけましょう?」
幸いエルフィーネが今着ているのは、パステルピンクのあまり華美ではないワンピースなので、このまま出かけても問題のない装いである。
「かしこまりました。わたしは先に馬車の手配をしてまいります。失礼致します」
一礼し退室したマーガレットを見送り、腰かけていた長椅子から立ち上がった。
「行ってくるわね。今度、王都の近くの森まで皆で出かけましょう?」
『本当? やったー!!』
『そなたはアズラエルに甘すぎる』
バサバサと翼をはばたかせて喜ぶアズラエルと、やれやれと言わんばかりのシルフィードに、エルフィーネは笑みが零れる。
「シルフィードほどじゃないわ。では、行ってまいります」
『なッ!! エル!!』
『いってらっしゃーい』
黒い翼を振るアズラエルにエルフィーネも手を振り返し、自室を後にした。