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4「忌まわしき闇の瞳と薄暮の瞳」

(どうしましょう)



 エルフィーネは困惑していた。

 子供たちのやり取りを見たロザリンドに、アシュレーを庭に案内してはどうかと提案されたからだ。

 庭を案内することに否やはないが、アシュレーとの会話が続かないのである。

 応接室のバルコニーから外へ出て、五分。会話を試みてもアシュレーの返事は「あぁ」か「いや」の二種類。

 初めて同い年の子と会ったのだから仲良くなりたいと思っていたエルフィーネだが、頑ななアシュレーの態度に早くも心折れそうになっていた。



(ガゼボに行けば……。でも、座ってお庭を眺めても、会話が続かないと……)



 ぼんやりと考えながら歩いていると、隣を歩いていたアシュレーの足が止まっていることに気付いた。



「アシュレーさま?」



 どうしたのかしら、と小首を傾げるエルフィーネに向かって、アシュレーはゆっくりと口を開いた。



「君は、俺のことが怖くないのか?」



(怖い? アシュレーさまが? どうして……)



 そこまで考えて、エルフィーネはあることを思い出した。紫の瞳を持つ者が、一般的にどう思われているのかを。

 深窓の令嬢であるエルフィーネではあるが、さすがに己自身にも関係する魔法に関する教育はある程度受けている。そのため“ミニョンヌの幻夢”と言われる闇の魔導士が起こした惨劇についても、教育の一環として知っていた。



(アシュレーさまは瞳のことで色々と言われてきたのだわ)



 目の前のアシュレーの表情からは、何の感情も読み取れないが、夜空のような瞳は彼の心を表すように不安げに揺れている。



(こんなにもきれいな瞳なのに)



「今、なんて……?」



 不思議そうに呟くアシュレーに、エルフィーネは再び小首を傾げる。



「きれいな瞳って、そう、言った?」



 アシュレーの言葉に、エルフィーネは自分の思考が音となって口から零れていたことを理解する。



「!! わたくし……」

「この忌まわしい闇色の瞳が、君にはきれいだと思えるの?」



 相変わらずその(おもて)には何の感情も見えないが、闇色の瞳は揺れ、その声音は縋っているようだった。



(この方は、今まで一体どれぐらい傷つけられてきたのかしら)



 アシュレーは、エルフィーネの言葉を信じたいけれど、信じることを恐れているようだ。

 そのことだけで、アシュレーが今までどれだけ傷つけられたのかが想像できる。



「えぇ、きれいですわ。アシュレーさまの瞳は、瞳の中に夜空を閉じこめているみたいで、とてもきれいですわ」



 せめて自分は彼の瞳を心からきれいだと思っているのだということだけは伝わってほしいと、エルフィーネは空色の瞳を夜空色の瞳にまっすぐ合わせながら言った。



(きれいだ。俺の闇色の瞳なんかより、この子の青空のような瞳の方が、よほど)



 自分の瞳をきれいだと言う目の前の少女の言葉に、アシュレーはそんなことをぼんやりと思った。

 自分の言葉に何の反応も示さないアシュレーに、エルフィーネはことりと首を傾けた。



「アシュレーさま?」



 己の名前を呼ぶ鈴の()のような声に、アシュレーは意識を目の前のエルフィーネに向ける。



「すまない。俺の瞳をきれいだと言ってくれる人が存在す()るなんて、信じられなくて」



 両親は自分のことを怖れず、子供として愛し慈しんでくれている。だが、闇色の瞳をきれいだと言われたことは一度もなかった。

 もちろん、両親の愛情を疑ったことなど一度もないし、アシュレー自身も両親を愛している。けれど、この闇色の瞳も認めてもらいたいとも思うのだ。



「信じられないのなら、何度だって言いますわ。アシュレーさまの瞳はとてもきれいです。まるで、おひさまが沈んだばかりの空の色みたい。こんなにもきれいな瞳を、わたくしは知りません」



 アシュレーの手を取り紫暗の瞳を見つめるエルフィーネの顔は、真剣そのものだ。その言葉を疑うことなど、アシュレーにはできなかった。



「アッシュだ」

「え?」

「俺のことは、アッシュと呼んでほしい」



 初めて顔を合わせた時、輝く瞳で自分を見つめて「きれいな瞳」だという彼女の呟きを聞いたその瞬間(とき)から、きっと惹かれていたのだ。自分を怖れない、きらきら輝く空色の瞳に。



「わかりましたわ、アッシュさま」

「“さま”はいらないよ。できれば、その喋り方も……。それが君のいつもの喋り方なら、別にそのままでもいいんだけど……」



 段々と、自信を失くしたように言葉が尻すぼみになるアシュレーに、エルフィーネはくすりと笑みが零れる。



「わかったわ、アッシュ。わたくしのことはエルと呼んで?」

「エル……」



 アシュレーはやわらかい笑みを浮かべ、エルフィーネの名をくちびるにのせた。まるで、その名が己の宝物であるかのように、優しく、甘く。

 対面して以来ずっと表情の変わらなかったアシュレーが初めて自分に笑顔を見せたことに、エルフィーネはなんだか胸がぎゅっと苦しくなった気がした。



(? 一体どうしたのかしら……)



「エル?」



 ぼんやりとしてしまったエルフィーネに、アシュレーがやはり先ほどと同じく優しく甘い声音で呼びかける。



「なあに、アッシュ?」

「なんだか、ぼんやりしていたから……。もしかしたら、俺に名前を呼ばれるの、本当はイヤだったんじゃないか、って」



 アシュレーは不安そうにまつ毛を伏せた。



「違うわ!! 名前を呼ばれるのがイヤだなんて、そんなことないわ」

「本当?」



 夜空色の瞳には、まだ不安の色が浮かんでいる。



「本当よ。だって、わたくしとアッシュはもうお友達だもの。お友達に名前を呼ばれるのがイヤだなんて思わないわ」



 エルフィーネは、アシュレーの不安をかき消すようにほほえんだ。



「エル……。ありがとう」



 やわらかな笑みを浮かべて感謝の言葉を述べるアシュレーに、エルフィーネの胸が再びぎゅうと軋んだ。



(まただわ)



 不可解な感情に内心で首を傾げるが、すぐに意識を切り替える。ぼんやりして、再びアシュレーに誤解を与えるようなことをしたくなかったからだ。



「どうしてお礼なんて言うの? お友達なら当たり前のことでしょう? おかしなアッシュ」



 ふふ、と笑うエルフィーネに、アシュレーもつられたように笑う。



(“お友達”か。本当はそれじゃあ物足りないけど。少しずつ、俺の想いを知ってもらえばいいか)



 アシュレーが何やら物騒な決意をしたことなど、エルフィーネには知る由もなかった。


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