プロローグ②
私が教えたことは、お父様とお母様には内緒よ。
姉様は最初にそう言うと。優雅な所作でテーブルの上に大小異なる三枚硬貨を置いた。小さい方から順に銅貨、銀貨、金貨。このウルクレシアではどこでも見る事のできる古龍と蘭の紋が刻まれたものだ。
古龍はウルクレシアの護り神であり、蘭は我々ウルクレシアの民が古龍に対して忠誠を誓い、古龍に代わり土地を治める事を許された契約の証とされる。
もちろん実際に龍を見た人がいるわけではなく、子どもの頃に親から寝物語に聞かされる建国神話というやつだ。
何の変哲もない硬貨だけど、これが一体何なのだろうか。手品の種を見破らんとばかりに硬貨をまじまじと見つめていると姉様がくすりと笑った。
「何に見えるかしら?」
「えっと……普通の硬貨に見えます」
「あはは。そうね、その通り。でも、これが魔法を使うための"種"になるの」
姉様はそう言うと、テーブルに置かれた三枚の中から1番小さい銅貨を手に取り、親指で中空に向けて弾いた。
「"来光"」
小さく唱えられた言葉と共に、一瞬前まで硬貨があった空間に小さな光が灯る。それは光虫のようにフワフワと所在なく彷徨ったかと思えば、姉様の指先の動きに従って規則的な軌道を描いているようにも見えた。
「きれい……姉様、凄いです。凄く綺麗です!!」
「これで銅貨一枚分。銀貨を使えば使い途がもっと広がるわ」
姉様が指をパチンと弾くと、その音と共に光が霧散した。そして、そこに当然あった筈の銅貨も見当たらない。それこそ手品のようだった。
初めて見た美しい光景と、脳裏をよぎるその事実に強烈な違和感を覚える。
「魔法を使うためには、お金が必要なのですか?」
「その通りよ?」
姉様はあっけらかんと言ってみせるが、それってとてもキナ臭いというか、なんだか認めなくない。
それが子供心に抱いていた"精霊"に対する清廉なイメージが壊れたからだというのは言うまでもないが、『対価に金銭を要求する』それではまるで商人ではないか。
「どうして?とか、何故?という質問には応えられないわ。おそらく私だけじゃなく、この国でその理由を知ってる人はいないもの。遥か神代の御世にはそんな事は無かったという御伽話もあるけれど、私が調べた限りでは千年前の大戦でも同じようにして魔法を使っていたみたいね」
「なんだか……ちょっと精霊に対するイメージが崩れてしまいました」
だって本で読む精霊というのは、手のひらに収まるくらい小さくて、薄く透けるような羽を背に持ち、一度羽ばたく度に黄金の鱗粉を振り撒く……他にも人間が好きであったり、悪戯好きであったり、言うなれば物語の精霊とは友達のような存在に近かったのだから。
それが計算用の算術版片手にふよふよ浮いている精霊を想像すると、それはそれで可愛いかもしれないが、なんだかガッカリしてしまう。
「あははっ!懐かしいわーその反応!私も最初はそうだったもの。絵本の中の妖精は"良き隣人"といった風に描かれているものね。どうしても現実との乖離があるのは分かるわ」
「むぅ……で、でもそれなら何故、民は魔法を使う事が出来ないのですか?この方法なら誰でも使えると思うのですが」
「それは簡単ね。硬貨自体にそういう制限がかけられてるよ」
「王族や貴族にしか使えないように、ですか?」
「正確には貴族でも王家の血が入ってないと使えないわ。他の国では制限を緩めてる所もあるみたいだけど、このウルクレシアではそうね。考えてもみなさい?もし仮になんの制限もなく魔法を使えるようにしたらどうなるか」
何の制限もなく、王族も民も分け隔てなく魔法を使えるようにしたら。うーんと唸りながら考えていると、テーブルの上の硬貨が目に入って思わず「あっ」と声をあげてしまった。
「お金が無くなっちゃう?」
「せいかーい!制限をかけなければ、まず硬貨の消費量に対して生産が追いつかないでしょうね。その場合、外貨を入れる必要が出てくるのだけど、それは避けたいのよ」
「どうしてですか?」
「それは外貨の価値が高くなって、相対的にこの国の硬貨の価値が下がるから」
魔法の話を聞きにしたというのに、先程からお金の話ばかりしている。そんな不満が顔に出ていたのか、姉様は優しく微笑むと銀貨を手に取った。
「さっきも言ったけれど、銀貨を使えばもっと色々な事が出来るわ。例えば……」
再び姉様が銀貨を指で弾けば、キンッと乾いた金属音が部屋に響いた。天井近くまで高速で回転しながら上がっていったそれを目で追う。
「"来光≪焔≫"」
熱っ!先程の小さな光には無かった熱波が押し寄せる。それに、まるで小さな太陽でもあるかのような強烈な光の強さ。目を細めてようやっと見つめる事が出来ると言うほどだ。
「姉様、眩しい」
「そ、そうね。私も暑いわ」
すぐにそれは姉様によって消されたが、部屋の中はすっかり蒸し暑くなってしまった。わたしにはちょっと暑いなーというくらいだが、姉様は大量に汗をかいていた。心なしか少し怠そうでもある。
