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35「兄の心妹知らず」

「今日はとっても楽しかったわ」



 入浴を終え寝支度を整えたエルフィーネは、長椅子に座って守護獣(ガーディアン)たちとのんびり過ごしているところだ。



『アイツの家って、ここより広いの? 魔獣(ボクたち)の仲間とか居た?』



 アズラエルはヴィストーレの別荘と王都の邸しか知らないため、アシュレーの家がどんなものが気になるようだ。



「アズラエル、アイツなんて言っちゃダメよ。アッシュはきちんとご挨拶をしてくれたでしょう? だから、ちゃんとお名前で呼びましょう? アズラエルはいい子だから、できるわよね?」

『うん!! ボクいい子だから、これからはちゃんとアシュレーって言うよー』



 胸を張るアズラエルの頭を、いい子ね、と撫でてあげると、嬉しそうにつやめく翼をバタバタとはばたかせた。



『それで、闇の王の愛し子の邸はどうであったのだ?』

「シルフィードったら……」

『エルに相応しいと認めるまで、我はあやつの名は呼ばぬ』



 まだ二歳のアズラエルならともかく、さすがに(よわい)数百歳となる(二百を過ぎたあたりから数えるのをやめたらしい)シルフィードには、(あるじ)とはいえエルフィーネもあまり強く言い聞かせることはできない。彼に比べればエルフィーネだけでなく、今生きている人間は全て赤ん坊のようなものだからだ(但し、言っていることはシスコン(エリファス)と似たり寄ったりだが)



「……アッシュがわたくしに相応しいか、じゃなくて、わたくしがアッシュに相応しいかどうか、なのよ?」



 金色のまつ毛を伏せぽつりと呟くエルフィーネの手に、シルフィードのもちっとした大きな肉球が触れる。



『そなたは自己評価が低すぎる。この我がそなたを主として認めたのだ。もっと自信を持たぬか』

『そうだよ。エルは優しいし、魔力もあったかいし、いいところばっかりだよ』

「ふたりとも……ありがとう」



(ふたりはわたくしのことを認めてくれている。エリィ兄さまだって、そうよ。いつかアッシュに打ち明けることができたら、アッシュもわたくしのことを受け入れてくれるかしら……?)



 “闇持ち”であるアシュレーだからこそ、彼女の気持ちを理解してくれるのではないかとエルフィーネは思う。



(アッシュは優しいもの。打ち明けても、あの人のようなことは言ったりしないわ……きっと)



 エルフィーネは小さな手をきゅっと握り、俯けていた顔を上げた。



「アッシュのお(うち)はここよりも大きくて、とっても広かったわ。お庭もすごくきれいで、木を色々な形にしたトピアリーというものがあって、見ているだけで楽しかったのよ。お花さんや木精(もくせい)さんたちもたくさんいて、楽しそうにお花や木のお世話をしていたわ。皆あのお庭が大好きなのね」



 楽しそうに話すエルフィーネの顔に、先ほどの陰りはもう見えなかった。そのことに安堵した守護獣たちは、主の話に耳を傾ける。



『ここの庭にも花精(かせい)と木精は多いが、ここ以上なのか?』

「えぇ。だって、本当に広いお庭だったのよ? わたくしが見たお庭以外にも花壇があると言っていたし、大きな温室もあるそうなの。たくさんのお花や木があるから、そのお世話のためにたくさんの精霊さんたちが居るんだわ」



 公爵邸の庭には、大勢の精霊が居た。彼らはエルフィーネを見ると挨拶をしてくれたが、人前だったため返事ができず、お花がきれいね、立派な木ね、といった言葉しか返せなかったことを、仕方のないこととはいえ、エルフィーネは気にしていたのだ。



「ねぇ、風さん。アッシュのお(うち)の精霊さんたちに、ご挨拶をしてくれたのにお返事できなくてごめんなさい、って伝えてくれる?」



 今日もエルフィーネの部屋に集まっていた風の低位精霊に伝言を頼む。



『別に気にしてないと思うけど、伝えるねー』

『エルに花を見てもらえて嬉しかったって言ってるよー』

『また来てねって言ってるよー』



 どうやら公爵邸に居る風の精霊を通じて、花の精霊と樹木の精霊にエルフィーネからの言葉を伝えたらしい(低位精霊には個がなく、全ての精霊が同一の存在となるため、同じ属性であればどこに居ても意思の疎通が可能なのだ)

 風の精霊の言葉を聞いたエルフィーネは、ほっと胸を撫で下ろした。



「ありがとう、風さん。今日はお庭に出る時間がなかったから、明日ここのお庭に居る精霊さんたちにもお礼を言わなくちゃ。それに、来週の地の日はアッシュのお(うち)に行くことも」

『またアイ……アシュレーの所に行くの? ここじゃないとミハれないよ!!』

「見張るって……どうしてアッシュを見張らないといけないの?」



 どこでそんな言葉を覚えたのかしら、と首を傾げつつ尋ねると、アズラエルはなぜか自慢げに胸を反らしながら、



『エルにつく悪い虫はしっかりミハらないといけないって、エリファスが言ってたからだよ。でもエリファスは忙しいから、代わりにボクがミハるんだ!! アシュレーは人間なのに悪い虫なんて、変なの!!』



 次兄の企みを暴露した(そして、どうやら見張るという言葉を教えた犯人はエリファスだったようだ)

 アズラエルの言葉に、エルフィーネは大きな瞳をますます大きく見開き、シルフィードはひとつ息を吐いた。



「エリィ兄さまがアッシュを見張るようにと言ったの? それに、悪い虫って……アッシュのことを虫だなんて、ひどいわ」

『エルには言ってはならぬと言ったであろう……まったく』



 “悪い虫”の意味がわからないエルフィーネ(アズラエルもなのだが)は、大好きな兄が友人のことを悪く言っていると思い、蒼い瞳を潤ませる。



『エリファスの言葉は褒められたものではないが、そなたを心配する故のことだ。簡単に許せることではないだろうが、わかってやれ。あれはそなたのこととなると途端に頭の回転が鈍くなる。目先のことに捕らわれて、己の言葉がエルに知られた時そなたがどう思うかということにも思い至れぬ、残念な(おのこ)なのだ』



 エリファスをずい分とこき下ろしているが、事実なので仕方がない。アズラエルがまだ子供で、うっかりエルフィーネにしゃべってしまうことにも思い至らなかったのだから。



「エリィ兄さまはアッシュのことを知らないから、あんなひどいことが言えるのよ。わたくし、エリィ兄さまにアッシュのいいところをたくさん教えてあげることにするわ。そうすれば、きっと兄さまもひどいことを言ったとわかってくれる筈よ」



 やる気に満ちるエルフィーネを見つめるシルフィードの瞳はやわらかな光を湛えている。



『エリファスもそなたに言われれば反省するであろう。存分にやるといい』

『アシュレーはなんの虫なの?』



 まだ涼しさの残る夜は、にぎやかに更けていった。


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