20「精霊」
エルフィーネは真っ白いカードを手中でもてあそびながら、小さく息を吐いた。そのカードは今日の夕方にアシュレーから届けられたもので、
『今日はありがとう。
ブラウニーを楽しみにしている』
という、簡素な内容だった。簡素ではあるが、アシュレーの気持ちが充分こめられた言葉であることは、エルフィーネにはわかった。アシュレーと言葉を交わしたのは今日でまだ三度目だが、アシュレーがどんな人間か、幼いなりにわかった気がするからだ。
(お父さまやシハンさまをとても尊敬していて、剣術や馬術のお稽古を一所懸命にする、真面目で努力家な人。これまで瞳のことで辛い思いをしたこともあったはずなのに、わたくしの言葉だけで充分だと言える、強くて優しい人……)
『どうした?』
「アッシュのことを考えていたの」
『闇の王の愛し子か……あやつ、エルに相当参っておるようだな』
「まいっている……? どういうこと?」
『……惚れている、ということだ』
直接的なシルフィードの言葉に、エルフィーネの頬に熱が集まる。
「惚れている、って……」
『闇の王の愛し子も言っていただろう? そなたのことが好きだと』
「聞いていたの?」
『否。風の子らが教えてくれたのだ』
「もぅ。風さんたちはおしゃべりが好きね」
ふふ、と笑うエルフィーネの周囲を、緑色の羽を持つ掌サイズの数人の小人が飛んでいる。
『言っちゃダメだったー?』
『でも闇の王さまの大切な子、本当にエルのこと好きみたいだったしー』
彼らは風の低位精霊。本来なら精霊とは人間には不可視の存在であり、言葉を交わすことなどできるはずもないのだが、エルフィーネにはなぜかそれが幼い頃から当然のようにできていた。そして、そのことが彼女がヴィストーレへと向かうことになった事件のきっかけを作った原因のひとつでもあった。
けれど、彼女がそのことを理由に精霊たちを嫌いになってしまうようなことはなかった。幼さゆえに事態をよく理解できていなかったということもあるが、精霊たちは彼女にとって大切な友達だったからだ。
エリファス以外の家族がヴィストーレを訪れることはなく、その次兄も学校の長期休暇の時しか会いに来られなかったため、精霊たちはエルフィーネにとっては、むしろ家族以上に近しい存在だったと言える。
「ダメではないわ。けれど、アッシュのことも考えてあげて? 自分の知らない所で自分のお話をされているのは、あまり気持ちのいいことではないと思うの」
たとえ、彼があなたたちのことを知らないとしても、とエルフィーネは彼らを諭すように言った。
精霊とはおとぎ話の中の存在だ。精霊と似た“妖精”も存在するが、妖精は肉体を持ち、分類上は魔獣になる。対して精霊は、肉体を持たない魔力だけの存在だ。故にその存在を視認できず、空想の存在とされている。
けれど、精霊は実在するのだ。エルフィーネはものごころつく前から、精霊の存在を認識していた。小さなお友達として。
『そういうものなのー?』
『そういえば、前地の奴に言われた気がするー』
『これからは気をつけるねー』
「あまり小人さんたちにイタズラしちゃダメよ?」
風の精霊は気ままでマイペース、地の精霊は真面目な気質の者が多い。なので風と地の精霊はよく言い争いをしている。と言っても、風の精霊が地の精霊にちょっかいをかけ、それに地の精霊が抗議をしているだけなので、深刻な諍いに発展したことは一度も無いのだが。
『はーい』
『あまりイタズラしないようにするー』
「いい子ね」
エルフィーネが風の精霊たちの頭をよしよしと撫でると、彼らは嬉しそうに彼女の周囲で踊りだした。
楽しそうな精霊たちの姿に、エルフィーネの口許がゆるむ。精霊たちと会話ができるのは、マーガレットが居ない夜の間だけだ。守護獣との会話は、エルフィーネが一方的に彼らにしゃべりかけている風を装っている(シルフィードの提案だ)ので、彼らと意思の疎通ができることには気付かれていないが、精霊はそうもいかない。他の人には見えないからということもあるが、彼らは地面や空中や木の上など様々な場所に居る。しゃがみこんだり、何も無い宙に向かってしゃべりかけるような真似はさすがにできないからだ。
『ボクもー』
踊る精霊たちをかきわけ、アズラエルがエルフィーネの傍に飛んでくる。漆黒の身体を撫でてやると、嬉しそうにはばたき、風の精霊たちとたわむれ始めた。その様子を、エルフィーネは見るとはなしに見つめる。
(精霊さんたちは、どんな相手とも仲良くなれるわね)
アズラエルの場合はエルフィーネが雛の頃から育てていたから、尚更仲良くなりやすかったのだろうが、守護獣たち以外の、比較的大人しめの魔獣とも仲良く遊ぶ姿をヴィストーレの森では何度も見かけたものだ。
精霊は属性に関係なく皆友好的である。自分とは異なる属性の相手でも、割とすぐに仲良くなる。しかし、同じ属性の相手にはやはりよく懐くようだ。
実際、水の精霊たちは高位から低位の精霊まで、エルフィーネのことをとてもていねいに扱ってくれる。まるで姫君ででもあるかのように。
(クロちゃんたちも、アッシュのことが大好きみたいだし……)
ぼんやり考えていると、叩扉の音が部屋に響いた。おそらく次兄だろうとあたりをつけ、エルフィーネは入室を促した。
「やぁ。風たちがやけに騒いでいたから来てみたんだ」
扉の陰から顔を出したのは、やはりエリファスだった。その周囲には風の精霊たちの姿がある。
「エリィ兄さまのお部屋にも行っていたのね……しょうがない子たち」
ふふ、と笑う妹の頭を、兄が優しく撫でる。
「きっと、なにか楽しいことがあって、僕のことを呼びに来たんだろう」
エリファスは妹と違って精霊のことを認識できないが、その存在は知っている。エルフィーネが精霊を視ることができることを知る唯一の存在だ。
彼自身は精霊を認識できないものの、身の回りで自分以外の魔力を感じれば、それが精霊の仕業であることはわかる。
会話による精霊とのコミュニケーションがとれない彼は、自分からは精霊に話しかけることで、精霊からは魔力の発現によってコミュニケーションをとっているのだ。




