息子が宿題をやりたいと言ってきかない。
ゆうとくんは宿題が嫌いでした。
ゆうとくんは、小学校3年生。小学校では毎日宿題が出ます。
算数、国語のドリルや、英語、プログラミング、道徳の課題。保健の調べものや、図工の制作物もしなければなりません。
ゆうとくんは宿題が大嫌いでした。だから、お母さんに頼みました。
「おかあさん、宿題やりたくないよー!」
お母さんは答えました。
「勇人……いい加減にしなさい! 宿題やらなきゃスマホ触らせないわよ」
「ええー! なんでー!! アルゴラしなきゃいけないのにー!」
ゆうとくんは、『アルゴラの降臨』というソーシャルゲームにハマっていました。この手のゲームは、伝統的に毎日ログインしなければ損するようにできているのです。
ゆうとくんは、スマホ欲しさに宿題にいやいや手をつけます。小学校から帰ってきたのが午後6時。算数のドリルはすぐ終わりました。午後6時半。国語。午後7時20分。英語は大変ですが量が少なく、午後8時。晩御飯を食べて、午後8時30分。
その後、一番苦手なプログラミングの課題をやりました。でももう、ゆうとくんは途中で疲れてしまいました。
「おかあさん、もう疲れた。宿題やりたくないよ」
「じゃあ手伝ってあげる。なに? Java?」
お母さんが隣に座ってしばらくの間はゆうとくんも頑張りましたが、もう限界です。頭の中は、スマホと『アルゴラの降臨』のことでいっぱいでした。
「おかあさん。もうやだよ、スマホ出してよ」
「だーめ。宿題全部やったらって約束でしょ」
おかあさんはきっぱりと断ります。
「無理だよ、こんなにたくさんあったら。だってまだ、道徳と、保健と、図工の宿題があるんだよ」
「道徳の宿題はすぐ終わるし、保健と図工は来週までにやればいいやつじゃないの」
その通りです。図工と保健は提出期限が二週間あり、まだ日数には余裕がありました。でも、ゆうとくんにも言い分があります。
「あのね、おかあさん、明日も宿題が出るんだよ。もしかしたら、明日はもっと沢山出るかもしれないよ。明日理科だもん」
「そっかー。でもね、それだったらやっぱりさっさと今日の分を終わらせて、たまらないように少しでも保健と図工をやらないと。がんばって終わらせたら、スマホ出してあげるから。あ、そろそろお風呂に入る時間よ」
ゆうとくんは苦い顔をしました。
「ええー、お風呂は昨日入ったからいい」
「じゃあ、早めに歯磨きしちゃいなさい。お母さん、お布団敷いてくるから……」
結局、ゆうとくんはその日の午後11時までかかってプログラミングと道徳、保健、図工の課題を終わらせました。
お母さんが頑張ったゆうとくんにスマホを渡そうと二階の戸棚から持ってくると、ゆうとくんは疲れて眠ってしまっていました。
「このために頑張ってたのに、悪いことしたかな~」
お母さんはスマホの電源を入れると『アルゴラの降臨』を起動し、ログインボーナスをとって戸棚にしまいました。
ゆうとくんの毎日は宿題漬けでしたが、それはまわりの子どもたちも一緒でした。ゆうとくんたちは宿題が多くて遊ぶ時間はほとんどありませんでしたが、それが当たり前でした。
おとうさんとおかあさんは、その夜相談をしました。
「勇人、今日は宿題がんばったんだけど、なかなかやらなくて……。困ったわね、他の家ではどうやってやらせてるのかしら?」
おかあさんが言います。おとうさんは遅い夕食を食べながら、スマホの画面越しに「さあなあ」と言いました。
「あなた、ちゃんと聞いてよ。今日なんか、宿題が全部終わったの11時よ。それに、とってもいやそうにやるのよ。ダラダラしてて、進みが遅いし」
「ん。まあ、宿題なんかそんなやっきになってやらなくてもいいんじゃないのかな? 別に義務じゃないんだし」
おとうさんが、スマホを置きました。おかあさんはあきれました。
「あのねえ。ゆうとだけ宿題やらなかったら、周りの子に変な目で見られるのよ? ズルしてるって言われるんだって」
「えーこわっ。勇人も大変だなあ……」
おとうさんがゆうとくんのいる、寝室の方を眺めて言いました。今夜の晩御飯はおかあさんの得意料理の、パエリア風グラタンでした。おとうさんはそれを食べつつ、ごはんの代わりにビールを飲んでいました。
「そうねえ。でもしょうがないのよ……出るんだから」
ゆうとくんは宿題が嫌いでした。でも、好きで嫌いになったわけではありませんでした。できれば、好きになりたいと思っていました。
数週間後、ゆうとくんはおかあさんにこんなことを言いました。
「おかあさん! ぼくも、すじゅつ受けたい」
「……え? 手術?」
おかあさんの額にしわが寄りました。
「うん。宿題が好きになるすじゅつ」
「なにそれ?」
