プロローグ -花音-
夢が先か、現実が先か。
夢の中で崖や階段から落ちて、起きた瞬間身体がビクッと動いた事はないだろうか。
"夢に釣られて、現実の身体が反応した"
それならば夢が先だ。でも、おそらくそうじゃない。システムで考えれば身体が先に動いたと考える方が自然なのだから。
実際は睡眠時の筋肉の硬直、それに伴う痙攣が先ず起きている筈だ。もしそれが脳が目覚めた状態で発生したならば、『痙攣が起きた』、『身体が強張った』と理解できるが、休止中の脳ではそうはいかない。
だから夢というフィルターを通して無意識の出来事に"理由付け"を行う。身体が痙攣してから目覚めるまでの一瞬を引き伸ばして、夢という世界で無意識下の出来事を物語にしているのだ。
つまり、既に起きた現実が先だ。
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夢を見ていた気がする。
ガタンっという大きな音と膝の痛みで目が覚めた。勢いよく机に膝をぶつけたせいか、あまりの痛みに思わず目を瞑って膝をさすっていると、私の顔を覗き込む双眸と目が合った。
「いったぁぁぁ………」
「びっくりしたなぁもう。いきなり起きないでよ」
寝惚け眼で声の方をみれば、そこには幼なじみの姿。呆れた顔をして私を見て、口元の辺りを指さして苦笑いしている。
「ヨダレ。拭いたら?」
「うげっ!最悪……」
慌てて制服の裾でゴシゴシと拭う。流石に机にたっぷりと垂れていた分はティッシュを使って処理した。
頭はハッキリしないけど、取り敢えず色々確認しなければならまい。
「どれくらい寝てた?」
「どれくらいって……3時限目からずっとだよ」
「嘘……じゃあ今何時限目?」
「残念、4時限目が終わって昼休み。昨日遅くまで何かしてたの?だいぶ爆睡してたけど」
3時限目の途中から4時限目まで、およそ1時間半もの時間を寝ていたのだろうか。流石に寝過ぎでは?
「いやいやいや!寝過ぎでしょ!!起こしてよ!」
「起こしたよ!?先生に言われて何度も起こそうとしたけど、花音起きないんだもん」
ふんっと目の前で幼なじみが膨れっ面をした。
篠崎唯香、私の幼なじみにして腐れ縁。小学校、中学校と同じ学校同じクラスで過ごした仲であり、高校はお互い別の学校を志望していたが、2人とも第一志望は落として仲良く同じ滑り止めに入学した。
名前順だと私と唯香は必ず前後になるから、これで十年連続という事になる。
「ごめんごめん。昨日別に普通だったんだけど、なんでだろ?」
「私に聞かれても困るわ。でも、珍しいよね?花音が授業中寝てるのってあんま見た事ないかも」
そう言われて見れば、私も覚えている限り授業中に寝た事は一度もない。むしろ寝ている唯香を注意する方だと思う。
だから、どうして寝てしまったのかも正直思い出せない。本当に昨日の夜は特にする事がなく、10時には寝た筈なのだから疲れていたという事もなかった。
まるで頭に靄がかかったようだ。何か思い出せそうなのに、何も思い出せない。でも、何か……
「……夢、何か夢を見てた気がする」
「夢?」
「そう……でも、思い出せないんだよねー」
「まぁあんだけ凄まじい寝起きなら夢の一つや二つ見てそうだけどさ」
それを言われると、せっかく引いた膝の痛みが戻って来たように感じる。昼休みという事もあって周囲がガヤガヤしていて本当に良かった。あれが授業中だったらいたたまれない。
「うぅ…….でも結構ショックかも〜うわぁ何で寝ちゃったんだろ?気の緩み?慣れない電車通の疲れ?」
「花音家も私ん家もここから二駅でしょうが。それで疲れとか言ってたら真由子ちゃんとか1時間近くかかる子は死んどるね」
「体育会系は身体が頑丈なんだよ」
「わかる。うちらとは遺伝子から違う感じする」
唯香が何度も首肯しながら私に同意する。私も唯香も運動が苦手って程じゃないけど、好き好んで運動部に入る程でもない。だから唯香は料理研究部なる物に入って茶菓子を食い漁り、私は帰宅部を満喫している。
というのも、私の趣味は貯金という事もあって、放課後は基本バイトをしているから部活をする時間がない。
「それはそれとして……これ、花音が寝てた時のノート。写すでしょ?」
そう言って唯香が2冊のノートを取り出した。タイトルは世界史と数学。数学の途中で寝たから、世界史は丸々受けてない事になる。
「ありがと!うわっ結構進んでる」
唯香からノートを受け取ってペラペラと捲ると、今日の日付のページが見つかった。そこから終わりまでは5ページ程だから、一回の授業で進む分には中々だ。
「確か前回が大航海時代入る前だったよね。今日はもうマゼランとかその辺全部話しちゃった?」
教科書の内容を知っていても、授業中に話した内容からテストに出される事もある。だから何気ない確認のつもりで私は聞いた。
「大航海時代?」
「おいおい」
キョトンとしてるけど、キョトンじゃねぇ。思い出したけど、唯香はちょっと抜けてるのだ。
「さては唯香も寝てた?」
マジマジと唯香を見つめる。マジマジと、本当にマジマジと。穴が空くほど見つめる。
「いやいや寝てないよ!今日は花音寝てるからちゃんと起きてなきゃと思ったから」
「本当に〜?じゃあマゼランが世界一周したのは何年?アフリカ南端の岬は何という?」
「いや知らね」
