47「薔薇を愛でる会 ~錯誤~」
ヴィンスフェルトがテーブルを離れるや否や、アシュレーはエルフィーネの傍に行き、
「エル、右手を出して」
全く感情の見えない顔で言った。
エルフィーネが素直に右手を差し出すと、アシュレーはハンカチを取り出してその手をていねいな手付きで、しかし念入りに拭い始めた。
「ありがとう、アッシュ……本当はね、少しだけ、イヤだったの」
アシュレーにだけ聞こえるように心情を吐露するエルフィーネに、アシュレーの苛立っていた心が落ち着いていく。どうやら彼女はヴィンスフェルトのことを、あまり良くは思っていないようだからだ。
(俺がキスしたときは、顔を真っ赤にして慌てていたのに……)
「……そうか。俺もイヤだった。俺以外の男が、エルの手に触れたことが」
アシュレーがエルフィーネの手をそっと撫でると、彼女の顔は羞恥で真っ赤に染まる。
「アッシュ……」
見つめ合うふたりの耳に、楽しげな笑い声が届く。
「おいおい、俺たちのこと、忘れないでくれよ」
「ふたりが仲がいいのはわかったけど、新しくできた友達にもかまってちょうだい」
からかうような双子の言葉に、エルフィーネはますます頬の色を濃く染め、アシュレーは先ほどまでのやわらかな笑みを消し、
「俺の一番はエルだから、慣れてくれ」
しごく真面目な表情で、そうのたまった。
アシュレーの言葉に双子は顔を見合わせ、ふふっと噴き出した。
「そういうことか。わかったよ、しっかり憶えておこう」
「ふたりの仲の良さなら当たり前の話ね。それより、アシュレーさまはエルフィーネのことをエルと呼んでいるのね。わたしもエルと呼んでいいかしら?」
にこりとほほえんでいるが、その笑顔には妙な圧があった。
「もちろんですわ。初めての女の子のお友達にエルと呼んで頂けるなんて、嬉しいですわ」
テアの圧には気付かなかったらしく、ふふ、とやわらかくほほえんでいる。
エルフィーネが愛称で呼ばれることを喜ぶのには、理由があった。次兄から、知り合う人たちに自ら愛称を呼ぶように言ってはいけない、と注意されたからだ。エリファスとしては、これ以上愛する妹に余計な虫がつくことを恐れたためなのだが、そんな次兄の思惑など知る由もない妹は、同性の相手に愛称で呼ばれることを諦めていたのだ。
「ありがとう、エル。わたしもあなたのことを愛称で呼べて嬉しいわ」
「わたくしこそ……ありがとうございます」
エルフィーネの顔には、大輪の花が咲いたような笑みが浮かんでいる。その笑みを見た少年たちは、一様に頬を染めた。
「……なるほど。これは……」
「エル!! そんなかわいい顔を俺以外の男に見せないで」
アシュレーの懇願に、エルフィーネは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせ、ぽっと頬を染めた。アシュレーの「かわいい」発言のせいだ。
俯いてもじもじするエルフィーネを、アシュレーは優しい眼差しで見つめている。
「このふたり、ちょっとの間にふたりの世界を作るな」
「それだけ仲がいいってことでしょ。婚約者同士、仲が良くていいことじゃない」
双子が小声で話し合っている。彼らは、エルフィーネとアシュレーが既に婚約を結んでいると勘違いしているようだ。しかし、勘違いされても仕方ないほどのむつまじさだから、当然の結果かもしれない(そして、アシュレーにとっては、歓迎すべきことだった)
アシュレーがちらりと隣のテーブルに目を向けると、眉間にしわを寄せたヴィンスフェルトと視線が絡んだ。
(母上は、エルがアイツの婚約者になることはないと言っていたが、アイツがエルを望んだら、それが叶うかもしれない。そうなる前に、現実を見せてやらないと)
現実を見せる……アシュレーとエルフィーネの間に他人の入り込む余地などないことを、突きつけるのだ。
アシュレーがヴィンスフェルトに向かって口角を上げてみせると、彼の整った面が歪む。
(渡さない。アイツにも、他の誰にも。エルは、俺の紅縁の乙女だ)
昏い笑みを浮かべるアシュレーに気付いたのは、幸いにも、と言うべきか、オリバーだけだった。少女二人は、話に夢中な様子である。
(殿下もかわいそうに。エルフィーネ嬢に、否、アシュレーの婚約者に惚れたのが運の尽きだったな)
オリバーは、アシュレーのエルフィーネに対する執着を感じとっていた。彼はその執着を、婚約者に対するまっすぐで一途な愛情だと好意的に受けとめていた。
(俺もアシュレーのように婚約者を大切にできるといいな)
まだ婚約者の決まっていないオリバーは、アシュレーに少しの羨望を抱き、そっと息を吐いた。




