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お時間です

前話から随分経ってしまいました

あまりたくさんの方には読んでもらえていないようですね。勉強不足を実感します


この話と、次の話で、話に一区切りつける予定です

一応続きは考えてありますが、他にも書いてみたい話があるので、こちらはこのまま一旦打ち切りとなるかもしれません。続編を作るにしても、ある程度まとめて上げたいので、更新は当分先になると思います


読んでくれている方、申し訳ありません

何かご指摘・ご要望があれば、できる限りですが対応していきます

よろしくお願いいたします

 普段、俺はお世辞にも、規則正しいと呼べる生活を送っちゃいない。

 平日は学校があるから仕方なく同じ時間に起きているが、寝る時間は大抵、まちまちだ。考え事が頭を離れず、何となく寝付けなかったり、遊ぶ事に熱中して夜更かしをしてしまったり。目覚ましが無ければ遅刻の常習犯になっていただろう。

 学校に時間を取られない休日ともなれば、俺は堂々と寝過ごしてしまう。昼近くになってから起きた事だって、何度かある。一人暮らしをしているからには、日々の食事の用意から掃除、洗濯、買い物など、何でも自分でやらなければならないのだが、そういう用事が少なくなる様に工夫したり、まとめて効率的に片づけたりする様に心がけていると、案外どうとでもなるものだ。何しろ、一人分の用事があるだけだから、世の中の奥様方の様に多忙になるわけが無い。

 そんな生活をしている俺だから、昨日もすぐには寝付けないだろうと思っていた。

 だが、俺は、どうした事か、あっさりと眠りについてしまったのだ。

 考えてみれば、当然かもしれない。何せ、昨日は、一日中すずみの奴に振り回されっぱなしだったからな。きっと、疲れていたんだろう。

 悪い気はしない。

 すずみはと言うと、我が弟の部屋のベッドに横になって布団を被ると、すぐに寝入ってしまった。年頃の健康な男子を前にして何とも無防備な事だったが、俺はそんなに見境の無い奴じゃない。そのまま音を忍ばせて自室に引き返したさ。

 あの寝つきの良さから察するに、すずみの奴はよほど健康的で規則正しい生活を送っているのだろう。きっと朝も早起きで、もしかしたら俺の事を叩き起こしに来るかもしれない。

 惰眠を貪りたい俺としては迷惑な話ではあったが、まぁ、今日一日くらいは、我慢するさ。

 浅くなった眠りの中でそんな事を思いつつ、俺は寝返りをうった。


 何だか、柔らかい感触がする。

 それに、いい匂いもだ。

 何の香りだろう?

 石鹸か、シャンプーの物だろうか。俺が普段使っている物とは違う、何かの花の優しい香りだ。

 そして、この感触。何というか、ちょうど、人間の二の腕の様な感触だ。ただし、俺の腕よりも筋肉が少なく、柔らかく、フニフニしている。

「んー、くすぐったいですよぅ」

 その、すずみの気怠そうな、甘える様な声は、すぐ近くで聞こえた。

 未だにまどろみの中にあった俺の意識は、0.2秒で覚醒した。瞼をカッと見開くのと同時に上半身を起こした俺は、嗅いだ事の無いいい匂いと、男子の物ではない感触の正体を確かめる。

 そこには、自身の腕を枕にし、しまりのない顔で寝ているすずみの姿があった。

 ラブコメものの漫画とかでは、よくある展開だ。だが、そういう展開では大抵、ヒロインは薄着で、いわゆるラッキースケベがつきものだろう。

 だが、すずみは、昨日と、それとこれまでと同じ様に、俺の通っている学校のセーラー服姿だった。特段、着衣にも乱れはなく、漫画でよくある様な謎の光の描写や目隠しが必要な点は微塵も無い。

