プロローグ④
「"獄天火"≪増強≫≪凝縮≫≪衝撃≫≪増強≫≪残響≫≪伝播≫≪加速≫≪加速≫≪加速≫≪加速≫ ≪加速≫!!」
呪文と共に煉獄の焔が天空に顕現した。一つ言霊につき一枚の金貨を対価に用いた、恰も凝縮された太陽のようなそれは、唯1人の金色の瞳をした男の頭上にあった。
だが、男は今しがた自分が生み出した火球を見て小さく舌打ちをする。
「まだだ……まだ足りない。≪廻天≫ ≪加速≫ ≪廻天≫ ≪廻天≫ ≪加速≫…………」
火球が男を中心に天体運動を始める。ゆっくりと、男が加速を告げるたびに速く。
「ちょっとちょっと!"範囲防壁"≪増強≫≪火耐性付与≫!!」
金色の瞳の男は後方から聴こえた絶叫に、一瞬チラリと目をやった。呪文を唱えたのは貴族風の様相の男。
そして、その右手の中指と薬指の指輪が消失しているのを確認した。正確にはそれに付いていた筈の宝石が。
「こっちまで燃やす気かっ!!」
「ハイル!そのまま続けろ!!もっと威力を上げる」
貴族風の男は文句を言いつつも男に従う。円蓋状の半透明の障壁が、火球より生じる熱波を遮断していたが、その範囲はあくまで自分を中心に半径数メートル程。護れるのはせいぜいこの場にいる三人程度だろう。
そこから一歩出ればどうなるかは眼前の光景が物語っている。消炭になりたくなければ、万に一つも魔法を止めるという選択肢は有り得なかった。
「長くは保たない!!」
「あぁ……それでいい。≪加速≫…… ≪加速≫…… ≪加速≫…… ≪加速≫……」
最早光の軌跡しか追えない程加速したそれを、尚も足りぬと加速を重ねる。
限界を超えた力の行使に身体は軋み、臓腑が悲鳴をあげる。それでも金色の瞳の男は続けた。
狙うは眼前の歪。瘴気で固められた世界の澱。
「オォォォォォォッ!!≪加速≫ッ!!≪加速≫ッ!!緋ッッ!!」
男はその瞬間、視界の端を駆ける女の姿を見た。そして女が貴族風の男の創った障壁を超えるその瞬間、全ての力を解き放つ。
「穿てッ!!≪解放≫ッ!!」
金色の瞳の男により限界まで加速された火球が、その全ての力を一点に凝縮し歪みに衝突した瞬間、巨大な爆発音と共に暴風が吹き荒れた。
ピシッ、ピシッと卵の殻を破るように瘴気の塊がひび割れ始める。女はその瞬間を見逃さなかった。
「"水霊の加護を汝に齎さん"っ!」
貴族風の男により唱えられた調整無しの呪文により女の前に清い水の膜が張られ、鉄をも蒸発させる熱波を遮断する。
女、金色の瞳の男に緋と呼ばれた女の両手には鎖。その先端に自身の身の丈程もある鎌がついた得物を振り回し、上空へと飛び上がった。そして火球により生じた瘴気の断層に向けて放つ
「"御霊割斬"≪蝕≫ッ!」
世界を縦に分断するかのような一閃。更に切り込みからは幾重もの斬撃が余波となって瘴気を割り続け、一つだった断層が全面に拡散していく。
瘴気の塊は堪らず悲鳴をあげ、まるで錆びついた扉が開くような耳障りな音が響き渡った。
「来るぞッ!!」
女は落下しながら金色の瞳の男の呼び声を聞いた。静かに落下しながら瘴気の方に目をやれば、そこには無数の黒い蟲。否、その大きさは断じて蟲などではない。サラサラと砂時計のように瘴気から溢れ出ているそれは途方もない数の魔物であった。
「"神罰執行"」
天空より降り注ぐ光の矢が無数の魔物を貫いていく。女は落下しながら体勢を立て直すと、足場の悪い岩場に着地し、上空にいる神官服の者を見た。
それは本作戦における外部の殲滅を一身に請け負っている者であった。細身の長身に生きているのか死んでいるのか分からないような肌色、浮いているのは"浮遊"の加護をもった魔法道具でも持っているのか。
