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11「紅縁(こうえん)の乙女」

 風の日の午後。アシュレーはちょうど剣の稽古を終えたばかりだった。

 使用人がアシュレー宛の手紙を渡し、差出人の名前を告げると、夜空色の瞳がわずかに和んだ。



「エルからか……」



 ラベンダー色の封筒には、少女らしいやわらかでていねいな文字でアシュレーの名が記されている。文字に、エルフィーネの性格が表れているようだ。

 アシュレーが己の名をそっと指で辿っていると、



「なんだ、アシュレー。お前にもついに春が来たのか?」



 くすんだ金色の髪を短く刈り込み、陽に焼けた大柄な男が楽しそうに問いかけてきた。



「今は春の盛りですが」

「そういう所、アレンにそっくりだよなぁ」



 ははは、と豪快に笑うこの男は、レオ・ブラウディア。前カヴァロ子爵の三男で、退役軍人である。アシュレーの父、アレンシードの元部下で“剣聖”と呼ばれるほどの技量を持っているため、アシュレーが五才の頃から武術指南役として週に二回、ゼルウィガー家のタウンハウスにやって来ているのだ。

 レオが上司であったアレンシードのことを気安くアレンと呼ぶのは、アレンシードが国軍に入隊した当時は、レオの班に所属していたからだ。アレンシードはレオを尊敬しており、階級が彼より上になってからも自分のことはアレンと呼んでもらっている。



「アートレイデというと、あの宰相どのの家か。お前と年の近い令嬢が居るとは聞いたことがないが?」

「エルは身体が弱くて最近まで別荘で療養をしていたそうですから、師範がご存じないのも仕方ないかと」

「そうだったのか。公爵夫人が知っているということは、親しい相手には教えていたのだな。幼い頃から別荘に居たというのなら、ありえる話だが……解せんな」



 不思議そうに黙り込むレオを見て、アシュレーは首を傾げる。



「なぜですか?」

「オルフェウス侯爵家の令嬢が療養しているとなれば、貴族の間で一度ぐらいは話題に(のぼ)りそうなものだが、そのような話は聞いたことがなくてな。その令嬢のことで知られては困るなにかがあるんじゃないか? アシュレー、アートレイデ嬢はどんなご様子だった?」



 レオの質問にアシュレーは内心で首を傾げるも、素直に口を開いた。



「どんな……って、すっかり元気になったみたいで、身体が弱いなんて信じられないぐらい健康そうでした。笑うと空のような瞳が輝いて……ッ!!」



 興奮し、関係ないことまで口走っていたアシュレーだが、途中で我に返ったようだ。

 レオはアシュレーの珍しい姿に刹那口許をゆるめるが、すぐにそれを引き締めた。



「アシュレー。“空のような”ということは、アートレイデ嬢の瞳は“青い”んだな?」

「? はい。とても濃い、夏の空のように澄んだ蒼でした」



 アシュレーの返答に、レオはまぶたを閉じ、しばし黙考する。



(青い瞳……それも“とても濃い”蒼。アートレイデ嬢はもしや……?)



「アシュレー。アートレイデ嬢は、おそらくお前と同じSS魔力階級(クラス)の魔導適性者だ」

「SSクラス、ですか……。ということは、現在この国にはSSクラスが四人居る、ということですね」

「アートレイデ嬢がたしかにSSクラスであれば、な。そもそも“水持ち”のSSクラスはここ二百年ほど大陸に現れたという記録が無い。だからこそ、お前と同じくらい希少な存在として“ガーデン”に目を付けられるだろう」

「つまり、エルはその魔力量の多さから、表向きは療養としてガーデンの目から隠されていた、ということですか」



 魔導適性者は、その魔力量によってSS・S・A・B・Cの五段階に階級を分けられている。殆どはBかCクラスで、Sクラスはこの国では二十人もおらず、SSクラスに至っては先ほどアシュレーが述べた通り、エルフィーネを含めて四人しか居ない。

 アシュレーは大陸で唯一の闇の魔導適性者で、且つ数少ないSSクラスでもある。四大元素(エレメンタル)ではSSクラスの者が現れることはまれにある。しかし、水の魔導適性者はレオの言った通りここ二百年ほど大陸に現れたという記録が無い。そのため、ある意味においては光と闇の魔導適性者と同じぐらい珍しい存在であると言える。


 そこで、レオの言った“ガーデン”の登場である。ガーデンとは正式名称を“月の庭”と言う。国王直属の研究機関で、ガーデンの者たちがどのような研究をしているのかは公表されていない。噂によると、国防を担っているとか、夜な夜な人体実験をしていて、ガーデンの敷地には幽霊が出るなどの怪しげな話まである。ガーデンに所属できるのが魔導士だけだから、尚更そんな噂が立つのだろう。

 ただ、ひとつだけ確実に言えることは、ガーデンに属する者たちは例外なく魔法の研究に取り憑かれている、ということだ。

 自分の好きな研究に没頭できる。

 だから“最低十年は月の庭に所属する。その間、王の許可なくしては家族との面会はおろか王城の外に出ることもできない”という厳しい条件すら呑んで、ガーデンに入るのだ。



「アートレイデ嬢がSSクラスならば、な。友人には療養のことを知らせていたのなら、積極的に話を広めなかっただけなのだろう。居場所さえ明かさなければ、もしもガーデンから触れが来てもどうとでもできるからな」



 ガーデンに求められる条件ならば、SSクラスの闇の魔導適性者であるアシュレーも十分当てはまるのだが、公爵家唯一の直系男子であること、祖母が前国王の妹であり、王家に近い血筋であることなどから、ガーデンからの“お声がかり”(という名の王命)を断ることはできる。しかし、アートレイデ家は高位の侯爵家ではあるが、アシュレーと違ってエルフィーネは唯一の跡取りという訳ではない。祖父は宰相として現国王の信頼が厚いが、それだけではガーデンからのお声がかりを断ることは難しい。国王直属の組織である月の庭は、常に優秀な人材を求めている。そして、そのための権力も、やはりそれなりに持っているのだ。



「……ガーデンなんかに、エルは渡さない」



 アシュレーの呟きに、レオはにやりと笑う。



「ほう? ならば、どうする?」

「俺が護ります。どんな手段()を使っても」

「お前が誰かに肩入れするなど初めてだな。アートレイデ嬢はそれほどまでに魅力的なご令嬢なのか?」

「彼女は俺の“紅縁(こうえん)の乙女”です」



 “紅縁の伴侶”という伝説がある。相手が男性であれば“紅縁の君”、女性ならば“紅縁の乙女”と言う。男女の縁を結ぶ紅い糸でつながる魂の伴侶のことをそう呼ぶのだ。

 この国を興した王と王妃が紅縁の伴侶だったとされるが、真偽のほどは定かではない。しかし、仲の良い恋人や夫婦は紅縁の伴侶と呼ばれることが多い。



(エルは俺の紅縁の乙女(うんめい)だ。ガーデンにも、他の誰にも渡しはしない)



 彼女をひと目見た瞬間(とき)からエルフィーネに囚われていたのだ。美しく澄んだ、濃い空色の瞳に。

 幸い、母にもエルフィーネへのアプローチは認めてもらっていることだし、とアシュレーはエルフィーネと婚約する算段をつけ始めるのだった。


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