 俺はほっと安堵するのと同時に、とてもガッカリした。

「ぅわぁっ!? 」

 それから、この場にすずみがいる事にようやく驚いた俺は、間抜けな悲鳴と共にベッドから落っこちた。


 時計を見ると、時刻は7時過ぎだった。カーテンの隙間からは朝日が漏れ、雀か何かの鳥が、騒がしくさえずっているのが聞こえてくる。

 休みの日に、これだけ早く目覚めたのは、随分久しぶりだ。

 普段ならこんな時間に起きても二度寝を決め込むのが常だったが、生憎、今日はそんな気分ではない。

 すずみのおかげで、すっかり目覚めてしまった。

 そして、寝起きドッキリを仕掛けてくれたすずみだが、奴は今、俺の眼の前で正座し、不服そうに頬を膨らませている。

「もー、何で、すずみ、怒られなきゃいけないんですか? ちょっと添い寝してただけじゃないですか」

「それがダメだって言ってんだよ」

 すずみの前で両腕を胸の高さで組みながら仁王立ちをした俺は、すずみの主張を真正面から否定する。

 そう。これは、説教だ。

 ベッドから落ちた後、枕ですずみを引っ叩いて目を覚まさせた俺は、寝ぼけながら「ご飯ですか? 」とか聞いてきたコイツを正座させた。

 何度も繰り返しになるが、俺は、こいつの、「犬から人間になりました」とかいう主張を全く信じちゃいない。

 だが、すずみに、人間としての常識や、行動する上での判断基準がかけているらしい事は明らかだった。

 これは、決して、朝っぱらから驚かせてくれた事への仕返しとか、添い寝してくれた事への照れ隠しとかではない。

 断じて違う。

 違うったら、違う!

「いいか、すずみ。人間の男女ってのはな、普通は同じベッドで一緒に寝たりしないものなんだよ」

「けど、すずみ、元々は犬ですし。人間の常識なんて関係ありません」

「今は人間の格好をしてるだろうが。人間になった以上は、人間らしく振舞ってくれ」

「むー。添い寝すると、お婆ちゃんは喜んでくれたのにぃ」

 尚も不服そうに、すずみは唇を尖らせる。

 まぁ、すずみとしたら、善意のつもりでやった事なのだから、納得できないというのも分かりはする。

 だが、あんな事を繰り返されたら、俺の身が持たない。

 精神的にも、肉体的にも。

 ある意味では、すずみは俺にとっての凶器なのだ。

 何かの間違いが起こらないとも限らない。

「とにかく、もう俺の許可なしにベッドにもぐりこんできたりしない事。約束できないなら家にはもう上げないからな」

「むー、仕方ありません」

 すずみは不満そうに唸った後、うなだれながら残念そうに言った。

 ひとまず、話はついた。

 そう思ったら、急に、俺の腹の虫がぐぅと鳴いた。

「はぁ……。朝飯にするか」

 朝から無駄にカロリーを消費してしまった俺は、溜息を吐き、すずみにそう提案した。


 普段、俺の家の冷蔵庫には、まともな食料は入っていない。

 俺のいつもの食生活というのは、以前にも説明したが、ロクなものではない。コンビニやスーパーの弁当、パン、カップラーメン、レトルト食品が主なもので、新鮮な食材を使った料理など、滅多にしない。