「1519年でしょ!希望峰でしょ!」
「そんないきなり聞かれても私世界史得意じゃないからさ……あはは」
ケラケラと悪びれもせず唯香は笑った。まぁ確かに今のは私が悪かった。いきなり相手を試すような真似をしたのだから。
「でもさ、そんなこと授業でやったっけ?」
「へっ?いや……やったでしょ?」
思わず間抜けが声が出てしまった。これが1週間前だとか1ヶ月前だったら分かるけど、世界史の授業は2日連続。つまり昨日やった内容を忘れてるんだから相当だ。
「やったよ。ほらだってノートに……」
「昨日はレンギル王国……だっけ?そこの百年戦争の話だったし、今日は盧安からムスタトを繋ぐ商路の話だったから、その花音の大航海時代ってまだなんじゃないの?」
「はぁ?」
何の話だ。違う、何を言ってるんだ。
だってほら、ノートを見れば。
「ない……なんで?私のノートは!?」
私の筆跡で私の書いた記憶の無い出来事が書き連ねてある。知らない、こんな事を書いた記憶は無い。
私の記憶喪失?いや、ないない。ボケて忘れてるっていうのが有力候補だけど、それにしたって書いてある内容が荒唐無稽すぎる。
「ナンダコレ?」
聖暦180年
X@=%の戦線開放
正確にはaw!#のため、5j&国のA?+6の事。
主目的は魔物討伐であり、第一功労者の€<^6は後の×≠2:王となる。
聖暦179年
レンギル王国のスウェード王による魔圏開放
王権であった魔力の行使を王国民に開放した政策であり、それにより急速に魔導革新が進んだ。
聖暦176年
魔圏封貨
スウェード王の三圏政策の二つ目。貨幣による魔力行使の廃止を目指した。
聖暦……
「えっと……唯香、私って何人?」
「えっ?えぇ……多分、日本人じゃないの?」
「じゃあ今って西暦何年?」
「どしたの?いや、西暦2032年だけど」
「じゃ、じゃあ……この聖暦って何?」
私は自分のノートを指差して唯香に見せた。紀元前の“B.C."とか"A.D."とかじゃない。少なくとも私には馴染みは無い暦。
「これ?魔法がまだいた頃の暦でしょ。それが聖暦で、その魔法が使えなくなってからが西暦」
なんじゃそりゃ。取り敢えず一言。
「唯香、頭沸いてるんじゃないの?」
「聞いておいて失礼なやつ!」
「いやぁ〜魔法とか、私達もう15だよ?流石にないでしょ」
幾らなんでもないない。そういうのは流石に卒業して久しいし、こうノートに書くなんて黒歴史以外の何物でもない。まぁ書いてあるのは私のノートもなんだけど。
「それにほらこの聖暦180年なんて、何て書いてあるか分からないし……」
「ちょっと字汚いけど、読めるよ?『X@=%の戦線開放』でしょ?aw!#とか」
「えっ……」
唯香の言葉に合わせて雑音が走る。
何かが違う気がした。今までの日常とは、ほんの束の間惰眠を貪る前とは。まるで夢の続きを見ている様な。
指で聖暦180年のあたりをなぞる。何故だか只の安っぽい紙に、薄ら寒い感触を覚える。
直感。それ以外に言い様が無いけど、私にはそれがなぜ読めないかが分かる気がした。
私が読めないのは、私がまた観てないから。
何でそう思う。何でそう思った。
違うそうじゃない。
雑音
思い出さないと
「花音?」
雑音
違う。私は。
いや、私は花音で、でももう1人いる。
「……て……っ……」
声が聞こえる。雑音。
聞き覚えがある。夢の続きを見ないと。
あの子のところに。
花音。雑音
雑音
違う。これは雑音じゃない。
夢の続きが正解を求めて繰り返しているだけ。なら目覚めないと。
夢の中に目覚めないと。
意識が混濁する。夢の中へ。
そして覚醒と同時に身体は動く。
硬貨を宙に向けて弾く音がした。
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「ぐっぬぁぁぁぁぉぁぉ!!」
断末魔の叫びが回廊に響き渡った。
玄无に隙を突かれて死ぬ筈だった私、だがその玄无が苦しみ悶えている。その理由は見ていたから分かる。
意識を失ってダラリと伸びた妹の小さな手。先の一瞬、その手から硬貨が弾かれた。
何らかの魔法を妹が行使したのだ。だけど、それが異常事態である事も理解している。妹は魔法の体系的にまだ魔法を使える筈が無いのだから。
「フィオラ様!ここは私が抑えます!!」
「爺っ!」
爺の叫びでハッとした。
妹が何故魔法を使えたのか、その理由を堂々巡りしていても事態は好転しない。少なくとも今は、ここから逃げてどこか諸侯に匿ってもらう。その事だけを考えるべきだ。最早それしかないのだから。
この状況では父上と母上の安否さえ疑わしい。
せめて王家として自分と妹だけでも助からないと。
「……ごめん」
「いえ……これも王家の為ならば」
爺と短く別れの挨拶を済ませる。
"電光石火"
ありったけの力で大地を蹴り飛ばした。そして爺から妹を受け取り、そのまま振り向かずに駆ける。
爺に追い回された回廊を、最近では妹が追い回される様になった回廊を。
みんな死んだ。親衛隊のみんなも。
爺もここで死ぬ。間違いなく死ぬ。
私も死ぬかもしれない。でも、まだ生き残れる可能性があるならば、そこに賭けるしかない。
でも、夢ならばどうか醒めて欲しい。
これが夢ならば。
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