17「笑顔」
アシュレーがアートレイデ邸内に足を踏み入れると、玄関ホールに立つエルフィーネの姿が目に入った。今日も出迎えのために待っていてくれたらしい。
「アシュレーさま、お待ちしておりましたわ」
ミントグリーンのワンピースを身にまといにこりと笑うエルフィーネは、おとぎ話に出てくる森の精のように可憐だ。想い人の愛らしい姿に、アシュレーの顔には笑みが浮かぶ。
「出迎えてくれてありがとう、エル。でも、そんな風にかしこまられるのは寂しいな。俺たち友達だろう?」
少しだけ寂しそうに言うと、エルフィーネは慌てて口を開く。
「ごめんなさい。アッシュを悲しませるつもりはなかったの……許してくれる?」
自分のものよりも固い手をきゅっと握り、夜空色の瞳をじっと見つめると、アシュレーが顔を背けた。
(くそッ!! かわいすぎだろ!!)
しかしアシュレーの心の声など聞こえないエルフィーネは、顔を背けられたことでアシュレーが怒っているのだと思ったらしく、蒼い瞳が少しずつ潤んできた。
「アッシュ怒っちゃった? わたくしとは、もう目も合わせたくない?」
「そんなことない!! ……ごめん、大きな声を出して。俺はエルが好きだって言っただろ? 目も合わせたくないなんて、そんなこと絶対に思わない」
「アッシュ……ありがとう」
好意を告げられてはにかみながら礼を言うエルフィーネを見て、アシュレーの頬に熱が集まるが、今度は顔を背けることはしなかった。
「今日もガゼボにお茶の用意をしてあるの。行きましょう?」
「あぁ」
返事と共に差し出された手に、エルフィーネはことりと首を傾ける。
「エスコートの栄誉をいただけますか、我が姫?」
アシュレーのやわらかな笑みに、エルフィーネの頬が薔薇色に染まる。
「よろこんで」
アシュレーの、剣ダコができて固い掌に、自身の柔らかく白い掌をそっと添える。
「これを」
そう言って差し出したのは、小さなブーケ。前回と違って、今回は黄色系の色でまとめられている。
「ありがとう。この間いただいたブーケもかわいかったけれど、これもとてもかわいいわ。あのブーケの中にあったネモフィラを押し花にして栞を作ったのよ」
「女の子はやっぱり花が好きなんだな。気に入ってもらえて嬉しいよ」
柔らかい手を軽く握り、アシュレーは先導するマーガレットの後に続き、庭に向かって歩き始めた。紳士らしくエスコートするのも効果的よ、との母の助言に従ってエスコートを申し出たのだが、エルフィーネへのアピール以上に自分に一番のメリットがあることにアシュレーは気がついた。
(堂々とエルと手をつなげるのはいいな)
今度からは必ずエスコートをしようとアシュレーは心に決めた。
×××××
ガゼボの前まで来ると、エルフィーネがつないでいた手をそっと離した。
「エル?」
「お手紙にも書いたけど、アッシュにわたくしの大切なお友達を紹介したいの。アズラエル、シルフィード」
エルフィーネの呼びかけに応え、一頭の虎と一羽のカラスが空から二人の前にふわりと舞い降りた。
「改めて紹介するわね。この子がわたくしの使い魔のアズラエル。この天虎が騎獣のシルフィードよ。ふたりとも、わたくしがヴィストーレに居た頃からのお友達なの。アズラエル、シルフィード、こちらはアッシュ……アシュレーさまよ。……失礼のないようにしてね、アズラエル」
「カー」
「グルル」
エルフィーネの言葉に、守護獣たちはアシュレーの方を向き、挨拶らしきものをした。
「アシュレーだ。よろしく」
アシュレーも律義に挨拶を返す。真面目な性分ということもあるが、エルフィーネの“友達”だという彼らを軽んじるような態度をとって彼女に嫌われたくないという子供らしい打算もあった。
「カー」
「グルゥ」
返事をしてくれたらしい守護獣たちに、アシュレーはほっと胸をなでおろした。自分が彼らの友として認められた訳ではないだろうが、少なくとも嫌われてはいないと思えたからだ。
「エル……」
隣に立つエルフィーネに顔を向けると、彼女は今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
「エル、どうしたの?」
「……アッシュがふたりのことを受け入れてくれたのが、嬉しくて」
「エルの友達なんだから、当たり前だろう?」
エルフィーネは、ふたりを受け入れてくれたことが嬉しい、と言ったが、彼女が本当に言いたかったのは彼らだけでなくエルフィーネ自身も含めているのではないかとアシュレーはなんとなく思った。
(俺がエルを受け入れないはずないのに)
アシュレーには、エルフィーネのことならばどんなことでも受け入れられるだろうという自信があった。けれど、そのことを口にするにはまだ早い。いっそ執着とも言えるほどの強すぎるアシュレーの想いをエルフィーネに伝えたら、きっと怯えられてしまうだろう。
アシュレーの返事を聞いて、ありがとう、と嬉しそうに笑うエルフィーネに嫌われたくない。だからアシュレーは笑みを浮かべる。
両親に向けるものとは違う、愛しい者へ向ける、甘く、とろけるような笑みを。
『我らはもう戻る』
『え、ヤダ!! ボクはアイツを見張るんだ!!』
シルフィードの言葉を聞いてアズラエルが暴れだしたが、シルフィードは大きな前足でアズラエルを捕獲し、そのまま翼をはばたかせて飛び去って行った。
「どうしたんだろう?」
「き、きっと紹介が終わったから、どこかへ遊びに行ったんじゃないかしら」
エルフィーネが目を泳がせながら答えるのを見てアシュレーは内心で首を傾げるが、ようやくエルフィーネとふたりで過ごせるため、すぐに意識を目の前の愛しい存在に向けた。
「そうか。ところで、今日のお茶菓子はなにかな? 今日のもエルが作ったの?」
椅子を引き、エルフィーネを座らせてから自らも席に着き問いかけた。
「えぇ。今日はマフィンを作ったの。焼くのは危ないと言われたからシェフにお願いしたけど、それ以外は全部自分でしたわ。お口に合うといいのだけど」
テーブルの上にはきつね色に焼けたマフィンがある。プレーンとチョコチップ入りの二種類だ。
「おいしそうだ」
エルフィーネは控えていたマーガレットに目配せし、お茶を淹れさせる。エルフィーネはプレーンのマフィンを皿に載せ、一口かじってみせた。その姿を見て、アシュレーもマフィンを二種類とも皿に載せ、まずはプレーンの方を口にする。
「おいしい。甘さもちょうどよくて、紅茶に合うな」
「アッシュのお口に合ってよかったわ。ヴィストーレでよくお菓子を作ってはいたけど、ホーランド夫人や使用人たちにしかふるまったことがないから、少し不安だったの……エリィ兄さまは失敗したものでもおいしいと言って召し上がっていたし」
「エルはお菓子作りが上手なんだな。俺、エルの作ったお菓子好きだな。なんだかやさしい味がする」
「嬉しい……アッシュ、ありがとう」
きらきら輝く蒼い瞳を見て、アシュレーは大切なことを忘れていたことに気付いた。