 だが、今日は事情が違った。大した量では無かったが、我が家の冷蔵庫にはいくらかの食料が詰め込まれていた。

 卵に、鶏肉、玉ねぎ。

「……親子丼? 」

「はい。本当は、昨日の晩御飯に作ろうと思っていたんですけど」

 冷蔵庫を開いて食材を確認していた俺の隣で、同じ様に冷蔵庫を覗き込んでいたすずみが答えた。

 親子丼か。実に、美味そうじゃないか。

 だが、残念な事に、俺の胃袋はかなり限界だった。親子丼が出来上がるのにどれほど時間がかかるか分からなかったが、とても出来上がるまで待っていられそうになかった。

「あの、よろしければ、今からすずみが作りましょうか? 」

「いや、いい。もっと簡単なのにしよう」

 すずみの申し出を断った俺は、冷蔵庫から卵だけを取り出し、それから、フライパンをコンロの上に準備した。

 軽く食用油を引いて予熱し、卵をフライパンの上に割り入れる。卵が焼かれるジュージューという音が勢いよくあたりに響き始めた。

 そう、目玉焼きだ。

 俺だって、卵くらい、ちゃんと割れる。見くびらないでもらいたい。

 それから、レンジでレトルトのご飯を温めようとレンジの方を振り返ると、既にすずみが先回りしてご飯を温めにかかっていた。

「早いな」

「ふふん。すずみは賢いですから」

 その行動の素早さに驚くと、すずみは得意げに胸を張った。

 その直後、すずみの腹から、ぐぅ、という耳慣れた音が漏れ聞こえてくる。

 俺は、思わずニヤリと笑みを浮かべた。

「ちっ、違います! べっ、別に、すずみが早く食べたいからとかじゃありませんからっ! 」

 すずみは頬を赤く染めながらそう強弁したが、全く説得力は無かった。

 俺はくつくつと湧き上がって来る笑いを喉の奥で抑えながら、意識を卵へと戻す。

 フライパンで焼くだけ。簡単なようだが、目玉焼きはそういうシンプルな料理であるだけに、実際は加減の難しい調理法だ。簡単に生焼け、焼き過ぎになってしまう。

 多くの人と同じく、俺は、半熟にした目玉焼きが好きだ。かといって、弱火で丁寧に丁寧に焼き上げた目玉焼きは望ましくない。白身には適度に焦げ目がつき、黄身は半熟で、箸で割ればトロリととろけだす、そんな目玉焼きが食べたい。

 目玉焼きの焼き方には、サニーサイドアップとターンオーバーがある。前者は黄身を太陽に見立て、太陽の側が表に来る様に焼く方法で、黄身は半熟にする。今やろうとしているのはこちらだ。ターンオーバーは一度卵を引っ繰り返して黄身にもしっかり火を通すやり方で、こちらはこちらで味わいが変わって実に美味いのだが、今は半熟が食べたいのだ。

 さて、火の通り具合の見方だが、俺は、フライパンに軽く油を引き、卵を割り入れてからコンロのスイッチを入れ、中火にして白身の端に茶色い焦げ目がつくくらいのタイミングでフライパンに少量の水を入れ、蓋をする事にしている。先に水を入れてしまうとフライパンの温度が十分に上がらず、白身に焦げ目がうまくできないのだ。だから、白身に焦げ目ができてから水を入れ、蓋をし、それ以上焦げない様に、そして表面の側にも水蒸気で程よく火が通る様に調整している。

 ここまではうまく行った。だが、難しいのはこれからだ。

 黄身を上手に半熟にするのは、本当に難しい。火の通りが悪ければ生同然になってしまうし、火を通し過ぎれば固くなってしまう。ちょうどいい火加減にドンピシャで合わせなければならない。

 本当に上手な人は、音で焼き加減を見分けるのだそうだが、俺にはそこまでの芸当はできない。

 そんな俺の強い味方になってくれるのが、ガラス窓付きの蓋だ。

 蓋についたガラス窓からは、フライパンの上で焼かれている目玉焼きが見える。ガラスには水滴がいっぱいつくが、それでも十分見分けがつく。

 最初、黄身はその名の通り黄色い。だが、蓋をしてしばらくすると、フライパンと蓋の間に充満した水蒸気に熱せられて熱が通り、白く変色する。白く変色したら、20程頭の中で数え、火を止め、蓋を取り、それ以上火が通らない様に手早く皿に盛り付ける。

 実際には、コンロの上のフライパンの位置と、フライパンの上の卵の位置で微妙に火の通り加減が異なるので、この方法でも確実に絶妙な半熟具合を生み出せない事があるのだが、そこは使っている道具の癖とかに慣れるしかない。