金色の瞳の男は神官の姿を確認すると、瘴気の塊を囲むように散らばる仲間に向け号令を放つ。
「道は拓かれた!!これよりウルクレシアに突入する!!」
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某刻、ウルクレシア城内
現状を把握する者はいるのか。否、そんな者がいればこれ程の混乱にはなっていまい。
何十年とこのウルクレシア王家に仕えてきた私にとっても異常事態で、頭の中は混乱し切っているというのに、そこらの奉公人に何が出来るはずもあるまい。
誰が信じられようか。突如として天が割れる事を、地が割れる事を。城内は悲鳴や鳴き声が鳴り止むことなく続いている。
「姫様……どうぞご無事で」
そう願わずにはいらなかった。王と王妃の元へは既に近衛の者が向かっている。そして王女殿下であられるフィオラ様には親衛隊がいる。王族の中で紛れもなく一番無防備なのは姫様だ。
何より先の地割れで城も半壊と言っていいほど崩壊していて、それに巻き込まれて死んだ者もいる。不幸中の幸いで非常時の魔力灯が作動しているのか、辛うじて城内の様子だけは把握する事が出来た。
ギリっと奥歯を噛み締め、脳裏に過ぎる最悪の事態を必死に振り払う。自然と姫様の元へ駆ける脚が早まった。
「爺っ!!」
「ひめっ……フィオラ様!!よくぞご無事で!!」
姉妹で良く似た声色をしているせいで、一瞬姫様と錯覚した。だが、そこにいたのは姫様を大人にしたような見目麗しいフィオラ様であった。
その後ろには親衛隊員が数人控えている事に安心する。どうやらフィオラ様は無事に親衛隊と合流で来たらしい。
「あの子はっ!?」
「分かりませぬ!!今急ぎ向かっておりますゆえ、フィオラ様におかれましては、どうぞ陛下の元へ!!」
フィオラ様は私の言葉に束の間逡巡したかと思えば、親衛隊の一人に命じた。
「エバンス。貴方は爺に付いて。あの子に何かあったら爺一人じゃ手が足りないかもしれない」
「はっ!仰せのままに!」
「お心遣い感謝致しまする」
エバンスと呼ばれた男は屈強な男であったが、格好は平服のそれであった。おそらく甲冑を纏う暇など無かったのだろう。腰のベルトに無造作に剣だけがぶら下がっている。
「爺っ!頼んだわよ」
「はっ!!エバンス殿、行きますぞ」
フィオラ様の檄に私はポケットの硬貨を握り締めた。老い先短い身ではそう何枚と使えまいが、若輩に引き離されるわけにも行くまい。
「"身体強化"」
一昔前の近衛であった頃であれば、この一枚で地の果てまで駆けられようか。だがしかし、今となってはコレでようやくエバンスと同等か、やや劣るといったくらいだろう。
「エバンス殿、もし私に何かあれば姫様だけでもフィオラ様の元へ届けてくだされ」
エバンスは一瞬目を見開きこそすれ、すぐに走りながらコクリと頷いた。
この異常事態だ。次に何が起きてもおかしくないと考えるのは自分だけでは無いだろう。
西棟の上階に位置する姫様の寝室に向かうまでの道中は惨憺たるものであった。こちらの方が被害が大きいのか、魔力灯も所々灯いていない。崩れた瓦礫の誰かが下敷きになったメイドや、床板から崩れ落ちた場所には運悪く居合わせたであろう衛兵の亡骸が転がっていた。
調度品の数々も見るも無残に粉々となって、とても昼間に姫様を追って駆けずり回った場所には思えなかった。
姫様の寝室に辿り着く頃、私だけでなくエバンスの表情も暗いものになっていた。ドアを叩きながら震える声で姫様の名を呼ぶ。返事はなかった。