おかあさんは包丁をまな板の上に置き、ゆうとくんの横にしゃがんで視線を合わせました。
ゆうとくんはスマホを取り出し、おかあさんに見せました。
「なにこれ……『宿題が出来るようになる手術』?」
「うん。アルゴラの友達に教えてもらったの」
「ふーん。……え、これやりたいの?」
おかあさんが、ゆうとくんの顔をもう一度見ました。ゆうとくんはまじめな顔をしていました。
「うん。宿題がすごく好きになったから、その友達はもうアルゴラ止めるんだって。おかあさん、ぼくもアルゴラ止めるから、すじゅつ受けていいでしょ?」
「ダメに決まってるでしょ。こんな怪しい手術……。」
お母さんが頭を振りながら立ち上がって、料理に戻りました。ゆうとくんはすがりつくように後を追いました。
「受ける!」
「だめ。」
「受けるの!」
「だーめ!」
「いいでしょ!? みんなも受けてるもん!」
「みんなって誰よ?」
「あっくんとみいなちゃんときららちゃん」
「3人はみんなって言いません!」
「後藤と三島と源内くんも受けてるもん!」
「それだけ? あとは?」
おかあさんにそう切り返されると、ゆうとくんが一瞬口ごもります。
「ほら、やっぱり6人だけじゃない。クラスの半分もいかないのをみんなとはいいません。すぐそうやって言うんだから」
お母さんはきっぱり言うと、包丁を取り上げて魚の首を切りました。
ゆうとくんの目に、涙がどんどん溢れ出しました。
「うわあああぁあ!!」
「そんなことで泣かないの! ダメって言ったらダメ!」
おかあさんがあきれて叱ります。ゆうとくんはますます大声で泣きました。
「うわあああ!! ぼく、宿題でぎるようになりだいぃ~! 宿題ずぎになりだいのに~! お母さんがいっつも宿題やれっていうんじゃないがあぁあぁあああああ~~! なんでだめなのおお~ぉぉ!!」
「…………」
そのゆうとくんの泣き顔があまりにも真剣だったので、お母さんはうつむきました。
その日、おかあさんは料理を焦がしました。
「ねえあなた。今日、勇人がね……」
おかあさんとおとうさんは、その夜、また相談しました。そして結局、ゆうとくんに手術を受けさせることにしたのでした。
数か月後。
「おかあさん! ただいま!」
勇人くんは、玄関に入るときちんと靴をそろえて置き、ランドセルを下ろして蓋を開けました。
「おかえり勇人。おやつ出来てるわよ~」
お母さんが玄関から勇人くんに声をかけます。
「宿題やるからいい!」
勇人くんはランドセルからプリントの束を出しました。算数のドリル、国語のドリル、道徳のドリル、プログラミングの教本、理科のプリント、英語のプリント、全部合わせて40枚ほどあります。
勇人くんはうっとりとそれを眺めると、自分の部屋の机に座りました。そして、恍惚とした表情で一枚一枚丁寧に宿題を片づけていきます。
おかあさんは、勇人くんの机の隅におやつを置きました。
「ここに置いておくから食べなね」
「うん……」
勇人くんは生返事を返すと、おやつには見向きもせずに次々と宿題をしました。
「勇人、一回休みなさい」
あまりにも集中しているので、おかあさんが心配して話しかけます。でも、勇人くんは宿題に夢中で返事をしません。
おかあさんは勇人くんの肩に手を置くと、「勇人、一休みしておやつにしましょ」と言いました。
「今いい」
「勇人、いい加減にしなさい。休憩しながらじゃないと体に悪いよ」
「今いいってば」
「ダメ、いったん休み。おやつ食べなきゃ宿題させないわよ」
おかあさんはそう言って、勇人くんの脇に置いてある宿題を取り上げました。勇人くんは文句こそ言わないものの、不服そうな顔をしています。
勇人くんは、宿題したさから、いやいやおやつに手をつけます。大好きなおやつですが、手術をして以降、勇人くんは宿題をやっているほうが楽しいのです。
おかあさんが作ったおやつを流し込むように食べると、ゆうとくんはおかあさんに言いました。
「おかあさん、おやつ食べたよ。宿題出してよ」
おかあさんが時計を見ます。
「もうすこし休憩しなさい。5分も経ってないじゃないの」
「ええ~、でももうおやつ食べたもん~」
「だーめ。休憩しながら宿題やるって約束でしょ」
「ちぇ」
おかあさんがそう言ってからは勇人くんもしばらくがんばりましたが、もう限界でした。頭の中は宿題のことでいっぱいでした。
頼み込んでお母さんから宿題を受け取り、机に戻りました。
勇人くんには大量の宿題がありました。ほぼ休みなく宿題をこなていますが、夜までかけてもまだ終わりません。
「勇人、お風呂入りなさい」
お母さんが言いました。
「えー、昨日入ったからいい」
「勇人、そろそろやめたら? 今やらなくていい宿題もあるでしょ?」
「いまやりたいの」