 もっと細かく言うと、その日の気温とかでも微妙に焼き加減が変化したりするのだが、そこまで考慮してコントロールする技量は俺には無い。

 そうこうしている内に、目玉焼きは焼きあがった。ちょうどいいタイミングで、ご飯の温めも終わった様だった。

 さぁ、もう腹ペコだ。もう待てない。

 食卓に目玉焼きと、茶碗に盛り直したご飯を並べた(当然、すずみの分と俺の分は分けて盛り付けした)俺は、席に着くと礼儀作法に則り合掌し、「いただきます」と呟いてから箸を手に取った。

 ご飯の上に目玉焼きを乗せ、舌なめずりしながら、黄身に箸を入れる。

 黄金がとろりと溢れ出し、白亜のキャンバスに模様を描きだす。

 くぅっ! たまらないぜっ!

 目玉焼きを食べる際の味付けは様々あるが、大別すると、醤油派、ソース派、塩派に分かれる様だ。俺は、その中では醤油派に属している。食卓に用意された調味料から醤油を手に取った俺は、黄身の上からたっぷりと、ご飯にまで垂れるぐらいに回しかけ、仕上げに黒胡椒を少々振りかけた。

 塩分の取り過ぎとか、いろいろ言われるかもしれないが、知ったこっちゃない。

 俺は箸で目玉焼きを一口大に切り分けると、ご飯と一緒に口の中に解き放った。

 味は……、説明するまでも無いだろう!

 一口目を飲み込み、二口目を咀嚼していると、俺は、テーブルの反対側に腰かけたすずみが、まるで今日、世界が終わるかのような、とてつもなく悲しそうな表情をしている事に気が付いた。

 涙ぐんだ視線は、机の上に置かれたすずみの分の箸と料理、それと俺の手元とを行ったり来たりしており、口元は何かを訴えかけたいけど口に出せないという、そんなもどかしそうな感じで、涎が今にも顎を伝いそうだった。

 昨日この目で見たすずみの旺盛な食欲。あの食いしん坊が自身の料理に手を付けずにもどかしそうにしているのだ、何か事情があるのだろう。

 二口目を飲み込み、三口目を咀嚼しながら考えた俺は、すずみが今、どういう状況なのかを大体察した。

 マナーとして口の中の物を飲み込んでから、俺はすずみに確認する。

「なぁ、すずみ。もしかして、箸、使えないのか? 」

 すずみは、うん、うん、と頷いた。

 そういや、すずみは、ナイフとフォークの使い方も知らなかったな。スプーンはそこそこ使えていた様だったが、持ち方はちょっとおかしかった。

 箸が使えないというのも、当然か。

「分かった。ちょっと待ってな」

 食べるのをいったん止めた俺は、席を立ち、台所からスプーンを取って来ると、すずみの眼の前に置いてやった。

 席に戻った俺は、すぐさま食事を再開する。

 四口目を味わっていた俺は、すずみが、今度は何だか不満そうな目で俺の方を見ている事に気が付いた。

 スプーンなら何とか使えそうだったからスプーンを出したのだが、良くなかったのだろうか?

「何だよ、すずみ。そんな不満そうな顔して。スプーンでも食べられないのか? 」

「別に、そういう訳じゃないですよ」

 すずみは唇を尖らせながらそっぽを向いた。

「食べさせてくれたって、いいじゃないですか」

 それから、本音と思われる言葉を漏らすと、スプーンをぎこちなく手に取り、すずみは目玉焼きに向き直る。

 何となくだが、すずみは、誰かにご飯を食べさせてもらうという事にこだわりがあるらしい。思い返せば、すずみと一緒に食事をする時は、必ず、食べさせてくれとおねだりされていた様に思える。

