32「不安かき消す安らぎの闇」
サロンに到着した二人は、真っ白いクロスのかかった丸テーブルに向かい合って座っている。テーブルの上には家令が手配した少女が好みそうな色合いの花が飾られ、用意されたお菓子とお茶請けは、今日のお茶会で出されている質の高いものだ。
一口サイズのケーキ、色とりどりのマカロン、アイシングで化粧したクッキー、黄金色に輝くフィナンシェ、宝石のようなパート・ド・フリュイ、つやめくチョコレート……など、エルフィーネに喜んでもらおうと、全ての種類が少量ずつ白磁の皿に盛られている。
エルフィーネは嬉しそうに用意されていたお菓子を選び、アシュレーはエルフィーネの作ったクッキー四種(プレーン・ココア・ダージリンの茶葉入り・プレーンとココアのアイスボックスクッキー)を皿に載せている。
「おいしそうだ。早速頂くよ」
アシュレーがまず口にしたのは、ココア味のクッキーだった。好きなものから食べ始めたアシュレーに、エルフィーネの空色の瞳がやわらかく弧を描く。
(ココア味を多めに入れておいてよかったわ)
「どれもおいしかった。やっぱりエルの作るお菓子を俺が気に入らないなんてことはなかったな」
早々に味の違う四枚のクッキーを食べたらしいアシュレーは、なぜか自慢げに言った。
「アッシュの言った通りだったわね。これから教わるものも、アッシュならきっと気に入ってくれるって自信がついてきたわ。ありがとう、アッシュ」
「エルはきっとお菓子作りの才能があるんだよ。でないと、この年であんなにおいしいお菓子を作れる筈がないからな。だから、自信をもって色んなお菓子を作ってみるといいよ。そして、それを一番に俺に食べさせてくれると嬉しいな」
再びココア味のクッキーを口に運びながら言うアシュレー。ココア味のものが他よりも多いことに気付いたらしく、二個に一個はココア味を手に取っている。
「もちろんよ。いっぱい練習して、とびきりおいしくできたものを食べさせてあげるわ」
アシュレーの言う“一番”の意味に気付かないエルフィーネは、そう言うとなにかに気付いたように、あ、と小さく声を零した。
「でも、しばらくは練習する時間がないのだったわ。王妃様の開く園遊会の招待状が届いたでしょう? だから、園遊会に向けて新しいドレスを作ったり、マナーのお勉強の時間が増えることになったの。でも、地の日の午後だけは予定を入れないようにしてもらったわ」
エルフィーネが園遊会と口にした時、一瞬だけアシュレーの夜空色の瞳が鋭くなったが、彼女が気付くことはなかった。
(別に練習したものじゃなくてもエルが作ったものなら、たとえ失敗したものだとしても喜んで食べるけど、それではエルが納得しないんだろうな)
「エルの作る色んなお菓子が食べられるようになるのは楽しみだけど、無理はしないで。俺との約束の日は予定を空けてくれたのは、すごく嬉しいよ。俺も園遊会に行くけど、増えた予定といえば服を仕立てるぐらいかな」
アシュレーの言葉を聞いたエルフィーネは、ぱちんと手を合わせ満面の笑みを浮かべた。
「やっぱりアッシュも行くのね!! お母さまがアッシュが招待されない筈がない、っておっしゃっていたからきっとそうだとは思っていたけど、安心したわ。知らない人たちと会うのは不安だったけど、アッシュが居るのならとっても心強いわ」
「俺もエルが居ると嬉しいよ。きっと俺に近付いてくる人なんて居ないだろうから……」
まぶたを伏せ、少しだけ寂しそうにアシュレーは言った。
「アッシュ……わたくし、その日はずっとアッシュと一緒に居るわ」
眉を下げ、悲しそうな表情のエルフィーネを見て、アシュレーは内心でこぶしを握る。ああ言えば、優しい彼女ならきっと自分と一緒に居ると言ってくれると思ったからだ。
そもそもアシュレーには、園遊会で他の貴族の子息と仲良く話をする気など全くなかったので、園遊会の間ずっと一人で過ごすことになったとしても一向に構わないのだが、エルフィーネに他の男を近付けるのは彼の望むところではなかった。彼女は知らないことだが、アシュレーは園遊会というのはただの建前であることをマリアベルから聞いて知っていたのだ。
昨夜エリファスが言いかけたのは、その園遊会の本当の目的である。それをエルフィーネに知られることで娘に要らぬ不安を与えたくない母により、次男の言葉は遮られてしまったが。
園遊会の目的とは、第二王子ヴィンスフェルトの婚約者候補と友人となる子息を見定めることだ。そのため、伯爵家以上の家にのみ招待状が送られていたのだ。
マリアベルに、エルフィーネの姉のオリヴィエが王太子と婚約しているから、同じ家から二人も王族に嫁ぐことはないので安心するようにとは言われたが、アシュレーの他の招待客がエルフィーネに目を付けることがあるのでは、との問いかけに否定をすることはなかった。
(エルを奪われるわけにはいかない。そのためなら、どんな手段も使ってみせる)
彼女の優しさにつけこむことを卑怯だとは思わない。きれいごとだけでは戦には勝てないからだ。
「ありがとう、エル。エルの優しさに、俺はいつも救われている」
夜空色の瞳をやわらかく細めるアシュレーを見て、エルフィーネの表情に明るさが戻った。
「わたくしこそ、アッシュに色々と助けてもらっているわ、園遊会だって、本当はわたくしが不安だからアッシュの傍に居たいの。わたくし、アッシュに甘えてばかりだわ」
「エルにだったら、もっと甘えてもらいたいな。それに、俺だってエルと一緒に居られるのは嬉しいから気にしないで。ね?」
「ありがとう。アッシュは不思議ね。アッシュのきれいな瞳を見ていると、不安や心配ごとが溶けてなくなっていくような気がするの。まるで、夜の闇に優しく包まれているみたいに」
はにかみながら言うエルフィーネに、アシュレーの心臓がどくりと脈打つ。
(エルはどうして俺が喜ぶようなことを自然に言ってくれるんだろうな)
コンプレックスだった瞳も、彼女がきれいだと言ってくれた時からあまり気にならないようになっていた。けれど、改めてきれいだと、夜の闇に包まれているようだなどと言われ、自分でも気付いていなかった心の深い部分にあった傷跡のかさぶたがはがれ、すっかり傷が治ったような気分になったことから、自分では克服したつもりでいたが、心のどこかではまだ痛みを抱えていたのだと気付いた。
「俺はエルの瞳を見ている方が落ち着くと思うけど。きらきら輝いて、吸いこまれてしまいそうなぐらいきれいだから」
アシュレーの言葉に、エルフィーネの頬が濃い桃色に染まる。彼女の瞳を見つめる夜空色の瞳は甘く輝き、口許にはやわらかな笑みを湛えていたからだ。
(アッシュの笑顔は好きだけど、心臓に悪いような気もするわ)
ドキドキする胸をそっと押さえ、エルフィーネは小さく吐息を零す。
「アッシュの瞳がわたくしを見ていたら、わたくしはきっと知らない人たちを怖がらずにいられると思うわ」
「俺はエルを護りたいと言っただろ? 園遊会の時だけじゃなく、エルの隣でずっとエルを護り続けるよ」
「ま、まずは園遊会でわたくしの傍に居てほしいわ。よろしくね、わたくしの騎士さま」
頬を染めて言うエルフィーネの前に移動したアシュレーが跪き、白く小さな右手を取った。
「我が命にかえても」
そう言って、美しく整えられた爪にくちびるを落とし、エルフィーネの頬をますます濃く色付かせるのだった。




