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36「片鱗」

 ゼルウィガー邸に招かれた翌週の地の日。エルフィーネは玄関前のポーチで公爵家からの迎えの馬車を待っていた。エルフィーネは自分の家の馬車で向かうと手紙で伝えたのだが、アシュレーが自分が迎えに行くと頑として譲らなかったのだ。少しでも長く想い人の傍に居たいがための小さなワガママだったが、そんなことを知る由もないエルフィーネはやわらかな笑みを浮かべてアシュレーの主張を受け入れた。

 前方から二頭立ての黒塗りの馬車が近付いてくる。ポーチから遠く離れていた馬車はみるみる距離を縮め、ゆっくりとエルフィーネとマーガレットの前で停止した。

 わずかに欠けた十六夜(いざよい)の月に二振りの(つるぎ)が交差する紋章の刻まれた扉が御者の手によって開かれ、アシュレーがゆっくりと馬車から降りてきた。



「ごきげんよう、アッシュ。今日は迎えに来てくださってありがとう」

「会えて嬉しいよ、エル。俺の(うち)に来る途中でもし馬車が壊れたり、馬がケガをしたりして、エルの到着が少しでも遅くなったりしたら俺は心配できっと(うち)で大人しく待つことなんてできないだろう。迎えに来たのは自分の安心のためでもあるんだ。だから、エルは気にしないで?」



 今言った理由も嘘ではないが、迎えに来た理由の八割ほどは彼女と一緒に居たいというワガママだ。本当の理由を言っても彼女はアシュレーのことを格好悪いなどとは思ったりしないだろうが、好きな相手の前では少しでも格好をつけたいという、子供だがひとりの男としてのプライドだ。



「ふふ。アッシュはやっぱり優しいわね」

「エルだからだよ。さぁ、早く行こう。お手をどうぞ、レディ」

「ありがとう、アッシュ」



 馬車に乗りこむエルフィーネのために手を差し出すと、彼女はためらうことなく彼の手に己の手を重ねた。何気ない仕草だが、それが自分への信頼の表れのような気がしてアシュレーは嬉しくなる。



「気をつけて」

「えぇ」



 彼女が乗りこんだことを確認し、傍に控えたままの御者に侍女に手を貸すよう指示を出す。マーガレットが座席に腰を下ろした後、自らも馬車に乗りこんだ。

 御者の手によって扉が閉ざされ、馬車は滑るように動き出した。ゼルウィガー邸に向かって。



×××××



 馬車に揺られること数十分。エルフィーネたちはゼルウィガー邸に到着した。

 エルフィーネは再びアシュレーの手を借りながら馬車を降りた。手を取られたまま邸内に足を踏み入れると、数名の使用人に出迎えられた。その中には、先日も居た家令の姿もあった。エルフィーネを迎えてくれた彼らの顔には、一様に笑みが浮かんでいる。



「ようこそ、エル。今日は(うち)に来てくれて嬉しいよ」



 エルフィーネの手を取ったままにこりと笑むアシュレーに、彼女もほほえみを返す。



「わたくしも、またアッシュのお(うち)に来ることができて嬉しいわ。今日もステラに会えるのかしら?」

「あぁ。庭を歩いた後、厩舎(きゅうしゃ)に行こう。きっとステラも喜ぶ」

「嬉しいわ!! わたくし、ステラに会うことが楽しみだったの」



 輝くような笑みを浮かべるエルフィーネに、アシュレーの薄いくちびるがわずかに尖る。



「……ステラに会えるのがそんなに嬉しい? 俺と会うことよりも?」



 アシュレーの言葉に、エルフィーネは大きな瞳を(しばたた)かせる。



「アッシュに会えることと同じぐらい、ステラに会うことも嬉しいわ。ふたりとも、大切なお友達だもの」

「そうか。変なことを言ってごめん。庭に行こう。今日は、この間とは別の庭を案内しようと思っているんだ」



 ステラと同等なのは気になったが、(ステラ)と会う方が嬉しいと言われなかっただけマシだとアシュレーは己に言い聞かせた。



「本当? 他のお庭にはどんなお花や木があるのか気になっていたの。ありがとう、アッシュ」

「エルは花が好きだから、他の庭も見せたいと思っていたんだ。喜んでもらえて嬉しいよ」

「今日案内してくれるお庭にも、トピアリーはあるの?」



 蒼い瞳を輝かせながら訊いてくるエルフィーネに、アシュレーはくつくつと笑う。



「エルはよっぽどトピアリーが気に入ったんだな。もちろん、あるよ。種類はあっちより多いかもしれないな」

「そうなのね。どんな形のものがあるのかしら?」

「それは見てのお楽しみかな。段差に気をつけて」



 前回とは違うルートを辿って、ふたりは庭へと足を踏み出した。


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