 俺はてっきり、単純に、箸等をうまく扱えないからだなと理解していたのだが。

 だからと言って、すずみに、あーんして食べさせるというのは、俺はやりたくない。

 どうやらアレは、俺には刺激が強過ぎる。

 そんな事を考えながら観察していると、すずみは目玉焼きを俺の真似をしてご飯に載せようとして何度か失敗し、悔しそうな表情で諦める。それから、俺と同じ様に醤油を目玉焼きに回しかけ、黒胡椒を少々振りかけた。

 すずみのスプーンが目玉焼きを割り、とろけだした黄身が醤油と混じり合う。一口大にスプーンで目玉焼きを切り分けたすずみはそれを口へと運び、途端、不機嫌さは全て吹き飛び、明るい笑顔が弾けた。

 どうだ、すずみ。捨てたもんじゃないだろう?

 俺は内心で得意げに言った。この目玉焼きは俺が焼いたのだ。

 自分の作ったもので誰かが喜んでくれる。何て素晴らしい事だろうか。

 俺はにやけそうになる口元を隠すために茶碗を口元に寄せると、残りのご飯と目玉焼きを口の中にかきこんだ。

 行儀が悪かろうが、この際、気にしない。


 簡単だが最高の朝食を終え、使った調理器具や食器の跡片付けが済んでも、時刻は8時を回ったくらいだった。

 普段の俺の生活からすれば、これはとてつもない早起きと言えるだろう。

 早く起きたという事は、日が暮れるまで、使える時間がたっぷりあるという事でもあった。

「なぁ、すずみ。今日はどうするつもりなんだ? 」

 食後のお茶(昨日の教訓から、薄く、ぬるめに淹れた)を飲みながら、俺はすずみにそう訪ねた。

 このまますずみが自分の家に帰るというのならそれでもいいし、まだここにいたいというのなら、まぁ、考えなくもない。俺はそんな気分だった。

「今日、ですか? うーん……、どうしましょう? 」

 すずみは悩ましそうな表情を作り、考え込んでしまう。

 俺はお茶を啜りながら、じっと、すずみが考えをまとめるのを待った。

 今日は早起きをしたから、時間がいつもよりゆったりしている様に思える。気のせいに過ぎないが、何だか余裕がある様な気持ちになる。

 何とも悩ましそうにうんうんと唸っているすずみを待っていると、唐突に、玄関の呼び鈴がぴんぽーんと鳴った。

 本当に、本当に珍しい事もあるものだ。

 2日連続で我が家を訪れてくる誰かがいるとは。

「お客さんが来たみたいだから、ちょっと出てくる。すずみはその間にどうするか決めておいてくれ」

 俺はそう言うと立ち上がり、玄関へと向かった。

 一応、着替えてはあるので、ラフな普段着だったがこのまま来客を応対しても大丈夫だろう。そんな事を考えながら玄関に辿り着いた俺は、ドアの向こうに誰がいるのか確認もせずに扉を開いた。

 昨日も同じ様な事があって後悔したのに、何て不用心なんだろう。

 俺はすぐさま、自身の迂闊さを呪う事になった。


「はーい、どちら様で……すか? 」

 のんびりした感じで応対しようとした俺は、そこに立っていた人物の姿を見て、言葉を詰まらせた。

 そこに立っていたのは、何とも奇妙な存在だった。

 背丈は、俺より少し小さい。月も星も無い夜の様に暗い漆黒のローブで全身を包み、ローブからわずかに外に出された手には、その人物の背丈よりも長い柄と、柄の大きさに比例して巨大な、鈍く、冷たい刃を持つ巨大な鎌が握られている。

 さらに異様だったのは、目深に被ったフードの内側に見えるものだった。

 それは、頭骨だった。人間の物ではなく、恐らくは鹿の様な動物の頭蓋骨。下顎の部分の無くなったもので、白い骨格に不気味な洞穴の様な眼窩が2つ、ぽっかりと開いている。

 俺はあまりにも唐突な事態に、混乱せざるを得なかった。

 訳が分からない。一体、何が起きているんだろう?