「もうー、毎日宿題ばっかりして……」
おかあさんはおかしいな、と思っていました。宿題の量があまりにも多いのです。勇人くんの持って帰ってくる宿題は、明らかに数か月前の2倍以上あります。勇人くんは前にもまして大量の宿題をこなし続けているにも関わらず、休日を半分以上宿題に費やしていました。
おかしいと思ったおかあさんは、ある日、学校に出かけました。勇人くんの宿題の量について聞くためです。
すると、担任の先生はこう言いました。
「ああ、勇人くんは宿題が好きだからもっと沢山出してって聞かなくってね。あの手術をした子は、みんなそうですよ。がんばるのはいいことだから、私も宿題の量を増やしました。もちろん、希望した子たちだけですけどね」
おかあさんはやきもきしましたが、納得して家に帰りました。そしてその夜、おとうさんと相談しました。
「ねえあなた。最近勇人の宿題の量があまりにも多いと思ったら、あの子、自分から宿題を増やしてほしいって頼んだんだって」
おとうさんは、おかあさんの得意料理、アボカドの入ったBLTホットサンドウィッチを食べながら言いました。
「ふーん。好きでやってるならいいじゃないか。成績も上がったんだろ?」
「うん……そうなんだけどね。でもちょっと異常みたいよ。休憩もとろうとしないしさ」
「好きなことに熱中してる時ってのは、そんなもんじゃないのか? 昔っから、ゲームは熱中してやる勇人じゃないか」
おとうさんの言うことは、確かにその通りでした。でも、おかあさんはなんとなく不安です。
「あの手術、どんな内容だって言ってたっけ?」
「ああ、例のERP手術ね。要は、特定の行動を快く感じさせるようにする手術だろ? 宿題をやると楽しくなるって。ちょうどこのサンドイッチがおいしいからもっと食べたくなるように」
おとうさんはそう言って、二個目のサンドウィッチを手に取りました。
「話は、そうなんだけど……」
おかあさんはなんとなく納得できません。
「脳に電極を埋めるって話だったけどね。頭蓋骨の外だからそんな大げさじゃなかったし、とろうと思えばすぐにでも取れるって言ってたじゃないか。宿題を頑張るならいいじゃないか」
「……」
「なにより、本人がやりたいって言ったんだからさ。宿題だって楽しそうにやってるし、前よりしっかりしてきたじゃないか。考えてみろよ、俺やお前だって、楽しかったり気持ち良かったりするからいろんなことをするだろう? おいしいものを食べるために働いたりさ。お金を払ってわざわざ遠くへ出かけてみたりとか」
おとうさんが二個目のサンドウィッチを口に運び、おいしそうに食べました。
「そうかもしれないけど……でも体のことが心配で……」
「心配する気持ちも分かるけど、みんな何かに夢中になって大きくなっていくんだよ。俺が勇人ぐらいの年の時は、ずーっと友達とゲームしてた。宿題なんかやらなかったさ。それでも幸せだったけど、ああいうまじめなヤツならきっと俺よりもいい人生を送れるよ。あの手術だって、きっと将来はもっと当たり前になっていくさ。俺たちはもう、時代遅れの考え方になっていってるんだから」
おとうさんはそう言うと、もう一度サンドウィッチを口に運んで、食べました。
おかあさんは顔を上げて、ため息を一つつきました。
「……そうかもね。心配しすぎなのかもね、私。勇人も楽しそうにやってるんだし、やらせておきましょうか」
おかあさんは、キッチンの方を見ました。いつもきれいなキッチンでは、明日の朝のパンとスープの仕込みが終わっています。
「そういえば、私も昔は料理が嫌いだったなあ。お母さんの手伝いばかりで料理が嫌いだったけど、続けるうちに好きになったのよね。おいしいって食べてくれる人を見て、料理は気持ちがいいものだって思うようになって、難しい料理を作って褒められて……。いつの間にか好きになった」
「片付けも嫌いだったろ、お前」
おとうさんがソースのついた指をちゅぱちゅぱ舐めながら言いました。
「そうだったっけ? まあ、子どものころはね……。そうか……片づけの本を読んで好きになったのよ、私。最初嫌いだったものがね。それが、今では手術で済むってことか」
「なるほどね。確かにそうだな。ずいぶん簡単になったな……。かまどのメシ炊きが、炊飯器で済むようになったみたいに、今では経験が電極に変わったってわけだ」
「便利になったってことなのかしらねえ……」
受け入れるには時間がかかるかもしれません。でもおかあさんは勇人くんをこのまま見守ることにしました。
勇人くんは宿題を終えて、充実した気持ちで眠っていました。その夜は、きっと宿題をする楽しい夢を見ているに違いありません。
勇人くんは宿題が嫌いでした。
でも今は、勇人くんは宿題が好きで好きでしょうがありません。