二人②
今の私は自分の意識だけあるような状態だ。身体も視点も私は自由に動かせないし、痛みや疲れも感じない。まるで操り人形になった様な気分、もしくはジェットコースターに乗って目まぐるしく変わる景色をただ眺めている様な感覚。
だから現実味があるかないかと聞かれれば、その答えは"無い"となる。
なにせ五段階評価で体育2の運動音痴の私が、まさかバック宙を決める日が来るとは思わなかったし、コインを弾くと同時にCGみたいな光線が出るとも思わなかった。
まぁ現実味に順位をつけるなら努力すれば出来そうな前者より、後者の方が遥かに意味が分からないのだけれど。
『……倒したの?』
私は"私"にそう尋ねる。この明らかにおかしいやり取りに慣れつつあるのも考えものだ。私が"私"に話しかけているのだから。
「多分、直撃したから」
私の体を動かしている方の"私"は、そう言って華麗に着地を決めた。
それから一歩、二歩とうつ伏せに寝転がったウサギ熊に近づき、軽く足蹴にして生きているかを確かめる。
「死んでる……と思う」
『結構グロいね』
CG光線を浴びたウサギ熊の頭はパックリと割れていて、そこからちょいちょいと出来れば見たくない物が漏れ出ている。
見た目以上の威力があったようだ。
『さっきの何?あの光みたいなの』
「分からない。多分、魔法……だと思う」
『魔法て。なんじゃそりゃ。唯香じゃあるまいし』
そういえば唯香が魔法だの何だの言ってたっけ。ついさっきの話なのに随分昔に感じる。
あの子も随分拗らせた物だ。
「魔法は魔法だよ。知らないの?」
そんな私の気を知ってか知らないでか、キョトンとした顔で"私"は私に問いかける。
思わず訪れる二人の間に流れる沈黙の時。いや、私と"私"が黙っているだけだから、実質1人で黙っているだけなのだけれど。
『えーっと……マジで言ってる?』
「うん。だけど……ねぇ、そんな事より"あなた"誰?」
おっと、遂にその話題か。なんとなく先延ばしにしようとしてたけど、そうはいかないよね。
私だってこの気持ち悪い状況をハッキリさせないまま会話を続けるのはどうかと思ってたし。
『私は典道花音。大日の普通の女子高生だよ』
「そう……カノンっていうのね。ダイニチとか、ジョシコウセイっていうのはよく分からないけれど、それも貴方の名前?」
いやいやいや、そんなわけないでしょ。ひょっとしてちょっと天然ボケ入ってる?
『大日は大日で私の生まれた国だし、女子高生は女子高生よ』
"私"はその私の回答に首を一捻り二捻り。そして唸り声を上げたと思ったら、急に視界が真っ暗になった。目を閉じたのだろう。
「ねぇ、あなた……カノンの話を聞いてると、私とカノンは全くの別人物って感じがするんだけど」
再び流れる沈黙。
それもそうだ。こうして自己紹介してみたけど、私は私なんだもの。どうして私が私に自己紹介なんてしなくてはならないのか。それを疑問に思わない方がおかしい。
でもその答えは単純だ。"私"が私ではないからだ。
『じゃあそう言うあなたは誰なの?』
だから、結局わたしもこの質問をするしかないのだ。"私は〇〇です。あなたの名前はなんですか?"なんて小学校の英語の教科書に載ってそうな一文を。
でも、"私"から返ってきた答えは私の予想していたものと少し違った。
「分からない」
小さく消え入りそうな声で"私"は言った。
『分からないって、名前が?』
「そう。思い出せない。自分の名前も何でこんな所にいるのかも。何も……」
『何も?何もって本当に何も?』
「何もは何もだよ。全然、全く、私のことが分からない。あぁ、でも一個だけ覚えてたみたい」
『それは?』
「さっきカノンも見たでしょ?魔法の事だけは何故か覚えてた。それに教えてくれた人の事も少しだけ」
これは記憶喪失ってやつなのかな?