 目の前の存在は何だ?

 最も現実的、合理的な解釈は、何者かは分からないが、誰かが不気味なコスプレをしているという事だろう。俺の家にやってきた理由など想像もつかないが、何とも趣味が悪いコスプレだ。

 しかし、その手に持っている巨大な鎌。

 物語や空想に出てくる、死神が持っていそうな巨大な鎌は、とても、作り物には見えなかった。鈍色に輝く刃は見るからに冷徹で、鋭く、重く、本物だと思わざるを得ない威圧感を備えていた。

「失礼ですが、貴方は、並森 幸太郎さんですね? 」

 俺が言葉を失って立ちつくしていると、目の前の骸骨から、くぐもった声がした。

 声変りをしていない少年の様にも、少女の様にも思える声だ。口調は淡々としており、どんよりとした曇り空の様に暗く、単調で、肌寒い様な印象を受ける。

 俺は肯定する事も、頷く事もできなかった。

 しゃべった、という事は、骸骨の中身には人間がいると思って間違いないだろう。まさか骨格だけの骸骨が言葉を発する事ができるはずが無い。そうだ、そうに違いない。

 そう思えばほんの少しだけ冷静になれたが、俺は目の前の存在に気圧されていた。

 本能的に、この存在に対して恐怖しているのかもしれない。

「こちらに、夕凪 すずみさんがいらっしゃいますね」

 金縛りに遭ったようになっている俺には構わず、自称死神はさらに言葉をつづけた。

 それは疑問形では無く、ただ単に事実を言葉にしてみただけ、という様な口調だった。

 俺はやはり、動く事ができなかった。

 果たして、正直に、この場にすずみがいる事を肯定したら、次はどうなるのだろうか。

 自称死神は、次にどんな行動を起こすのだろうか。

 俺は、何の根拠も確証も無かったが、すずみがいる事を隠さなければならないと確信した。

 死神が、もし、あの死神だとしたら。

 口ぶりからして、この死神は、すずみに用件があるらしい。

 死神が、すずみに何をするためにこの場にやって来たのか、最悪の予想が俺の頭の中で膨れ上がり、それ以外に無いとしか、もう、思えない。

「し、知らない。すずみなんて奴、こ、ココにはいないぞ」

 俺は、震える声で、何とかそう言った。

 背中を冷たい汗が伝い、脊椎を冷たく不愉快な感覚が撫でまわしている。

 だが、俺は目の前の自称死神に、嘘を吐かねばならない。

 この死神は、すずみを探している。

 そんな存在、実際にはあり得ない。そう思う、いや、そう思いたいのだが、目の前のこの自称死神は、俺にその存在を否定させないだけの重み、あるいは、現実味を持っていた。

 もし本物の死神がいて、その死神がすずみを探しているとするのなら。

 その死神の目的は、一つだけだ。

「なるほど、そうですか」

 俺の精一杯の嘘に、自称死神は、相変わらず、淡々とした口調だった。

「嘘を吐いていますね」

 自称死神のその言葉に、俺は何の反論もできなかった。

 何故なら、俺が死神の動作を認識する間さえなく、死神の持っていた巨大な鎌が、俺の首筋に押し付けられていたからだった。

 皮一枚隔てて感じる怜悧な凶器の存在を感じながら、俺は、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 相手が本物の死神であろうと、そうでなかろうと、これだけは言える。