姉様に唯一欠点を挙げるとすれば体の弱さだろうか。寝込む事が多いし、ちょっとした事でも体調を崩す事もある。今の一瞬でも相当体にきたのか、首元に浮かんだ汗を乾かそうと、パタパタと手で仰いでいた。
「銀貨と銅貨を使ったときの差は分かった?」
ようやく落ち着いたのか、手で仰ぐのをやめて姉様が言った。
「銀貨の方が光が眩しくて、それに暑かったです」
「そうね。銀貨を使えば銅貨よりも強くて大きな魔法が使えるわ。その理由は単純で、銀貨の方が銅貨よりも価値が高いからね」
「じゃあ……金貨だったら」
わたしは眼前に置かれた金貨を見て、そっと手に取った。
「私は一度使った事があるけど、銅貨と銀貨とは正に桁違いね。これ一枚で小さな街くらいは平にできるかしら」
「ま、街を平にですかっ!?」
ゴクリと唾を飲み込むと同時に素早く金貨を元あった位置に戻した。普通の金貨が今となっては危険な爆薬のように見えてしょうがない。
「話を戻してしまうけど、だから硬貨の価値を下げるわけにはいかないのよ。価値が下がれば魔法そのものの力の減少に繋がってしまうのだから」
「でも……街一つ滅ぼせる力というのは持っていても良いのでしょうか?」
「逆に考えれば、他国が同じような力を持っていると言うことよ」
「他国が?」
「そう……他国が同等の力をもっている以上、それに対抗する手段は必要よ。だから金貨は国防の最終手段。その為にウルクレシアでは金貨のレートを意図的に上げているわ。いざと言う時に最大限の力を発揮できるように」
「その、いざと言う時というのは……」
幼心にも何となく見当は付く。そして答え合わせをうるように、姉様は凛とした声で躊躇わずに言った。
「勿論、戦争よ」
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某国、某所。
八人の浪人が小さな円卓を囲んでいた。齢や性別、装いもさることながら、生国から果ては種族に至るまで何一つ共通点の無い者共である。
八人の側には更に側仕えの者共がいたが、どれもこれもその異様さに身を縮めていた。更に異様と言えば、その卓上の中心に置かれた"金"、"金"、"金"。
山程というのは、つまりこういう事だと言わんばかりの積み様に誰も彼もが息を呑んだ。
一体この大量の金貨は何に使われるのか、少なくともここで賭け事でも始めるわけじゃないのは誰の目にも明らかだ。
そして静寂の中、その一人が口火を切った。
薄暗い部屋に溶け込むかの様な黒髪に、片方だけの瞳が金色に妖しく煌く男だった。
ただ一言、「足りぬ」と。
声の重圧と実際に発せられた言葉の意味を理解するのに、周りの者どもは額に汗を滲ませた。
それが普通なのだろうが、そんな周りを気にした風もなくまた別の者が言う。
「足りぬなら奪えばいいでしょう」
若い女の声だった。ただ声色がその様であっただけで、まるで生き物のような気配が感じられぬ冷たさがあった。
「なるほどな。では、それは俺が適任だろう」
比較的珍しい犬獣人の面をした男がニヤリと笑った。それを見て「野党風情が」と悪態をついたのは、大柄の鎧の男。
途端に空気が張り詰める。
だが、互いに手を伸ばしたのは剣の鍔まで。ボロのような服を着た壮年の男が割れんばかりの力で机を殴った事で、場の空気が凍る。事実、厚みのある石で出来たその円卓には亀裂が入った。
男の体躯は小柄ながら鍛え抜かれており、蓄えられた無精髭は仙人を思わせた。
「方針はそれで問題ないでしょう。で、首尾は?」
話を戻したその男はこの中で唯一貴族を思わせる様相をしており、それは逆にこの場では浮いていた。宝飾品で身を飾っているせいで、何か仕草をする度にジャラジャラと擦れる音がする。
「えぇ、えぇ順調ですとも。号令さえ頂ければ今宵にでも」
応えたのは一際背の高い細身の者。不気味な程に白い肌は死人を思わせた。
一同の視線が一点に注がれる。だが、その者は何も口には出さず静かに首肯した。
それを確認した黒髪の男はその場で立ち上がり、全員を一瞥すると言った。
「決行は今宵、月が天上に達した刻。合図を確認したら、順次作戦行動に移れ」
「はて、はて、その合図というのは?」
黒髪の男に細身の者が言ったが、それに「分からずとも分かるでしょう」と返したのは冷たい声の女。
細身の男も納得したのか、然り然りと肯いた。
そして機を見計らって黒髪の男が付け加える。
「世界の危機だ。だが、ここに正義はない。我らの悪逆をもって大義を為す」
浪人共は立ち上がった。
各々ただ一枚の金貨を手に取った。
古龍と蘭の紋が刻まれたそれは、暗闇の中で微かに光を帯びた。
「残念な事だ」
明日には只の金塊となるそれを見て、黒髪の男は溜息をついた。『お前もそう思うか』と問う様に天に向けて掲げてみても、自分の瞳と同じ色をしたそれは何も応えてはくれない。
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