私の中で"私"が記憶喪失というのもまた奇妙な話だ。多重人格の線も考えなくはないし、それだと腑におちる点もあるけれど、"魔法"とかいうものに全く説明がつかない。
というか魔法って本当に何だそれ。何か普通にある前提で話してるけど、私まだ信じてないからね?
でもアレだけは私に一切関わりがなく、間違いなく"私"が唯一持っていた記憶なのだろう。それこそが今のところ私と"私"を切り分けるただ一つの境界線だ。
「覚えてないものは仕方ないし、まぁいいか。私はあなたの事"カノン"って呼ぶし、あなたは私の事好きに呼んで」
『好きに呼んでって言われてもなぁ……』
「何でもいいよ。なんでこんな事になってるかも分からないけど、なっちゃってるものは仕方ないから受け入れて別の事を考えよう」
『意外とアッサリしてるね。でもそっちの方が私も楽だし、それでいっか』
救いといえば私にとって"私"という存在が思いの外話しやすい所にある。
勿論疑問は尽きないけれど、頭ごなしに私の存在を否定するわけじゃないし、私の事を幻聴だと無視するわけでも無い。そして、それは私も同じだから案外気が合うという事なのかもしれない。
取り敢えず私は"私"の呼び名を即決せずに、丁度良いのが見つかるまでそのまま"私"と呼ぶ事にした。
「それで、この後どうする?私は此処がどこだか全然分からないけど、カノンは知ってる?」
『全然知らない』
「そっか。でも、ずっとこうして此処にいる訳にいかないし、日が暮れるまでには人里に行かないと」
『確かに』
さっきみたいなウサギ熊が一匹だけとも限らない。いや、むしろ沢山いるのだろう。
こんな所に非力な女子が1人で彷徨いてたら、ウサギ熊にとっては喰ってくれと言ってるようなものだ。
「取り敢えず此処から離れようか。血の匂いで別の生き物が近づいてくるかもしれない」
『任せる……けど、適当に歩くのもちょっと危ないよね』
さて、どうしようか。いや、待て。私には無理そうだけど、"私"だったら行けるんじゃなかろうか。
要は高い所から見渡せられれば良いのだから、山の上でなくたって良い。
『木に登れる?木の上からなら何か見えないかな?』
「なるほど、良いかも」
そう言ったそばから"私"は手頃な木を見つけてスルスルと登っていく。猿顔負けのスピードだ。
私は頭脳労働に徹しようと決めた。
え?身体の主導権?よく考えて欲しい。身体が勝手に学校に行ったり仕事してくれるなら、その方が楽じゃない?私はそういう事に寛容なのだ。
『何か見える?』
私は私で視てはいるけれど、視点を変えたり更に言えばピントを合わせるのも"私"の仕事だ。そういった意味でも何か見つかったとしても、私よりは"私"の方が早いだろう。
「うーん、ぼんやりしてるけど遠くの方にちょっとだけ何か見えるような気がする」
"私"が「何か見える」と言った方にピントが合う。まるで2人で一つの双眼鏡を見ているようだ。
「煙……」
『煙だね』
木の上から見た森の光景は、どこまでいっても果てしない森が広がっていた。ただ一点、そのモクモクとあがる煙を除いて。
『もしかしたら誰かが火を焚いてるのかも』
「そうかもね。どうする?此処からなら、日が暮れる前には着きそうだけど行ってみる?」
『……行ってみよう。他に手掛かりもないし』
選択肢は合ってないような物。それは"私"も分かっている筈だ。むしろ、私の為に分かってて聞いてくれているのだろう。
"私"は一言「良し」というと、木から木へと飛び移った。
『え?そうやって行くの?』
「こっちの方が楽だし、道に迷う事もないよ?」
『…………そうかも!!』
考えるのをやめたら、そこで頭脳労働も終了した。
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