 コイツは、いつでも、簡単に、俺を殺す事ができる。

 その正体が何であろうと、それだけは絶対に、確実だ。

 ほんの短い間、俺は、考えた。

 すずみがこの場にいる事を、素直に認めるべきか、否か。

 実際、俺がここで繰り返しすずみがいないと言ったところで、自称死神にとってはどうでもいい事なのだろう。奴は、ここにすずみがいる事を既に知っている。

 ならば、俺がここで嘘を吐こうが吐くまいが、結果は同じではないだろうか。

 ならば、ここでわざわざ嘘を吐いて、自分まで殺されてしまっては、つまらない。

 少なくとも、目の前の自称死神は、今、俺に対して生殺与奪の権利を握っている。例えば、今、この瞬間、自称死神はその手から鎌を手放すだけで俺を殺す事ができる。手放された鎌は重力に従って落下し、その鋭利で重たい刃はそれ自身の質量と鋭さだけでいともたやすく俺の首を胴体から切り離せるだろう。

 自称死神が、本当に俺を殺すかどうかは、実際のところは分からない。

 俺には、自称死神がどんな意図をもって、どんな感情を抱いて、俺の首筋に凶器を突きつけているのかは分からない。

 だが、そうだからと言って、不確実な賭けをするのは、あまりにも危険だろう。

 俺が、命を賭けてまで、すずみを庇う理由などあるだろうか?

 俺は、覚悟を決めた。


「ここに、すずみ何て奴はいない」


 正直、カッコ悪いと思った。

 声は震えて擦れかかっていたし、膝はさっきから笑いっぱなしだ。

 ちょっと前にトイレに行ったのだが、もしそうしていなかったら、失禁して足元に水たまりを作っていたかもしれない。

 映画やドラマのヒーローなら、こんな、俺みたいな醜態は曝さないだろう。

 だが、俺の言葉は、自称死神にはっきりと届いたはずだ。

「困った人ですね」

 ほんの少しして、自称死神は、くぐもった声でそう言った。

 有難い事に、俺の首はまだ、胴体と繋がっている。

 それどころか、自称死神は、鎌を俺の首筋から離し、元の定位置に戻した。

「貴方の寿命は、まだ尽きてはいません。ですから、この場で魂を刈り取る事はできないのです。それが規則ですので」

 俺は、少しだけほっとした。

 自称死神は、どうやら、俺を殺す事はできないらしい。

 ならば、いろいろ、やり様があるのではないだろうか?

 そう思ったのも束の間だった。

 自称死神は、鎌を持っていない方の手をローブから俺の方に向かって突き出し、俺にも何も聞こえない様な小さな声で、何事かを呟いた。

 途端、俺の胸の奥で、猛烈な激痛が走った。

 例えるなら、胸の中に乱暴に手を突っ込まれて、心臓を鷲掴みにされている。そんな不愉快な感触と痛みだった。

 息をする事もできず、悲鳴さえ上げられず、俺は心臓の辺りを両手で抑えながらその場に崩れ落ちた。

「貴方の魂は、回収できません。ですが、この様に苦痛を与える事はできます」

 苦痛は、自称死神がそう告げるのと同時に、幻の様に消え去った。

 息ができる様になり、必死に酸素を求めて喘ぎながら見上げると、自称死神は、俺の事など眼中に無いかのようだった。巨大な鎌の柄をトントンと地面に突くと、手品のように鎌は消え去る。恐らくは家の中に入るのに邪魔だったものを消し去った自称死神は、俺には一瞥もくれず、うずくまったままの俺の横をすり抜け、家の中へと入って行った。

 俺はまだ震えの止まらない、力の入らない身体で何とか立ち上がりながら、声を振り絞って叫んだ。

「すずみ、逃げろっ! 」

 だが、そんな言葉で、すずみに現在のまずい状況が伝わるはずもない。

「幸太郎さん、どうしたんですかっ!? 」

 すずみは、ダイニングルームから血相を変えて飛び出して来た。

 目の前には、タイミングの悪い事に、自称死神がいる。

 俺は、つくづく自分の考えの浅はかさを呪った。

「夕凪 すずみさんですね」

 事態を飲み込めないのか、きょとんとした顔をしているすずみに向かって、自称死神は淡々とした口調で告げた。

「お時間ですよ。貴女の魂、回収させていただきます」


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