ドアノブに手をかけ引いてみるが、当然鍵は掛けられている。マスターキーでも有れば開けられるが、魔法の効力は既に切れており、今から取りに引き返すのは厳しい。
そんな私の意を汲んだのか、エバンスは私に扉から離れるように言った。そして扉から2、3歩離れると、助走をつけて一気扉を蹴破った。
「姫様!!姫様っ!!」
道中と同じような部屋の有り様に、私は膝からガクリと崩れ落ちた。棚という棚は倒れ、テーブルや椅子はバラバラに壊れている。まるで部屋全体が一回転した様であった。何より天井が崩れ落ちたのか、天蓋を突き破って姫様のいるベッドに突き刺さっていた。
「なんと……なんという………」
私は絶望にその場から立ち上がれなくなった。エバンスはその私の横をすり抜けベッドの方に向かう。そして、エバンスはこちらを見ると静かに首を横に振った。
「姫様は……」
「分かりません。この瓦礫を全て退けてみるしか……」
エバンスが不自然なところで会話を切った。そして何かに気づいたようにそっと耳に手を当てる。
「これは……微かですが、呼吸の音が聞こえます」
「なっ!!本当ですかエバンス殿!!」
「え、えぇ……しかし、この暗さと部屋の有り様では探すのに時間がかかりそうです」
その言葉に間髪入れずポケットの硬貨を握りしめる。手持ちの硬貨はこれで後一枚、だが今はそれを考えている場合では無い。
「"来光"!!」
仄かな光が灯る。洞窟などの調査の時は重宝するが、他ではあまり使い途のない呪文、そしてウルクレシアで魔法を習った者が最初に習得するのもこの呪文である。
その程度の呪文であるのに、身体は悲鳴を上げる。最早銅貨二枚使っただけでコレだ。
だが、その仄かな明かりのおかげで姫様の小さな身体を見つける事が出来た。ベッドから投げ出されたのか、窓際に突っ伏していたのだ。
「姫様っ!ご無事ですか!?姫様っ!ひっ……」
姫様を抱き上げた時、自分の手がねっとりと濡れた。その手を光に翳せば、そこには赤黒い血が滲んでいた。
「姫様っ!!」
姫様の頭部から流れる血をハンカチで抑えた。呼吸もしているし脈もあるが意識が無い。
一刻も早く医者か、治療術を扱えるフィオラ様の元へ連れて行かねばなるまい。
「エバンス殿!姫様を!!」
「えぇ、急ぎましょう」
エバンスは自身の袖を引きちぎると、それを包帯がわりに姫様の額を巻いた。気休めだが無いよりは良い。そして姫様の背と脚を持つと、その小さな身体を抱き上げた。
「医師の元へ向かわれますか?」
「……いえ、フィオラ様の元へ向かいましょう」
エバンスの問いに迷いながらフィオラ様の元に向かう事に決めた。この混乱の中、医師が何処にいるかなど分かりはしない。ましてや生きているかも。
フィオラ様であれば、王の元へ行けば合流できるはずだ。
エバンスと向き合い、互いに頷き合う。姫様の顔色を見れば、益々青白くなっている様に見えた。ダラリと落ちた手を握り、そっとその胸元に戻す。
その時、姫様の手が何かを握り締めているのが分かった。強く強く握り締められた指を1本ずつ解いて行くと、それは姫様の腕を伝って床に転がり落ちた。
「……硬貨?なぜ、こんな物を?」
姫様が魔法を?いや、まだその年齢には達していない筈。では何故?
いや、今はそんな事を考えている時間は無い。何故だか胸騒ぎがするのだ。この惨状がこれだけでは終わらないと。まだ続きがあると。
そして、その予感はすぐに確信へと変わった。
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